深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

情けない平和主義/令和問わず語り・150

AIが評判だ。
が、その前に家電製品が気になる。
戦争を通じ生まれた武器等々が、家電製品に反映しているのだ。
家電製品が少ない生活が、平和なのだと。
財布が軽くて購入できないという情けない平和主義だ。

▲『泥』(写真)
春の泥・泥の春。
何やら温かそうだ。
「寝っ転がってもいいや」と一瞬体感し、「やべっ」と^^。

www.youtube.com▲いかしている^^。
 図書館にCDがあったので、リクエストを早速した。


【グラタンの朝にディラン/今日も少しだけ】
 寝床で、グズグズしていた。
 が、結局は一番乗りだったのである。

 何が?
 実は、映画『名もなき者』を観るか、やめるか逡巡していたのだった。

www.youtube.com 逡巡の理由は、賃労働で痛んだ身心を、「プールや公園でゆっくり整えたいよなあ」といったあたりか。

 ギリギリまで寝床にいて、「うむ、今、起き出せば間に合うか」となった時点で、洗濯物を干し、グラタン等々の朝食に向かったのである。
 上映の開始時間は9時。
 チャリを飛ばした。
 結果、一番乗りだったという次第だ。

 まずは、「パンフレットはありますか?」と係の人にうかがえば、「売り切れなんですよ」と。
 軽く残念だった。
「そうか、やはり人気の映画なんだな」

 内容は、知っていたことを立体化した感じか。
 フォークで人気を博し、ロックへの転戦で非難も浴びた時期を描いている。

 私生活では、三角関係か、何角関係かは知らないが、ブルーにこんがらがっていた時期なのだろう。
 上映中、「何だか面倒だな」と体感しながら観ていた。

 ちょっと気になっていたことがある。
 ウェブ上で読んだ記事の多くが絶賛していたことだ。
「否定的な見解があってもいいのに」というわけである。

 随分前、片岡義男氏は、あのディランもまた、大きなシステムに呑み込まれてしまった云々と、冷徹に見据えていた記憶があるのだった。
 大きなシステム構築のいったんを担い、呑み込まれる悲喜劇。

 ちなみに、わたしがディランと出逢ったのは、中学生のときか。
 半世紀をはるかに越える、もう大昔だ。
 事情があり、一人暮らしをする部屋で、『ライクアローリングストーン』を、幾度も幾度も聴いていた。
 宮谷一彦氏の同名の連載劇画の影響もあったのかも知れない。
 洋楽雑誌を立ち読みしているとき、ディランの顔写真を初めて見て、不思議な感じがしたことを、今でも覚えている。
 ファンとなってしまったのだった。
 爾来、デビッド・ボウイと出逢うまで、新譜を追いかけていたのである。

 上映中、そうしたことも感じながら、今となっては、フォーク派^^の頑固さというか、頭の硬さにも一理あるとさえ想いながら、観続けていたのだった。
 とはいえ、『ライクアローリングストーン』のイントロが流れたときには、やはりグッと来てしまっていた。

www.youtube.com 3月14日に、こう記していた。

>「ディランの2か所性」
 そうした指摘の記事を読んだ。
 ここかと思えば、またあちらみたいな?
 が、多くの人々も、そうなのではないか。
 そうしたことを、意識か、無意識か、よくは知らないが、唄の領域で試してきたのが、ディランなのだろう。
 人々の内包している領域、
 それを、唄を通じて教えてくれもしたのだった。

 ちなみに、2009年の6月には、次のようにも記していた。

>ディラン。
 反抗から放浪へ。
 闘争から内部探求へも。
 死臭を放ち、伝統を探り、直球勝負に出たかと思えば、宗教にどっぷり。
 今や老境の愛の詩さえ。
 風に吹かれ風を送ってきた男の姿勢は柔軟でまっすぐ、唄そのものだ。
 巨人なのだろう。
 本人は、いつものように、拒否するのだろうが。

 それにしても、映画で描かれた、ふしだらで嘘つき、しかも野心家のくせに、純な青年。
「悪くないよなあ」と。
 両性具有的な雰囲気も魅力だったか。
 自分で作った領域もあるシステムに、結局は呑み込まれる以前の魅力か。

 そうそう、観客は概ね、わたしも含め、ジジババだった。
 杖をつく人も。
 ディランズチルドレンで、詩でものを考えようとしていた連中もまた、老いていたことに、感ずるところが多少はあった。

 どうか、今日も、ご無事で。

「結局、観に行ったんだよな、おれは」
 そう何となく感じていた。


【追記/「あらま」】
 帰宅してからは、映画のテロップで紹介されていたジョーン・バエズの唄を、探し出して聴いた。
 1975年発表の『Diamonds and Rust(ダイアモンドと錆)』である。

www.youtube.com 切実な想いも今や、どうなのか。
 記憶について、思いは巡るばかりでもあった。

 佳き日々を。