よく考えると、そこらには分からないものだらけだ。
あれもこれも、見慣れているだけである。
が、ことは簡単だ。
地べたでも座ってしまえば椅子、これである。
草の上に食事を並べれば、そう、食卓になるのだ。
▲『通勤路』(写真)
昨日、掲載した写真の手前の道である。
昨年冬近くから、自転車でエッチラオッチラと走ってきた。
「梅雨前に少しは愉しんでおくか」
www.youtube.com▲ラジオでかかった。
「へえっ」
たまげたものだ。
【地球でできている/今日も少しだけ】
結論がふいにやって来た。
どういうことか。
「あれもこれも、何で出来ているのだろう?」
そう、何となく考えていた。
すると、言葉が突然、やって来たのだった。
「なあに、あれもこれも、地球でできているのだろう」
そうして、感じてしまい、その感じを言葉に置き換えた。
こうだ。
「やっぱ、間借り人だし、借りものなんだよな」
一番身近な、この身心でさえ、間借りしているようなものだ。
そうして、親からの借りものみたいな。
であるが故に?
「粗末にはできねえわな」
戦争など、争いは言語道断。
「冗談じゃねえよなあ」
そう伝法なもの言いで、自らが自らへ放ったのだった。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「さてっと」】
眠い。
腰も何やら痛い。
「不便なものだな、身体」
が、便利ばかりが能ではない。
「ま、つき合っていくしかないんだよな」
佳き日々を。