乳幼児がふいに泣き出す。
いつもふいに?
そうなのだが、いずれにせよ何とかしようとするものだ。
わたしたちの中の乳幼児は今、泣き出しているのだろうか?
いや、老いた今、笑顔でないのは確かなのだったが。
【いくつかの言葉/今日も少しだけ】
想い出していた。
森崎和江氏の言葉だ。
こうだ。
いつもおなかいっぱい食べて、自分たちの生活がそのまま侵略であることに無自覚だった。
朝鮮で暮らしていたときのことだろう。
「なるほどなあ」
最近、宮谷一彦氏が亡くなられ、10歳代のころ知った言葉を思い出すことが増えた。
例えば、こうだ。
たとえ両手をつぶされても、
ブルーズは弾ける、
弾けるんだ
あるいは、こうだ。
ママ、心配しなくていいよ。
ただ、血を流しているだけなんだから。
貼り付けた、ディランの唄の一節である。
宮谷氏の意訳か。
あるいは、こうか。 埴谷雄高氏の言葉だ。
本来可変的な敵を、自己陣営に転化しえなかった自己の無能の証明。
切羽詰まっているのだろうか。 いや、ぼけてきたのだろう。
だから、若いとき出逢った言葉ばかりが沸いてくるのだった。
そう、踏んでいる。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「眠いなあ」】
屋外プールで歩いた後、ふいに眠くなった。
「たまには昼寝でも」
目覚めると、すでに夕刻。
「夏の疲れか」
佳き日々を。