修羅なる言葉を想い出す。
「仏教の六道の1つで現世で闘った者が死後に堕ちる苦しみに満ちた世界」とか。
死んでまで苦しむのかと。
為政者にこそふさわしいのだろう。
反戦・非戦、何でもいいが、停戦をとも。
▲『休日の愉しみ』(写真)
入れたての熱いコーヒーに、ばあさんがやっている店で購入した大判焼き。
聴いていたのは、ロジャー・ウォーターズにデヴィッド・ギルモアのソロアルバム、そうしてウイングスだった。
木々のもとで呼吸も深まり、「よっしゃ」と。
それにしても、ウイングスはあまり聴いたことがなかった。
下に貼りつけた唄を聴いたとき、「えっ、初期ビートルズじゃん、いかす」と。
そりゃあそうだ、メンバーだったんだものな^^。
www.youtube.com【後悔ばっかし?/今日も少しだけ】
子どもたちの義務教育。
実は本来、教えられる義務ではなく、教える義務のことだとか。
その真逆で、中年以降、教えられる義務としてのエッセンシャルワーカー教育を実践的にすればいいのにと。
「まあ、それでも、変わらないよなあ」
後悔のない人生は、ない。
そう痛感している。
「おれにしろ、もっと早く、やっていればなあ」
そう、痛感する日々だ。
結果は、どうか。
多少の後悔はあってもいいと、強引に思えるようになった。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「あらま」】
高齢者枠で無料とのことから、気になっていた『黒いミルク』を吉祥寺美術館へ観に行った。
若いときなら、「何だ、作品ではないか」ぐらい想ったろうか。
が、今も空間が残響しているのだった。
その後、試写会の抽選に当たった『天安門、恋人たち』を観に、小さな映画館へ。
「ご苦労さま」
そう、体感していた。
説明が省かれているので、現場にいなければ通じない領域もあったのだが、それでも若い人たちの無残さは理解できたのである。
「後悔先にも、実は後にもたたないものかもな」
佳き日々を。