視界・視線・視力。
目の前を遮るものも。
朧であったり、偏っていたり、対象に届かなかったりするときもあるだろう、いや、ある。
できるだけ広げていきたいのだ。
開かれていく努力を怠りたくはないのである。
【見詰め返す/今日も少しだけ】
以前、記したことがある。
こうだ。
有能なカメラマンが生涯にわたり押したシャッター数。
遥かに多く、私たちは瞬きでシャッターを切る。
そうして、日々の、名作とは異なる、記録されないだろう、かけがえのない出来事を網膜に焼き付けていく。
今後も、同じだろう。
事実、歴史の多くは、勝者のものによって、確定されてきた。
暮らしの基本はないがしろにされ。
ちなみに、こうも記していた。
写真を撮ったときはすでに遅れている。
プロは凄い、写真にしてしまえるのだから。 選択もあるのだろうが。
見惚れた瞬間、わたしはシャッターを切れない、切るつもりもない。
気づいてシャッターを切ってきた。
いずれにせよだ。
気づいたときは、手遅れ。
そうした時節である。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「そっかあ」】
雨。
靴下が濡れるのもさることながら、賃労働用で履いているズボンの折り目が消えるのも、「あれまあだなあ」と。
そうしたことも想い、今、パソコンの画面に向かっている。
佳き日々を。