深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

共感・共生・共存について/身心から・105

共感することは大切だ。
が、暴走するときがあることを、忘れないようにしたい。
事実、排他性へと結びつく事例は、あまたある。
共感を共感のまま、共生ではなく、共存できないものか。
共生を強いられる、今。

▲『歩いた』(写真)
工夫は大切だ。
そう、感じながら、歩いていた。
気持ちよく。

www.youtube.com

【とんでもないことだが/今日も少しだけ】
 懐にピストルを忍ばせ、非合法活動をしていた人。
 そうした人物がかつていた。
 今もいるし、今後も出てくるのだろう。

 転向後、どうなったか。
 企業のトップにのぼりつめた。
 そうした人は、存外多いのではないか。

 弁はたつ。
 オルグは達者。
 しかも、マスコミ関係なら、鉛筆1本で這い上がっていくこともできる。

 志ではできなかったこと。
 それが、転向でできるようになり、面白かったのかも知れない。

 ただ、折り合いをどうつけたのか。
 狭量で凡庸なわたしには、言葉では分かっても、ついに分からないというか、分かりたくなかったのかなと。

 彼らがみな、資源が乏しく、貧しい日本に唖然としたのは、理解できる。
 結果、どうしたのか。

 原発に希望を見出したのである。
 皮肉と言えば、これ以上の皮肉もないのかと。

 足もとは水浸し。
 踏ん張りようがない時勢だ。
 が、「何とかやっていくか」と。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「踊るしかない?」】
 力いっぱいの悲しさ。
 一縷の望みみたいな。

「でもなあ、ステップを踏めるだけでも、今はいいことだよ。
 たとえ束の間とはいえ」

 そう体感した唄を、上に貼り付けた。
 この映画のワンシーンである。

www.youtube.com 悲しくて、希望もないからこその踊り。
 その真っ直ぐな希望。
 佳き日々を。