行ってみたい、行けるところまで?
ただ、わたしはもう目指さないでいるが、何故だろう。
ただ暮らす、暮らし続ける人が、「いいなあ」と。
転向、堕落、逃亡?
それでいい、今はただ暮らす、生き延びるために。
行ってみたい、行けるところまで?
ただ、わたしはもう目指さないでいるが、何故だろう。
ただ暮らす、暮らし続ける人が、「いいなあ」と。
転向、堕落、逃亡?
それでいい、今はただ暮らす、生き延びるために。
ため息が、勝手に出て来る。
場合によっては、ゆっくりと吐き出す。
ときにアクビという身心へのストレッチ・ウオーキング・マッサージもする。
水を忘れずに飲むようにして。
明日も、生きていこうとしている。
安売り屋へ。
驚くほど、時計が安かった。
ただ、老いるにしたがって、時間は高くなっていく?
終わりを意識しつつ、永久の清々しさを希求するのもいいだろう。
今日は、今日の天気の中で呼吸するのだとしても。
嘘は言わないことだ。
当たり前だが、働くようになれば、たやすいことではない。
せめて、自分だけは偽らずに暮らしていけるといいが。
実は、何よりの難問との指摘も。
「内向に開放的な場合も」と、夏にいる。
悔いのない人生とは何か。
あるのか、実際のところ。
ショーケンは、難病を最期には治そうとしなかったようだ。
残される家族などに語るべきを語ったのだろう。
「たいしたものだ」と感心することしきりだった。
このまま顔を隠し続けていく。
万が一、マスクを取る日が来たとしたら?
あはは、猥褻・猥雑と感じたりして。
「そんなことはないよな」と感じている。
それほどに、マスクをした顔は人の顔のまま、悲しみや苛立ち、怒りなどを隠し、人であるのだったが。
明瞭とは言えない、根源はなきかの如し。
嘘や隠蔽、改竄も感得できる。
ただし、何だか迫ってくる空気――。
読まなければ、読み抜かなければいけないのだろう。
空気なのに、重くて、浮遊しているあれこれを。
「1つひとつの文章を短くすること」を心がける。
そうして、伝えたいことは冒頭に。
書き終えたら寝かせて置き、その後、読み返す。
他人が書いたものとして読めるのか、どうか。
もし読めたら、いいのかなと。
したいことはある。
と同時に、したくないことも。
その2つが大切で、「片方が欠けてはな」と。
したいことは爆笑、したくないことは作り笑い。
作り笑いから逃げられれば、それだけでも生きている価値はある。
することは、しないこと。
眠りたいからと、床についたとする。
すると、起きていることは、しない。
しないことは、することと同じようなもの。
起きたくないからと、布団の中にいれば、眠っていられるのだ。