深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

意識しても/令和四季派・17

「あぢ~っ」
ダラダラしかねないのだった。
が、「えいっ」とばかり動き出したほうが得策のときも。
そのほうが、コントロールできない部分を意識できるのだった。
意識し、どうなるものではない人の生死だが。

▲『自転車を止めた』(写真)
ひと呼吸入れたかった。
だいぶよれて来た自転車だ。
が、まだまだ乗れる。
新車を買ったほうがいいときもあったが、愛着がある。

www.youtube.com【「きゃっ」/今日も少しだけ】
 もはや座席をぶん取るのが、当たり前の様相か。
 電車内の優先席だ。

 わたしは、今夏69歳になるのだった。
 賃労働のため、毎日、乗車をしている。
 ただ、始発駅を利用しているので、並んで待てば、座ることが可能だ。

 ある日のこと。
 優先席に座ろうとした。
 すると、どどっと追い抜かれ、若い人に座られてしまったのだったが。

 あはは、「間抜け」と言われてしまう時勢か。
 もちろん、そうした人々ばかりではない。
 が、さすがに、たまげたのだった。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「そ、そうだったのか」】
 昨日も近隣の大学へ。
 無料公開講座を拝聴するためだ。

 テーマは、「なぜ阿弥陀堂より御影堂のほうが大きいのだろうか?」。
 考えたこともなかった。

 結論は、教えを聴聞するスペースとしての御影堂。
 その後、随喜となり、念仏をとなるのだが、そこは阿弥陀堂となる。
 要は、スペースの目的が影響しているというわけだ。

 知らないことだらけだなと。
 まったくもってして。

 佳き日々を。