2016-03-01から1ヶ月間の記事一覧
今の時代に遅れている? 遅れた時代なのかもよ。 むしろ、わたしたちの時代こそをと。 いや、わたしはわたしの時代を生きていくだけさ。 だからさ、大統領暗殺や3億円事件、コミューンや解放も終わっていない。
人は、血が詰まり流れる肉。 と同時に、呼吸という風を吹かすこともできる。 実は、肺だけではなく、どこからか吹いてくるのではあったとしても。 血のにおいがする風。 今また、ジワリと漂ってきているのだが。
働き通しだ。 身心のバネを保つためには、きっちりと休むに限るか。 ただ、どのように? 難しくもあり、簡単でもある問いだ。 つぶれる前に死んでしまうことがないよう、少しずつ歩んでいくしかないのだったが。
あれがさ、溶解したって、いつの話だっけ? 今どうなっているのか、分からないらしいよ。 人と話すことでもないのかね。 みな、何ごともなかったかのように足早に歩いていくよ。 何処へ行こうとしているのかな。
想い立ち、林の中へ。 どんどんと入って行く。 静かだ、耳鳴りしか聴こえないほどに。 そうして、二日酔いを想い出したように体感、爽やかに具合がよくない。 苦笑しつつ、切り株に座り、涼風に身を放っていく。
桜のみならず、いろいろな花が咲き出している。 まるで花のリレーのようだ。 花が花にバトンタッチしていく季節。 四季のある日本に春が到来? むしろ、地球の物語を実感、杯へと自然に手が伸びていくのだった。
日本にはかつてない層が登場を。 超高齢者層だ。 今や高齢者階級と言ってもいいのではないか。 今は生きているが、いずれ病み、死んでいく階級。 仮に他世代との闘争を招いても、長く続かない特徴を持っている。
空腹が嫌だった。 寒さもまた。 何もかも忘れて、熟睡できないのだから。 清貧の暮らしぶりは心地よいが、為政者が勧めることではない。 土を柔らかくするために耕す喜びを、労わりつつ働く過程で体感してゆく。
年金受給開始の年齢は上がり、額はダウン。 保険料や医療費もアップしていく。 しかも、介護サービスは低下、おまけに、さまざまな福祉はカット。 生涯現役は喜ばしいが、つまりは為政者たちの都合? 「ったく」
桜の名所の素晴らしさ。 恍惚、とろけるようか。 が、出かけるわけでもなく、そこらを歩くだけだ。 天候に体調、何より懐具合が十分ならば、それでよし。 何より桜とふいに出喰わしたときの、甘い驚きこそをと。
生死の意味など、ときに単なる言葉の綾。 考えなくていいように考えていくのだ。 考えだけなら数え切れないほど浮かぶ。 むしろ、為政者をどうするかだ。 張り倒されて骨折、寝たきりで死ぬのがオチだろうが。
労働も墓参もやめ、飛び出した。 たどり着いた場所には露天風呂。 のぼせる手前、大の字で横になれば木には小鳥。 視線が合い、何も考えることはない、考えられない。 「んじゃ」と、またしても湯に向かうだけ。
実は打たれるわけにはいかぬ春の雨。 肩が濡れていく。 走り抜けることもできぬまま、「今のままでいいのか」と。 追い越すことばかりの身体だらけの中、乱立するビル群。 問うまでもないことを何故感じたのか。
介護というが、戦争と言い換えてもいい。 闘争というが、介護という場合も。 「いい場所は、そうそうあるわけねえよ」と。 負の事態の定義で明け暮れるわけにはいかぬ。 そも、やけくそでつい、笑ったりもして。
歴史の改ざん――。 そも、終戦ではなく、敗戦である。 他者のことはついに分からないものだろう。 が、しかし、他人を知ろうともしないのは、どうかと。 敗戦国のままで、「いいんじゃあないのか」と想いつつ。
人はいずれ死ぬ。 が、いつか不老不死も実現する? そのときの怖さは、どのようなものなのだろう。 無限と同様、微細には想像ができない。 ついに、生や死への阿鼻叫喚もよしとできる場所まで行けるか、どうか。
会社が疲弊して消えていく。 が、問題は過程にある。 ヒソヒソ話に井戸端会議、果ては自家撞着の議論――。 要は、破産する前に、すでにして壊れているのだ。 つまり、つぶれてしまっていて、つぶれるのである。
かつて、給料日の翌日から給料日前だった。 今は、給料日当日から給料日前みたいな。 このままいくと周回遅れの、給料日前日が給料日前という悲しくも寂しい状況に? つか、毎日が永遠の給料日前。 どすこいっ!
落とし物をした。 鍵が3つ付いたキーホルダーだ。 届出に警察へ行くしかなかった。 すると、刑事が少女に向かい、「2度としちゃあだめだよ」と嗜めている場面と遭遇。 「はいはい、分かりまちたのトテチテタ」
毎日、夕焼けを眺められる人生。 豊かなのだと想う、贅沢でもあると。 ゆったりと杯を傾けながら、消えていく陽射しを眺められる日々。 相変わらずの野望である。 今日もまた、追い立てられているというわけだ。
今の技術なら国外の番組も視ることができるのに、できないのは家庭に国境線があるから。 そう、詩人が記していた。 今や、今も国内に国境線。 いつもどこかで何かが起きている。 浮き足立つが、跨げない国境線。
留守番電話に声が残っていた。 一聴したものの、よく聴き取れない上に、そも、覚えがない――。 「一体誰からだろうな」 先方が最後になって、偶然笑った。 そこで、懐かしさが、一挙に押し寄せてきたのである。
席を譲るべき人に譲らない問題を、世代論に収斂させてどうする。 単純なことだ。 車内状況、眼前の人との関係、今の体調などをひっくるめてのことである。 超高齢社会だ。 優先席と一般席を、取り替えればいい。
「あれっ」 自転車に乗っていたとき、反射神経の衰えを痛感。 速度のみならず、曲がり角にも要注意だなと。 ヒヤッとしたのだ。 そも、ブレーキはすぐにいかれるものさ、老犬になり走れなくなってしまうが如く。
通勤時、爺さんを視掛けた。 アパートの入口付近、行き交う人々を漫然と眺めるばかり。 ただただ立ち尽くしていた。 通り過ぎるとき視線が交差。 爺さんの片目がわたしを追い続けていると、背中で体感していた。
両親が2人でよかったと、ふいに。 何せ、視界に入ったもの。 数が多ければ、愉しかった可能性は高いものの、もはや両親ではない? しかもだ、看取る数が多くなり、悲しみは増えるばかりか。 それとも、慣れる?
出来るなら生命が悦ぶことを。 ただ、どうしたら出来る? まずは身心をほぐし、ゆったりと座って呼吸に意識を向ける。 結果、呼吸が深くなり、気分が穏やかで清涼ならば、まずまず。 悦び始めた証しなのである。
ああ言えば、こう言えるし、そうも言える。 嘘かも、本当かも、ただどうだろうと。 つまりは何とでも言える? そうとも言えるし、そうでもないようだし、そんなところかも。 石の上に座り、還暦はとうに越えた。
拝啓 春めいてきましたが、変わらず寒いですね。 春を越えて、夏こそ待ち遠しいのですが、すると秋の声も聴こえ、冬の気配さえ。 結果、春を待つしかないのかと。 ここで大過なくお過ごしをと相成り候の、敬具。
好き嫌い同様、損得も、実は盲目。 血走った脚たちが小走りで陣地を確保しようとしているだけだよ。 ときに全身の力を、脱力に向かわせること。 いい悪いではなく。 立っている場所を確かな安息地とするために。