尾籠な話で恐縮だが、人生初の体験を。
咳をして 同時に放屁 独りかな
いや、忘れているだけなのだろう。
今までにも体験しているはずだ。
ただ、緩み始めて、恥ずかしく、何だか新鮮な心持ちだったのである。
尾籠な話で恐縮だが、人生初の体験を。
咳をして 同時に放屁 独りかな
いや、忘れているだけなのだろう。
今までにも体験しているはずだ。
ただ、緩み始めて、恥ずかしく、何だか新鮮な心持ちだったのである。
月をゆっくり眺めるとするか。
未分化な自己表現、嘘八百の報道、先のない単なる真似ごとなど、「冗談じゃないよなあ」。
だってさ──。
月みたいにすげえものが、無料で視られるんだ。
かまっちゃいられない。
最近のもの足りなさは何だろうかと。
例えば、犬や猫、小鳥や亀とともに暮らすことがなくなったからか。
小動物とのふれ合いが消えてしまったのだった。
目も、耳も、鼻も、皮膚も、寂しがっている。
口もまた。
すべての病が治せるようになったとき。
死はどうなっているのか?
健康のまま、死ぬことになる。
何のことはない、天寿をまっとうしたということだ。
万が一、老いが病の対象となり解決されたら、どうしよう…。
想う、「生きる意味がなくてもいいんじゃないか」と。
もちろん、あったほうがいいのだが。
ただ、意味を求める病もあるのだった。
生まれて死ぬ、その過程で笑みが少しでも生まれればいい。
そう想っていよう。
Mighty Sam McClain - A Change is Gonna Come #vocalny #blm #samcooke #nojusticenopeace #ahmaudarbery
辛いのではない。
悔しいのだろう。
その悔しさが辛いのである。
道に立っていたという。
家路をめざすしかなかったものの、家さえあるのかどうかと。
かくして、真っ先にしたのは、靴紐を結び直すことだった。
頼ることは悪くない。
が、体感してしまう。
自分で答を捕まえないと、ついに何にもならないと。
与えられたものを呑み込んでいるだけでは、腹は破裂するだろうとも。
拙くていい、拙いからこそいいときもある。
中道の保守だという。
一体何なのだろう?
日中の外交を推進していくとも。
虎の尾を踏まなければいいのだったが。
それにしても正体不明。
もしかすると、詳らかにできる正体がない?
そんなことはあるまい。
「SNSでは、声の多い、実は少数派」との指摘が。
確かに、そうなのだろう。
声の少ない多数派こそ、今を形成しているのだった。
そのことに唖然としながらも。
選挙前、幻想につかまることは避けていきたい。
「貧富の差さえ見えにくい」との指摘に頷く。
自らに閉じこもって、当然か。
見たいものだけではなく、見なければいけない事態を見よ、か。
目を覆う惨状の中でだ。
静かに、ゆったりと、しかも冷徹に見るのだ。