死で生は終わる。
それこそが生だ。
もちろん、生の中に死はあり、死の中に生はあるのだったが。
そうしたことを、午後のお茶を飲んでいるとき、ふと。
何度も想ってきたことだが、とらわれているわけではない。
www.youtube.com▲昨日に引き続き、この人を。
この人がいるといないとでは、歌謡界も違っていたのだろう。
いや、そうした他人ごとみたいな言葉を記したいのではない。
「いかすよな」
そのひと言を書き留めておきたかったのである。
【喃語について/今日も少しだけ】
昼の公園。
紅葉のもと、赤ちゃんが、母親に抱かれていた。
いわゆる、喃語(なんご)を発していた。
「面白いな」
そもそも、喃語とは何か。
AIによれば、こうなる。
「赤ちゃんが発する意味のない言葉や音節のくり返し、組み合わせです。
言葉の基本的な音や音節を学び始める段階で、言語発達の重要な一環と言えます」
どうやら、人の根底にある領域ではないのかと。
何を感じ、どうして声を発しているのか、詳細は知らないが。
ふと、想っていた。
声を出す愉しみもあるのだろうなと。
自己確認か、何かは知らない。
が、何ごとかを確認してもいるのだろう。
母親は、「(紅葉が)きれいだね」と話し掛けていた。
その折の、声としての喃語だったのだ。
試しに、わたしも出してみたのだが、あはは、何とも開放感があった。
意味から離脱しつつも、実は意味がある声。
以前、SMに凝った友人がいる。
「開放感は、似ているのかもな」と。
似てはいるが、同じものではないのだろうが。
ともあれ、喃語を大人もまた、使うといいのにと。
得るものは多いはずだ。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「さてっと」】
本日は、賃労働が休み。
朝食を久しぶりにしっかりと、とれた。
ベーコンエッグに野菜ジュース、グラタンなども。
「美味しさから始まる休みっていいぞ」と。
その後、プールで歩いたり、床屋へ出向いたり、公園で熱いコーヒーをとったり、歯科医院で掃除してもらったり、溜まった新聞を斜め読みしたり、あれこれしていたのだが、肝心の昼寝が十分ではなかったか。
猛省を。
ちなみに、最近、困っていたのが、新聞をめくりにくくなっていたこと。
100円ショップで、指サックを見つけ、早速使ってみたのだが、なかなかの買いものとなった。
佳き日々を。