深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

浮かない表情/老道・185

乳幼児がふいに泣き出す。
いつもふいに?
そうなのだが、いずれにせよ何とかしようとするものだ。
わたしたちの中の乳幼児は今、泣き出しているのだろうか?
いや、老いた今、笑顔でないのは確かなのだったが。

▲『何だあ?』(写真)
椅子があった。
無造作というのか、何だろう?
落ち着くために座っても、どうなのかと。

▲『合掌』(写真)
「まいったなあ」
新作を描いていると、矢作俊彦氏との対談で語っていたのだが。
残念至極。

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【いくつかの言葉/今日も少しだけ】
 想い出していた。
 森崎和江氏の言葉だ。
 こうだ。

 いつもおなかいっぱい食べて、自分たちの生活がそのまま侵略であることに無自覚だった。

 朝鮮で暮らしていたときのことだろう。
「なるほどなあ」

 最近、宮谷一彦氏が亡くなられ、10歳代のころ知った言葉を思い出すことが増えた。
 例えば、こうだ。

 たとえ両手をつぶされても、
 ブルーズは弾ける、
 弾けるんだ

 あるいは、こうだ。

 ママ、心配しなくていいよ。
 ただ、血を流しているだけなんだから。

 貼り付けた、ディランの唄の一節である。
 宮谷氏の意訳か。

 あるいは、こうか。 埴谷雄高氏の言葉だ。

 本来可変的な敵を、自己陣営に転化しえなかった自己の無能の証明。

 切羽詰まっているのだろうか。 いや、ぼけてきたのだろう。
 だから、若いとき出逢った言葉ばかりが沸いてくるのだった。
 そう、踏んでいる。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「眠いなあ」】
 屋外プールで歩いた後、ふいに眠くなった。
「たまには昼寝でも」

 目覚めると、すでに夕刻。
「夏の疲れか」

 佳き日々を。