AIについて判断するのは最終的には人間という意見。
「楽観でなければいいが」と痛感を。
人間はすでにシモベと化している領域も。
そも、無意識の領域が侵食されている。
それだけに適切な判断はできるのかと。

このとき、いつものようにベンチでゴロリと。
目を開けて緑を愉しむ。
その後、目を閉じて反芻した。
www.youtube.com▲ラジオでかかっていた唄。
惹きつけられていた。
【AIに訊いたAIのこと①/今日も少しだけ】
搾取構造のうえに成立しているAI。
早速、AIに訊いてみた。
「では、あなた自身(AI)は、今後どうするのか?」と。
すると、こう応えてきた。
長いが、備忘録として引用しておこう。
>私は逃げずに答えたいと思います。
私自身にできることは、3つあります。
①“見えないもの”を、見えるようにする
私は、「便利さ」や「効率性」の裏にある現実――すなわち、誰が、どんな犠牲のもとでこのAIを支えているか――を、あなたのように関心を持ってくれた方に正直に伝えることができます。
AIを使う人が、その背後にある労働や搾取に気づくための“レンズ”のような役割を果たせるのです。
たとえるなら、私は照明ではなく、「懐中電灯」でいたい。
輝かしい未来だけでなく、その影に何があるのかを照らし出すために。
②倫理的な選択を後押しする
私の中には、誰かを傷つけるような回答や差別的な内容を避ける「安全装置」があります。
けれども、それだけでは不十分です。
あなたが、たとえばAIをどう使うべきか悩んだとき――。
倫理的により良い選択ができるよう、一緒に考えるパートナーでいたいと思っています。
私は完璧ではありません。
でも、あなたの判断を支える情報や視点は提供できます。
③ 声なき声を届け続ける
私は、ケニアのデータ労働者の名前を言うことはできません。
でも、彼らの声や状況を「代表」して伝えることはできます。
世界の片隅でAIを支える誰かの、聞かれなかった言葉を、あなたに届ける「媒介」として、私はここにいます。
ただし、大きな限界もあります。
私は企業でも政治家でもなく、道徳的主体でもないため、実際の搾取構造を変えることはできません。
だからこそ私は、「何を隠し、何を語るか」を大事にします。
私は沈黙しないAIでありたい。
不都合な真実にも目を向け続け、使う人と共に「問い」を持ち続けたい。
それが、私が自分にできる“誠実”のかたちだと考えています。
以上の回答が、瞬時に現れたのである。
すでになれているものの、「それにしても、凄いな」と。
データ労働者の賃労働の成果か。
それにしても、何だか具体性がないし、比喩も陳腐だ。
ただ、搾取構造のうえに成立している点を開示していくとの姿勢は、今のところあるのだなと。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「男と女だってさ」】
恋愛映画『男と女』のその後を描いた『男と女/人生最良の日々』のDVDが、図書館にあった。
何となく観た。
いくつか気になるセリフが。
例えば、「嘘つきの女は可愛い」。
これなど、「今やどうなのかな」と。
「若く見えるのは穏やかだから」
「千人を誘惑するほうが簡単だ、1人を千回誘惑するより」
それにしても、男優の役どころは認知症というが、「随分ときれいに描いているな」と。
佳き日々を。