「化」の取れた情報時代。
毎日まいにち、電子機器で検索に勤しんでいる。
図書館でさえ。
が、情報の内容の奥へとは入れないでいるのだったが。
スタイルをぼちぼち変えていくかと、水筒の麦茶をがぶ飲みした。
▲『富士さま』(写真)
「あらま」
ちょっと見ない間に、あれこれがニョキニョキと生えていた。
土建国家万歳みたいな。
www.youtube.com▲想い出したとき、聴く。
「これが、日本のロックだよなあ」
まるで昔の学園祭のときの音、「いかしているよな」。
【関係の障がい/今日も少しだけ】
認知症の人たちを見ていて、想い出していた。
「老いた自分を受け入れられない関係障がい」といったような言葉を。
実際、認知症の定義とも言えるだろう。
本人だけの問題ではないのである。
関係の障がいなのだ。
笑ったのが、「ハゲにボケが少ないのは、若いときから老いを認知しているから」といったような言葉だ。
確か、三好春樹氏ではなかったか。
現実には、そんなことはないのだが。
一理はあるなと。
わたしには野望がある。
素直なジジイになるという。
要は、人を困らせないといったあたりか。
認知症になったとき、糞便と遊んだり、糞便を投げつけたりしない、清潔なジジイになりたいとも想っている。
「なれるといいなあ」
切実な想いなのだったが。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「さてっと」】
身心にこたえる賃労働の日々。
なれてはきたが、まだまだである。
佳き日々を。