推敲したり、加筆・訂正したり。
パソコンへ向かうようになって、視えなくなってしまった。
要は、考えた過程が失われたということか。
完成した形だけでは物足りない。
過程こそ、誤謬を発見できるのだったが。
【3つのこと/今日も少しだけ】
■「ラインのメッセージを読まない人がいる」と、ニュースで視た。
二桁三桁四桁、放置しているのだそうだ。
わたしは、視ている。
が、ときに、「こんなに追いかけられて、いいんかなあ」と。
とはいえ、放置はできない。
それにしても、視ないとは、太っ腹である。
■週刊誌。
記事を面白そうだと感じさせる見出しが、少なくなったなと。
そも、会員誌などと違って、寄り添う感じがしない。
要は、前提で味方と想わせないだけに、せめて充実した見出しを期待したいのだが。
もっとも、記事本体がつまらなければ、致し方なしか。
雑誌というコミュニティーが、今はなくなったのか。
■党派官僚。
久しぶりに目にした言葉だ。
そういえば、過日、連合の連中が街頭演説を。
曰く、「選挙へ行こう」と。
「でもなあ」
会長が与党とすり寄り、「何だかな」とも。
「その前に、上を何とかしろよ」と。
寄ってきた構成員に、想わず、「労働貴族だね」とお伝えした。
ただなあ、ポカンとしていたのである。
何か言われたら、「こちとら、ルンプロだもの」と言い返そうと想っていたのだったが。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「あらま」】
50歳代になってから、するようになったメガネ。
視力はよかっただけに、軽いショックを受けた記憶がある。
今朝のことだ。
フレームからレンズが外れてしまった。
メガネ屋へ行くしかないか。
こうした小さな躓きが暮らしの計画を、少しずつ変えてしまう。
「街へ出るのか…」
緑の公園はお預けか。
佳き日々を。