深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

とらわれてはいないが/死を想う・74

死で生は終わる。
それこそが生だ。
もちろん、生の中に死はあり、死の中に生はあるのだったが。
そうしたことを、午後のお茶を飲んでいるとき、ふと。
何度も想ってきたことだが、とらわれているわけではない。

▲『おっさん、寛ぐ』(写真)
いびきが聴こえてきた。
見れば、おっさんが寝ていた。
靴をちゃんと脱いで。
「それにしても、器用に寝ているな」と盗撮。

www.youtube.com▲昨日に引き続き、この人を。
 この人がいるといないとでは、歌謡界も違っていたのだろう。
 いや、そうした他人ごとみたいな言葉を記したいのではない。
「いかすよな」
 そのひと言を書き留めておきたかったのである。


喃語について/今日も少しだけ】
 昼の公園。
 紅葉のもと、赤ちゃんが、母親に抱かれていた。

 いわゆる、喃語(なんご)を発していた。
「面白いな」

 そもそも、喃語とは何か。
 AIによれば、こうなる。
「赤ちゃんが発する意味のない言葉や音節のくり返し、組み合わせです。
 言葉の基本的な音や音節を学び始める段階で、言語発達の重要な一環と言えます」

 どうやら、人の根底にある領域ではないのかと。
 何を感じ、どうして声を発しているのか、詳細は知らないが。

 ふと、想っていた。
 声を出す愉しみもあるのだろうなと。
 自己確認か、何かは知らない。
 が、何ごとかを確認してもいるのだろう。

 母親は、「(紅葉が)きれいだね」と話し掛けていた。
 その折の、声としての喃語だったのだ。

 試しに、わたしも出してみたのだが、あはは、何とも開放感があった。
 意味から離脱しつつも、実は意味がある声。

 以前、SMに凝った友人がいる。
「開放感は、似ているのかもな」と。
 似てはいるが、同じものではないのだろうが。

 ともあれ、喃語を大人もまた、使うといいのにと。
 得るものは多いはずだ。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 本日は、賃労働が休み。
 朝食を久しぶりにしっかりと、とれた。
 ベーコンエッグに野菜ジュース、グラタンなども。
「美味しさから始まる休みっていいぞ」と。

 その後、プールで歩いたり、床屋へ出向いたり、公園で熱いコーヒーをとったり、歯科医院で掃除してもらったり、溜まった新聞を斜め読みしたり、あれこれしていたのだが、肝心の昼寝が十分ではなかったか。
 猛省を。

 ちなみに、最近、困っていたのが、新聞をめくりにくくなっていたこと。
 100円ショップで、指サックを見つけ、早速使ってみたのだが、なかなかの買いものとなった。
 佳き日々を。