知り合いの爺さんが言っていた。
「縁側を通じた関係ってさ、大切だよね」
そうして、笑って言った。
「もう100円ショップで何とかなっちゃう人生なんだ」
続けて、「侘しいのか凄いのか、分からないけどさ」と。
www.youtube.com【縄文と茨木のり子氏、そうして/今日も少しだけ】
近隣に遺跡があるという。
チャリ徘徊のついでに寄ってみた。
何でも、「下野谷遺跡は、縄文時代中期(今から約5千年前から4千年前)の環状集落であり、南関東では傑出した規模と内容を誇っています」とのこと。
「スゲッ」
訪ねれば、人はいない。
何やら懐かしいような、怖いような不思議な心持ちに。
そこから少し行ったところに、現代詩の長女と呼ばれた茨木のり子氏の住まいがある。
初めて家の前を通ったが、亡くなっても暮らしが成立しているかのような佇まいだった。
ボランティアの人たちも、あれこれ維持しているようだ。
遺跡と現代詩な休日に、井戸水プールでおちゃらけ歩行という現在地みたいな。
うむ、茨木氏の『六月』を引用しておくか。
谷川雁氏へのエールと踏んでいる。
『六月』
どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終りには一杯の黒麦酒
鍬を立てかけ 籠を置き
男も女も大きなジョッキをかたむける
どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮は
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる
どこかに美しい人と人との力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる
知り合いは、こう記してきた。
自分が好きなのり子ちゃんの詩でも引用したくなってきたのでした。
『言いたくない言葉』
心の底に 強い圧力をかけて
蔵ってある言葉
声に出せば
文字に記せば
たちまちに色褪せるだろう
それによって
私が立つところのもの
それによって
私が生かしめられているところの思念
人に伝えようとすれば
あまりに平凡すぎて
けっして伝わってはゆかないだろう
その人の気圧の中でしか
生きられぬ言葉もある
一本の蠟燭のように
熾烈に燃えろ 燃えつきろ
自分勝手に
誰の眼にもふれずに
わたしは、こう返信した。
確か、大岡信氏や、怪しい編集工学者・松岡正剛氏が、「まいった」と記していた詩が。
1970年代初頭、すでに、こう記していたのですね。
「女の言葉が鋭すぎても
直截すぎても
支離滅裂であろうとも
それをまともに受けとめられない男は
まったく駄目だ」
「な、なるほど」と。
死後、発表された『歳月』という詩集を最近、再読して、「あっ」と。
例えば、この詩。
生きていれば、とても発表できなかったのかなと。
『獣めく』
獣めく夜もあった
にんげんもまた獣なのねと
しみじみわかる夜もあった
シーツを新しくピンと張ったって
寝室は 落ち葉かきよせ籠もり居る
狸の巣穴とことならず
なじみの穴ぐら
寝乱れの抜け毛
二匹の獣の匂いぞ立ちぬ
なぜかなぜか或る日忽然と相棒が消え
わたしはキョトンと人間になった
人間だけになってしまった
衛生的に語られることもある茨木氏の詩歌を、少しずつ読み直す契機になった詩歌でもある。
優等生的で説教とも勘違いされることもある詩歌。
悪くない。
いや、姿勢を正してくれるのだった。
どうか、今日もご無事で。
【追記/「あぢ~っ」】
ニール・ヤングを久しぶりに聴いた。
ヒッピー文化の真ん中にいながら、「甘ちゃんらめ」と批判していたっけ。
「新聞を出すように新譜を出したい」とは、ピート・タウンゼントの言葉だったが、この人は確かに実践していた。
結果、あまりの多作ぶりに、今ではどこにいるのか、見失っているのだったが。
それにしても、上に貼り付けた映像ではないが、「これぐらいやってくれなきゃな」と。
深夜。
寝こけていた。
早朝。
目覚めていた。
夏だ。
佳き日々を。