「これやっといてよ」
そう言われた。
カチンとは来なかったが、残念な気持ちは残ったのである。
理由は、自分が楽するためにだけ指示してきたからだ。
本来なら、従業員たちを楽にする立場にあるにも関わらず。
※「誰もついてはいかないだろうな」と。
自分がすべきことをしないで、押し付けるだけの手合いには。

木登りをしようとした。
が、相変わらず、高くて出来なかったのである。
仮にできたにしろ、「あぢ~っ」と呟いたのだろう。
www.youtube.com▲懐かしい。
ラジオでかかった。
日本のミュージシャンで影響を受けた人が多いことは、この唄を聴いただけでも分かる。
【結語が外来語という現実/今日も少しだけ】
今はパンツというズボン。
それはまあ、置いておく。
そのズボンだが、片方の脚のみを脱がして、リハビリ用のパンツを履かせる方法がある。
介護を抱えている家族が知っておくと、いい方向性での時短になるし、何より煩わしさが少しは解消できるのではないか。
上野千鶴子氏も指摘していたが、今や日本の介護技術は、進化しているのだった。
腰を痛めない方法をはじめ、世界に広がるといいのではと。
何せ、日本は世界の長寿国なのだから。
ただ、興味を持ち、読んだ本で、「あちゃあ」と。
肝心の結語が、外来語のことが存外、多いからだ。
戦時中の日本のように、外国語を敵性語として拒否しろと言いたいのではない。
野球はかつて、ストライクは正球、ボールは悪球、アウトは無為に置き換えていたというが、当時、笑いは生まれなかったのだろうか。
今や、インクルーシブな教育云々とも言われている。
AIの力を借りれば、多様な特性などを排除せず、分け隔てなく受け入れて、共に生きる社会を目指す概念となる。
要は、互いを尊重し合うということか。
包括的とも日本語では言われている。
それでいいのではと。
そもそも、介護や教育は包括的なものだ。
それ故、包括的介護・包括的教育では、危険が危ない、「巨人軍は永久に不滅です」同様、重複表現になっているとも想う。
ともあれ、理念がまだまだ伝わっていないのだろう。
結果、楽になる方法もまた?
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「さてっと」】
最近、ポテトチップスを食べるようになった。
お菓子を食べること自体、かつてはなかったのだが。
精神に変調をきたすと、「ポテトチップスをよく食べるようになる」と聴いたことがある。
「えっ?」と想い出していた。
佳き日々を。