深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

指示への不支持/当世労働者覚書・194

「これやっといてよ」
そう言われた。
カチンとは来なかったが、残念な気持ちは残ったのである。
理由は、自分が楽するためにだけ指示してきたからだ。
本来なら、従業員たちを楽にする立場にあるにも関わらず。

※「誰もついてはいかないだろうな」と。
 自分がすべきことをしないで、押し付けるだけの手合いには。

▲『木登り』(写真)
木登りをしようとした。
が、相変わらず、高くて出来なかったのである。
仮にできたにしろ、「あぢ~っ」と呟いたのだろう。

www.youtube.com▲懐かしい。
 ラジオでかかった。
 日本のミュージシャンで影響を受けた人が多いことは、この唄を聴いただけでも分かる。

 

【結語が外来語という現実/今日も少しだけ】
 今はパンツというズボン。
 それはまあ、置いておく。

 そのズボンだが、片方の脚のみを脱がして、リハビリ用のパンツを履かせる方法がある。
 介護を抱えている家族が知っておくと、いい方向性での時短になるし、何より煩わしさが少しは解消できるのではないか。

 上野千鶴子氏も指摘していたが、今や日本の介護技術は、進化しているのだった。
 腰を痛めない方法をはじめ、世界に広がるといいのではと。
 何せ、日本は世界の長寿国なのだから。

 ただ、興味を持ち、読んだ本で、「あちゃあ」と。
 肝心の結語が、外来語のことが存外、多いからだ。

 戦時中の日本のように、外国語を敵性語として拒否しろと言いたいのではない。
 野球はかつて、ストライクは正球、ボールは悪球、アウトは無為に置き換えていたというが、当時、笑いは生まれなかったのだろうか。

 今や、インクルーシブな教育云々とも言われている。
 AIの力を借りれば、多様な特性などを排除せず、分け隔てなく受け入れて、共に生きる社会を目指す概念となる。
 要は、互いを尊重し合うということか。

 包括的とも日本語では言われている。
 それでいいのではと。

 そもそも、介護や教育は包括的なものだ。
 それ故、包括的介護・包括的教育では、危険が危ない、「巨人軍は永久に不滅です」同様、重複表現になっているとも想う。

 ともあれ、理念がまだまだ伝わっていないのだろう。
 結果、楽になる方法もまた?

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 最近、ポテトチップスを食べるようになった。
 お菓子を食べること自体、かつてはなかったのだが。
 精神に変調をきたすと、「ポテトチップスをよく食べるようになる」と聴いたことがある。
「えっ?」と想い出していた。

 佳き日々を。