2018-07-01から1ヶ月間の記事一覧
調べているだろうか、とことん。 外国語に長けていないが、それでもできることはある。 自ら率先して調べ切るのだ。 そうして、味方の批判に耳を預けていく。 まず、自分にフェアである場所を確保していくのだ。
身近な者が殺されたら私怨で走る――。 が、走れるのだろうか。 そうした中、オウムの事件に関して特に走ったわけではない。 しかし、地続きなのだ。 誰もが、教団の手にしたお札を使った可能性はあるのだった。
食べたいものに群がり、列まで作って。 嫌なこった。 知りたがって見たがってさ、そうして出来合いの観光地へ行きたがる。 何だ、集まりたいのか。 目立つ名もなく、誰もが生きられることこそ愉しく、楽なのに。
基本的人権という。 ただ、この言葉が発明される以前から、人の基本の権利はあったのである。 そうでなければ現在はなかっただろう。 子は生まれ、育てられてきたのである。 暑い夏にも乳は与えられてきだのだ。
花などの写真を撮るとき、やはりウキウキしているのではないか。 そうでなければ撮らないだろう。 撮影するだけで、すでによしなのだ。 結果は、どうであれ。 カメラを持たず、歩くだけでも愉しいのではあるが。
過去の前衛も現在の当たり前に。 しかも、未来には存在していないかも知れない。 とはいえ、それでいいではないか。 今をイキイキ、ワクワクとさせてくれているなら。 夏さえ乗り切れない階級・階層もいるのだ。
まずは言いわけをして、隠蔽も。 しかも、嘘は当たり前で、ついに脅しまで。 威嚇された日にはたまらないよな。 国家レベルの話ではない、身近に偏在する排他性のことさ。 思い浮かぶ顔はあるが、忘れていたい。
人に必要なもの。 お金に地位、健康。 分かるが、ただね、2百年は生きないのだ。 過去・未来の接続点としての今日、すべきことは多々あるが、たまには深呼吸を。 青空を眺めて、涼風を浴びることは大切なのだ。
高齢者の仲間入りの年齢が近づいてきた。 とはいえ、今も目標となる人々はいる。 要は、なりたい人か。 そうした人を、互いに示し合うだけでも、違うはずだ。 もっとも、道徳・倫理の領域では息苦しくなるだけ。
自分を褒めてくれた言葉。 得意げに語る御仁がいた。 うなだれてしまった由縁は簡単である。 ヨイショは役に立たないからである。 失敗を開示して、どう立ち上がってきたかという話こそ、蓄積されていくだろう。
暑い日々だ。 「寝た気がしないわよね」と彼女。 「ああ、毎晩、寝苦しくてさ」 「そもそも、寝ていると、意識がないものね」 そうして言うのだった、「熟睡できると、眠っていると分かりにくいものよね」と。
要は、雰囲気なのだろう。 まずの評判を得る方法か。 そも、価格さえ高いとは感じさせない印象を撒き散らすのだった。 ただ、「もういいよな」と何度想ってきたか。 実際、サングラスだって百も必要がないもの。
「入りやすい店が繁盛するんじゃないよね」 彼は穏やかに語った。 「実はさ、逆なんだよ」と言う。 「出やすい店こそ、人が集まりやすいんだ」 視れば、棚を巧みに利用、出口へ向かう道が4つもあったのだった。
要は労働にありつけていること。 お金が必要だ、暮らしていくうえで。 そうして、健康もまた、求められている。 唄にもあったが、毎日まいにち、その繰り返し? そうだよ、ただ命は消費だけに使うものではない。
「長生きは偶然」という方がいた。 そも、「目的ではなかった」と。 そう言い、歯のない口を開けて笑った。 「手段でしたか?」とつい聴きかけたが、つられて笑うばかり。 かくして、夕陽は赤く、落ちていった。
1対1になったとき。 良心を感じられるなら、それでよし。 自分に向かっても自分を育んでいるからだ。 が、今やグローバル化の下、損は忌避されるばかり。 損でないものさえ損とされ、相手のいない忖度もまた。
年寄りは自分を年寄りとは思っていないものだ。 今夏65歳になるわたしがそうである。 老後など、あり得ない家計状況だ。 買い物は苦手だが、消費の前線で年を取れないまま萎びていくばかり? ときに大笑いして。
著名な方が亡くなったときの追悼文への軽い違和感。 例えば世紀のピアニストなら、「あの世でも弾いているだろう」といった類の言葉。 嘘さ。 死ねばピアノは弾けない。 だからこそ、そこでどう偲ぶのかなのだ。
図書館に収納された本。 が、ウェブやメール等々で、より多くの言葉が日々、舞っている? そも、人口は増えて、日常語、ましてや沈黙という言葉の情報量は膨大なのだ。 言葉によって動く、立ち止まりつつもなお。
肉の小舟という借り物の、間借り人なのだ。 脳と心、身体の三位一体に想いは馳せている。 しかし、止揚は、ほとんど考えない。 ただただ漕ぎ続けられればいいのである。 そうすれば、これ幸い也と言える現況か。
昨今、何が変化した? 例えば建前さえもが壊れたかのようである。 結果、本音も堂々巡り。 白々しさが虚ろになり、不明確で奇妙、空虚な笑いさえわいてくるのだった。 建前の大切さに今、気づかされるとは――。
この時勢だ、反骨でなければ? 確かにそうなのだろう、いや、そうだ。 とはいえ、骨折り損のくたびれ儲けとならなければいいのだが。 そのためにも、根源へ向かう反骨でなければと。 ポイントは、骨休めである。
いるのだ。 最低のさらに下が。 権力者はもとより下層階級にも。 近づきたくないなと。 そうした連中に否定されても構いはしないが、「しまった」というときも。 だからといって、友好的になられても困るのだ。
いる。 何故か強がり、しかも粋がり、すごむ者が。 景気づけとばかりに、反抗してみたり、過激ぶってみたりも。 が、大切なのは、根源である。 中途半端に卒業されたのでは、いたたまれないときがあるのだった。
公平は無理? 無視しているだけではと。 杜撰なときがあってもいいが、穏やかな気遣いから始め直して欲しいのだった。 自分にかまけず、自分を見失わず。 入道雲の先から放たれる光が、一段と強くなっていくよ。
「医療従事者は人間の格が違う」との発言者が誰かは忘れた。 が、言葉は記憶を。 実際これほど必要な職業も少ないだろう。 倒れた方に手を差し出すのが当たり前の人々。 責任の意味を体現する方が多いのだった。
惨めで哀れ、しかも寂しさはいつものこと。 気弱だし、お金に関しても心もとない。 「でもさ」と彼。 「そうしたことって、誰もが体験するんじゃあないのかね」 「いいや、そうでもないさ」とわたしは苦笑した。
「世間が許さない」という言葉。 どうなのかと。 世間ではなくて、発語者が許したくないだけではと。 世間が許さなくても許すときはあるし、その逆もまた。 許さない・許すという言葉自体、不思議なのだったが。
老後とは何か。 老いた後と書くからには余生とも言えるのだろう。 が、よく分からない。 毎日毎日、今日を生きていくだけではないのか。 いわゆる老後がない下層労働者の僻みと言われれば、苦笑するしかないが。
親に反抗する子は、視たくないことがあるのだ。 例えば親のあくせくする姿。 負けていく姿もまた。 隠していても背中から滲んでくる敗北の臭いを嗅ぎたくないのだった。 「反抗ぐらいちゃんとさせてくれよ」と。