深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

弱さから/身体から・212

弱いものいじめ、その残虐さ。
見え難いからとできるとも言われる大量殺戮のことも想起した。
身心は鍛えられるが、はかなく脆くて、弱いもの。
いじめは、自らを殺しているのと同じなのだと、あらためて痛感を。

▲『林』(写真)
ここにいるだけで、いい。
陽射しがあれば、極上か。
冬でもとろけていく快。

www.youtube.com【長生きの由縁/今日も少しだけ】
 毎朝の通勤。
「いてえよなあ」

 寒いというより、痛いという朝が続く。
「年だわなあ」
 今夏70歳、古希だ。
 昔で言えば、長寿なのだろう。
 希の古。

 昔、上司のご母堂が亡くなり、「おいくつだったんですか?」と尋ねた。
 すると、「70歳」。
「ああ、長生きでしたね」
 そう応えると、上司も、「そうだよねえ」と。

 当時を想えば、隔世の感ひとしおか。
 わたしには相変わらず、小僧みたいな心性がある。
 チャリ徘徊や水中おちゃらけ歩行、なんちゃってヨーガなどで嬉々とするときもあるのだった。

 わたしが特別に若いというわけではない。
 周囲の古希の連中を見ても、似たようなものである。
 病を得ている者もいるが、昔の高齢者よりも、元気な感触はあるのだった。

 と同時に、成長していない、成長できない、成長とは遠い、子どもじみたところがあるのではないか。
 消費の前線に借り出されていることも誘因だろう。
 年が取れないのだった。

 ちなみに、長生きの由縁は、栄養や衛生の改善・変化もあるのだろう。
 医療の進化・浸透、生活環境の改善・変化などもか。

 何よりの誘因は、戦争が、戦後以降、ないことだろう。
 もちろん、戦前・戦中・戦後の三位一体状況は続いているのだが、ドンパチに駆り出されることは、今のところない。

 長生きと戦争は、相性がよくないのだった。
 冬の痛さの中で、朝、そう痛感していたのである。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「いやあ、凄いなあ」】
 カルトの報道が少なくなっているとか。
 わたしの中では、ウェブ検索などで、多くなっているのだったが。

 とんでもない状況は続いている。
「ドンパチがもう、そこまでだよなあ…」

 ちなみに、あの暴れん坊、パンクの大将も、妻がアルツハイマーとなり、貼り付けたラブソングを発表したのだとか。
 個人の闘いは続いていく?
 佳き今日を。