例えば、ダムを作って洪水の被害。
自然破壊の災害だという。
原爆を落とされ、天下り国家の中で何もかもが破壊されてきた。
海や陸、大気や水など、惨憺たるものか。
冬の暖かい陽射しが、食卓に届いているが。
【障がいは難しい?/今日も少しだけ】
ジョン・レノンが障がい者の真似をしている映像を視た。
「あっ」
今であれば、訴えられる?
当然か。
が、彼が、解放されていくようにも視えたのだった。
いや、解放されていたはずだ。
笑顔だったのである。
子どものとき、吃音者の真似をした記憶がある。
解放感があったことを、身体は覚えているのだった。
怒られた記憶もある。
吃音を真似していると、実際に吃音になってしまうからだろう。
大人たちの、恐れを嗅ぎ取った覚えもあるのだった。
障がいのある身体活動を笑うことは、はばかれる。
が、想わず笑ってしまうことを抑えることは、どうなのかと一瞬。
それでもなお、親和力が生まれる道はないのか。
わたし自身、水中おちゃらけ歩行のとき、人が少なければ、試していることがあるのだった。
一瞬で脱力する訓練だ。
へなへなとするのである。
傍から視れば、障がい者と感じられるような動きか。
顔をはじめ、筋肉を緩めようとしているのだから。
が、かまわずしている。
笑われてもかまわないか。
もはや、人さまを気にしている場合ではない齢である。
自分なりの暗黒舞踏^^。
差別、いや、区別意識がどこにあるのか。
日常の動きと違うシーンと出逢ったとき、気づくはずである。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「そうだった」】
克服というか、次のステージへ向かいたい。
そうしたことも考えていた。
佳き日々を。