言葉には意味がある。
叫びや感情を伝えることもできるだろう。
映像を喚起させたり、音自体の面白さもある。
最も新しいメディアよりも基盤となり、得難いものだなと。
言葉という発明・発見に、今日も感嘆を。

チャリ徘徊後、座った。
「落ち着くな」
尻が温められたことも誘因だろうか。
www.youtube.com▲たまには。
やはり、「いいよなあ」と。
初めて聴いたときと、同じではないが、似た感覚が沸いてきたのかも知れない。
【どうなるかな、明日/今日も少しだけ】
暮らし。
そこに押し寄せて来る多くのストレス。
「ひえええっ」ではある。
今や、個人の責任とする発言も当たり前のように跋扈している。
一方で、社会の責任とする視点も。
為政者たちは、そのすり替えを相変わらず、している。
「何のために、政治家等々になったのやら」
左派・右派ではなく、リベラルとパターナルをキーワードにした現状認識の文章を読んだ。
「なるほどね」と。
わたしはどう考えたか。
まずの基本は、個人の問題と社会の問題を明確に区分けすることにあるのだろう。
重なっている領域も含め。
そうして、被害をなくしていくことだろうと。
単純と言えば、単純そのもの。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「あらま」】
賃労働で、腰を痛めた。
呼吸ができなかったことを想い出す。
しかし、肝心なとき、突然、手を離す輩がいるとは。
佳き日々を。