2009-05-01から1ヶ月間の記事一覧
何故かニコラス・ケイジの名前を忘れがち。 その分、必死に思い出そうとするから、顔は鮮明に記憶を。 情けなく、オドオドしていて、 そのくせ毅然としていく、単純な複雑さを持つ役柄とともに。
身分格差がなく、 実力主義でもない時代が、 いつあったというのだろう。 夢の内実だけでなく、 夢の見方そのものも変容させなければ、 悪意の系譜と地続きである。
問題がないわけがない。 ただ、時に問題が面倒なだけだ。 問題自体が面倒を内包し、 そこに面倒臭さが重なって、 ああ、面倒だらけで、 腹を抱えてゲラゲラ笑ったりもしているんだよ。
呼吸だけで暮らせたらいいと、稀に思う。 人生とは遠い場所で暮らせたらと──。
六畳一間のアパートから、中年夫妻が出てくる。 リヤカーを引くウオーキング法で、今夜の収穫物は本だったという。 「酒代の足しになるね」と2人はVサイン。 酒宴に呼ばれ、実話と知った。 さてと、乾杯!
オイラはドラマ、ヤクザなドラマ好き。 「割り込めば渋滞すんぞ、結果、遅れるだけだぞっ」なんぞ路上で思い、 「頭隠さず尻尾隠しやがって」と。 疲れポンチは浮かれポンチのまま、無力を生命力の源とする。
笑って、 腹筋使えば、 メタボもまた、 恐れるに足りず。
ほら、ごらん、あそこ。 小さな虫たちが宙を舞っているよ。 人が簡単にむしることのできる 精緻に美しい羽を使って。 どこまで飛んでいけるのかな、 飛んでいくのだろうね。
強くなることを諦め、立ち尽くしていてもいいんだ。 生きていられるのなら。 弱いまま負け続けて、ダウンしていてもいいさ。 死なないのなら。
高く、太い老木。 遠い未来に訪ねた人のため、 清々しい場所を保ち続けていられるだろうか。 老いてなお、高くて太い、1本の木よ。 たった1度でいい、 その中に入り込み、同化してみたい。
いつも通り、朝日が昇る。 環境問題がかまびすしい時節柄、 大丈夫だとは断言できない。 ただ、比喩ではない、 明けぬ夜はないという、この現実こそに、 人心地がつくのだった。
月とスッポンポン/縄文杉とは逢えなくてもいい。今日も私は私の木に会いに行く/何だっていいと、どうでもいいとは違う/ああミゼラブル!/地上よりやや浮いて走る自転車。どこまでも走っていけそうな感覚がいい/
やりくり下手のまま、 スッテンテンのスッカラカンで、 暮らそうとしている。 実際、暮らしているんだが。 屋根の下、 布団の上で眠ることができている。 上等だ。
今年も、 その月暮らしの、 日々の呼吸。
あはは。夜の街でサングラス、ご苦労さん/街も無料のウオーキングコース/車の横暴から子どもを守る電柱の、看板読みつつ歩くのが、私も好き/根腐れニッポン、気分はずっとルンプロ/吹ける楽しさで、つい口笛さ/
前を行く杖の老婆が、突然振り向き、ニッと笑う。 「この道はどこへ続いているのかね」 答の「駅まで」以上か以外のことを問われた感覚に──。 そうして、軽く汗ばむ日差しの匂いの中、立ち話をしばし。
酔いながらの帰路、「うっえをむういてあるこほほお、なあみだぐぁ、こほぼれないよ〜おに、おほもいだすぅ〜」なんぞ歌いながら、千鳥足で思うはオッチョコチョイな暮らしぶり。そうして、絞り出す元気みたいな。
長じて、私も、多くの大人たちと同様、無力を痛感する事態に見舞われ、絶望するしかない時を持つ。 が、その後、無力のままでも暮らせる道を探ってきた。 五月晴れだ。 まだ死ねぬ。仮に今、死が訪れたとしても。
単に成熟できない老いただけの子どもが、 わたしの中で息づき、 老けられる若さに感じ入っている。 瞬時に、地上にもまだ、 花が咲き誇れる余地のあることに気づかされながら。
自然は刻一刻と変化していく不変。 まるで、あなた。
深呼吸の「深」を、 芯・伸・心・新・真・清・信・森などに 置き換えた呼吸もいいな。
今にも落ちてきそうな満月を肴に、 うつらうつらと杯を重ね続けた。 手のひらを合わせつつ。
善行や悪事もできず、 屈託まみれで、 単に老いていくことを、 決して悪くは言えない、 言えやしないさ。
腹が弛み始めて以降、 自分に対する説得力も軽く失う。 うらめしきは、 酷薄に映る若き薄い腹? どんまいっ!
喜怒哀楽の 怒哀は内側へも溜まっていくが、 喜楽は外側へ発散され残っていかない場合も。 それ故、休日は、 怒哀の消去もさることながら、 喜楽のたえずの再生産を企むのだった。
「洪水のごとく、1人ひとりに押し寄せる“人類の問題”」という解きようのない問題に、等しく押し流されている。流木にしがみつきつつも、浮かび続けるしかないのか。
答を当てにはしていない。
酒を呑む理由はあまりに多い。 生きる理由と同様に。
人もなまもの、剥き出しのにおいを気にしても仕方ない。
毎日、何かを準備している。