深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

過程が視えない/言葉・214

推敲したり、加筆・訂正したり。
パソコンへ向かうようになって、視えなくなってしまった。
要は、考えた過程が失われたということか。
完成した形だけでは物足りない。
過程こそ、誤謬を発見できるのだったが。

▲『上へ上へと』(写真)
馬鹿は上にあがりたがる。
つまり、現代人は馬鹿なのか?
そうなんですよ、カワサキさん。

▲『夏だべさ』(写真)
「あらま」
雲が凄い。
もくもくと。

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【3つのこと/今日も少しだけ】
■「ラインのメッセージを読まない人がいる」と、ニュースで視た。
 二桁三桁四桁、放置しているのだそうだ。
 わたしは、視ている。
 が、ときに、「こんなに追いかけられて、いいんかなあ」と。
 とはいえ、放置はできない。
 それにしても、視ないとは、太っ腹である。

■週刊誌。
 記事を面白そうだと感じさせる見出しが、少なくなったなと。
 そも、会員誌などと違って、寄り添う感じがしない。
 要は、前提で味方と想わせないだけに、せめて充実した見出しを期待したいのだが。
 もっとも、記事本体がつまらなければ、致し方なしか。
 雑誌というコミュニティーが、今はなくなったのか。

■党派官僚。
 久しぶりに目にした言葉だ。
 そういえば、過日、連合の連中が街頭演説を。
 曰く、「選挙へ行こう」と。
「でもなあ」
 会長が与党とすり寄り、「何だかな」とも。
「その前に、上を何とかしろよ」と。
 寄ってきた構成員に、想わず、「労働貴族だね」とお伝えした。
 ただなあ、ポカンとしていたのである。
 何か言われたら、「こちとら、ルンプロだもの」と言い返そうと想っていたのだったが。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「あらま」】
 50歳代になってから、するようになったメガネ。
 視力はよかっただけに、軽いショックを受けた記憶がある。

 今朝のことだ。
 フレームからレンズが外れてしまった。
 メガネ屋へ行くしかないか。

 こうした小さな躓きが暮らしの計画を、少しずつ変えてしまう。
「街へ出るのか…」
 緑の公園はお預けか。
 佳き日々を。