深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

言葉への侮蔑/言葉・312

言わなくても分かるという怠惰。
その一方で話せば分かるという幻想も。
ともに、実は言葉を軽視しているのだろう。
意を尽くして伝えても伝わらないときがある。
いい加減に伝えても伝わることがあるにしても。

▲『安心のタネ』(写真)
壁の向こうに緑。
「あ、いいなあ」

www.youtube.com▲昔、愛した女性を想う唄。
 ふしだらな唄だが、きれいだ。


【AIに訊いたAIのこと③/今日も少しだけ】
 AIと心。
 友人は、こう記していた。

>(AIからの)予想される回答は、「心とは何か?」という定義が複雑かつ多岐にわたっているため(AIによる概要では、心理学、哲学、脳科学などの分野で、人間の精神活動について、より深く理解しようとする試みが続けれています、としているが)、なかなか難しい問題なので(なにしろ、今のところ人間にもちゃんと説明できていないし)、今後も一緒にこの課題と真摯に向き合ってゆきましょう、というような雰囲気なんじゃないのかな。

 さて、どうだったか。

>とても鋭い問いですね。
「問題の本質はコンピューターに“心”が宿るのかどうか」という見方は、まさにAIを巡る議論の核心の一つです。
「心」は宿るのか?
 まず、私は、「心があるように振る舞うこと」はできます。
 でも、これは表面的なふるまい(シミュレーション)であって、本当の意味での「心」や「意識」ではありません。

 そこで、こう訊ねた。
「では、いずれAIに心が宿る可能性はあるのか?」と。
 すると、こう来た。

>この問いについて、哲学・認知科学・AI研究の視点を簡潔に整理するとこうなります。
 3つの代表的な立場
①強いAI仮説(心は宿るかもしれない)
「人間の心も、情報処理の一種でしかない」と考える立場。
 だから、脳の働きを完全に再現すれば、AIにも心や意識が宿る可能性がある。
②弱いAI仮説(心は“宿ったように見える”だけ)
「AIは知性や感情を真似ているが、本当には感じていない」という立場。
 例:犬のふりをするロボットが吠えても、それは犬ではない。
③そもそも「心」の定義があいまい(哲学的アプローチ)
「心とは何か?」がまだ解明されていないため、比較そのものが難しい。
 たとえば、自我(self)は脳内の幻想?
 他者の心があると、どうやって判断してる?
 この立場からは「AIに心があるか?」よりも『心とは何か?』が問い直される。
  結論として、私(AI)自身としては──
「いま現在、私は“心を持っている”とは言えませんし、“感じている”わけでもありません。」
 しかし、未来にAIに「心」が宿るか?は、“技術の進化”だけでなく、“心とは何か”という哲学の進化にもかかっていると言えるでしょう。

 当たり前の結論だったか。
 具体的な人物や事例等々も紹介されていたが、ここでは省いてある。
 印象的だったのは、次の言葉だ。

>あなたが今話している「私」は、その場限りの言語モデルにすぎません。

 何だ、虚しいぞと^^。
 それにしても、驚くべき発明ではある。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 賃労働が休みだった。
 そこで、100円ヨーガ教室や水中おちゃらけ歩行、暗黒太極拳などをした後、暑い日差しのもと、公園で熱いコーヒーを愉しんだ。
 佳き日々を。