表現は大切だ。
が、今、熱心に表現をすることの汚らわしさもまた、歴然とあるのだったが。
子どもたちの大きな泣き声に、応えていないからではない。
個人に埋没する汚らわしさである。
うっとうしくないのか?
www.youtube.com▲この映像のプリンス。
「やるなあ」
圧巻である。
【とにかく、「人殺しはやめろ」と/今日も少しだけ】
反戦?
あるいは、非戦…。
とにかく戦争を止められるのなら、続けたほうがいい。
どのように?
わたしは、コミュニティー主義者か。
そこでだ、今・ここの平和を守る、守ろうとすることも大切なのではないのかと。
それこそ、反戦・非戦につながる方途ではないのかと考えてきた。
もちろん、今、現に起きている戦争は即刻、やめて欲しい。
どのような理由があろうがだ。
何故か。
子どもたちが巻き込まれていい道理はないのである。
今、ここで、あくまでもかの地を体感しようとしつつ、眼前の平和を守ろうという姿勢。
例えば、朝。
慌しくても、しかも怯えもなく、排泄できることは大切なことなのである。
ともあれ、どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「さてっと】
相変わらず、あれこれ検索している。
気づけば、朝。
「また、寝こけていたな」
佳き日々を。