2017-05-01から1ヶ月間の記事一覧
命を預け合うことが、欠落してしまった。 幾度でも言おう、どの顔にも失業の影が射していると。 明るい未来を手中におさめている、あの青年にしてもだ。 言い掛かり? そうかも知れないが、言い切れるだろうか。
自力でも他力でもいいのではないか。 まずは存在の悲しさを知ることだ。 そうして、互いに敬う。 「それだけでいい」と感じるときが増えた。 そも、自力、他力がうまい具合に作用し合うことを願うばかりなのだ。
春風駘蕩という言葉と再会した。 暑い日々を待つ頃合いなのに。 食道楽ではないものの、稀に帰路に一献、舌鼓を打つ。 酒仙李白には遠くおよばないが、いいではないか。 友との歓談は春風を呼び覚ますのだった。
「ときめきが必要なんだよ」と彼。 「生きていく上での、はりが大切」というのだ。 「ときめきにときめくこともないな」と応じた。 「何もなくて生きられればいいし、これで何とか居場所は作っているんだぜ」と。
目をそらすためならニュースの1つもこしらえるのが為政者。 昔なら新聞の1面に載っただろう事態が次々に勃発。 でっち上げを含めニュースだらけ? 裏読みせざるを得ない今。 いや、言葉が生まれたときからか。
めそめそするんじゃあない。 哀しみや感傷は捨てられないけれども。 そうさ、冗談にもほどがあるよな、まったく。 勝手にあいつだけが出ていくなんて、タチが悪いよな。 お前やおれが「逝ってもよかったのに。
自転車で徘徊中に、大雨に打たれた。 ビショビショになったが、冬ではない上に天気雨。 しかも、今夏64歳、「何を今さらだよなあ」。 どうやら虹も出たようだ。 やけくそという自浄作用はもう、長く続いている。
金はない、将来もない、しかも子どもはまだ、養育中だ。 おまけに体力も激減。 結果、調子のいい連中は、視界に入れたくない現状である。 とにかく時間もない。 目の前の酒、1杯の酒をじっくり味わう暮らしだ。
放っておくとどうなるか。 差別を助長させるばかりではない。 差別そのものとなり、区別にさえ結びつく。 老いて分かったことは少ないが、日々の辛さがひどく辛いとは知った。 吐き出すにも吐き出す場所がない。
重要なこととは何か? 要は大事にされているか、どうかではないのかと。 善意の嘘や悪意の真ということさえ頓着しない、咄嗟に手が伸びる身体。 晴天が気持ちがいいばかりとは限らない。 が、晴天は晴天だろう。
憲法に守られている感覚。 このご時世だもの、余計にね。 無論、人が人を守るのではあるが、そう、記したくもなるではないか。 市井の暮らしを責めたくはない、いつまでも。 今や、今もテロを受け入れる状況だ。
大量殺人犯より人を殺していい場合が。 戦争だ。 今はどうなのか、実際のところ。 国全体が心的外傷後ストレス障がいに? 死ねば兵士をやめられる、つまり死なない限り兵士のままということなのだが、嫌だよな。
傷つけたわけではない。 が、突然、心の底にある気持ちに気づくときが。 「そうか、おれはもっともっと、望んでいたんだ」 5月の匂いを嗅ぎながら雨の中を歩いていた。 靴の中はビショビショだったが、晴々と。
都市部を歩いていたときのことだ。 鼻をつく、においが漂ってきたのだった。 ジャングルの気配がしてきたのである。 周囲には数本の樹木。 ステップは踏まなかったものの、「5月だな」と身心は踊り始めていた。
気象もデジタル化。 事実、暑いか寒いかの2つしかないかのよう。 資本主義の次のグローバル化を象徴? 貧困とテロは混在しているのだが。 貨幣化はすでに長く身心におよび、誰もが失業者の横顔を内包している。
いつからだろう、簡素で美しいことに惹かれるようになったのは。 安定を求めるようにもなった。 ひっそりとした存在はすこぶるいいなと。 パッとしない? いいんじゃあないのか、なかなかできることじゃあない。
もはや年が取れない。 いや、幼いまま、成長できないのだった。 資本制が、たえず消費の前線に立たせようとすることも誘因だろう。 なまじ成長などしようものなら、消費の罠に気づいてしまう。 今日は買わない。
望みの性とは何か。 正体を失うこと、つまり生きている死? 「個体という実は普遍」という物言いは認める、動詞であるならば。 動詞は絶えず死を繰り込んでいく。 そうして、性という生を十全たらしめていくのさ。
本の拡散は、ぶつからない? 本という媒介のよさだろうか。 が、大量生産は、どこかそぐわない。 そも、エコ・ビジネスは形容矛盾、いや、あり得ない。 手渡しされたがっているものにこそ、食指は動くのだった。
電車で座ることができた。 目の前には小さな画面に向かう人々。 魂とは言わないが、身心とは言いたい。 身心が収奪されていくばかりではないのかと。 車窓の外には、その日だけの晴天が広がり、雲が流れていく。
1日のうちで印象的なシーンはいくつも。 例えば朝陽が昇るとき、夕陽が落ちるとき。 慌ただしい日々に味わうこともできない? 就寝時、電気を消す際、現出する闇があるさ。 目覚めたとき点けた電灯の明るさも。
一生ものという言葉がある。 実は一生ことでもある一生もの。 忽然と気づく、仕事探し、これだと。 安穏と隠居はできない状況なのだった。 自ら創出しろと言われても、才覚はなし、日々職探しの心境とも言える。
老いれば小さくなってしまう。 要は縮んでしまうのだった。 曲がったり、歪んだり、壊れたりも。 栄養失調も現出して、まったく骨が折れるのだった。 実際に骨が折れやすくなるのだから、困ったものなのである。
昨今一番の悩みとは? 争いへの過程や健康診断の結果など、あれこれ。 が、今朝の便秘が問題なのだった。 食生活の乱れもあるが、基本は生活リズムが崩れる誘因、ストレスかと。 まだ大病ではないはずなのだが。
困ったまま、老いて、くたばっていくのだろう。 両親を看取ったが、何よりの贈り物だった。 死ぬ過程を開示、死への想いが変わった。 死への過程を率直に見せられたらなと。 教育として、これ以上のものはない?
郵便はがきが52円から10円上がると聴いた。 連中はぼけをかまし、何でも年金さえ博打に使われたとか。 国は売られていくばかり? 今後も忖度で上納、ますます重く淀む。 暮らしている場所はもう粉飾の対象。
市民農園で畑を。 趣味と実益を兼ねているとはこのことかと、あらためて気づく。 土を訪ね、土に尋ね、やわらかく掘り続けていく。 すると、どうだ、凍えていた血液が温まる。 ときに姿勢を正し、背を伸ばす快。
一部の連中だけが呑気を満喫できるご時勢だ。 ふと、『今日を生きる』という映画、『今日を生きよう』という唄を想い出す。 が、今や、いや今も、今日を生きるのに精一杯。 居直っていくばかり? そうさなあ…。
中学を卒業したばかりの子どもたちを働かせていた時代。 「随分と荒っぽかったな…」 いや、もっと過酷な時代もあったし、今も続く。 食べなければ生きてはいけない。 当然だが、大人たちとまったく同じである。
今夏64歳になるが、老後を考えることはできない。 昔でいえば老後の年齢なのだが。 いや、死んでいて不思議ではない? もはや、のんびりした老後はない。 そも、この国より、死のほうがやさしいときさえある。