2014-02-01から1ヶ月間の記事一覧
蛆虫が湧いてくるばかりじゃあないか。 そうした折、思う存分生きるという、実は曖昧な物言い。 支えているのは、反復としての作業。 喜びとしての怠惰も見失わないことだ。 はた迷惑でないズボラの清々しさも。
汚染されていた国土――。 地上では、核実験が数多く行われてきた。 日本人の死亡原因に癌が多いことを思い出す。 確かな因果関係はないとのことだ。 が、「もし実験が行われていなかったのなら?」と身震いを。
歩くことの実態――。 1歩いっぽ、その都度、歩き出すことにある。 頂上だけに集中することなく、歩き出す。 躓くことを避けるために。 空を横切る鳥を眺め、土の中で眠る動物を感じようと、歩く、歩き続ける。
尽きぬ歓びに裏打ちされた人生。 密かに希望を持ち続ける努力を怠らない才覚があってこそ? 大胆というが、大きな胆力にも限界が。 時間と貨幣の関係を見据える。 すべてには裏があるとの認識を超えていくのだ。
朝は決まって分断されているから、手を引く者もなく、盲人が心許ない歩行を。 明白な空虚、重い無視。 アルコールも微かに臭ってきて。 「ここに、いつまでいればいいの」と席を空ければ、子どもが座ってしまう。
気重なまま見舞いへ。 「見ることを舞うとは、これいかに」と病人が笑いを強要してきた。 さぞ暗い顔だった? 「病院へ来れば治ると思っているだろうが、細菌に汚物、しかも病人だらけなんだぜ」と、呵々大笑を。
厳寒と言っていい夜のこと。 思い立ち、窓を大きく開け放つ。 月をしばし眺め、星々も追った。 ただ、それだけのことをした一夜。 そうして、布団を敷き、新しいシーツのシワを伸ばしてから、窓を静かに閉めた。
燃え過ぎては危ない。 跡形もなくなる燃え方は、美しくないより何より、2度と燃えることができないのだ。 ヴィジョンなき森にいる。 が、森自体がすでにして、ヴィジョンなのだ。 足もとの火を自ら消していく。
思想の停滞を嘆くことはない。 状況が改善されていかないのだから。 むしろ、思想だけ突出するほうが奇妙なのだ。 まず敗北や失敗を憎悪で隠さないこと。 打ちのめされたままで、なおも踏み出していくしかない。
志向したのは、運動のための運動ではない。 単に閃いて、思いついたことに魅了された? 退廃でさえ笑い合うことができたのである。 今や反論の1つ、発語されるだけでいい。 それほど、がんじがらめなのだから。
土から離されて、今ここにいる。 曲芸には感嘆するが、興味があるのかどうか、分からないままだ。 咲いたばかりの、野の花を前にして。 陽がかげり始めていた。 夜中もまた、同じ場所で咲き続けているのだろう。
語学を学びたい。 千年後の人々と語り合えることが可能な訓練校は何処? 労働も学び直したい。 求む! 残したいこと、残すべきこと、残さざるを得ないことを、互いに作り出す広場。 広場である訓練校を夢見る。
雪が断念と悦びをもたらす。 路上では、気にせずぶつかってくる人、狭い場所を穏やかに譲ってくる人。 ドタドタと、オドオドと歩き続ければ、汗。 いつしか歩行のリズムが生まれていた。 「そうだ、この調子だ」
自らにも言い放つ、「黙殺されて諦め、どうする」。 そも、撲殺されて思想が残された者も。 果たして極端だろうか? そうかもしれないが、思想とは姿勢のことではなかったか。 途方に暮れても、腐らないことだ。
逆上せている期間は短い。 その後の退廃期、いや、敗退期こそ長く、困惑と卑屈、怠惰を伴うのだ。 だから、美味しい食事を作ろう。 いや、食卓を囲むのだ。 命の会話へと進めば、因業な表情を忘却できるだろう。
うすら寒く、湿気が充満。 だから、この国では湯が長く愉しみだった。 しかも、胃弱の国民性が憂うつを再生産。 知っているよ、熱い湯に浸かるだけではもう耐え切れないと。 だが、朝陽は娯楽にはできないのだ。
「ぶっ殺してやるっ」 満員電車が揺れたとき、男の口からもれた言葉には酒の臭い。 目は充血、両手は震えていた。 ほどなくして駅に停車、男も、わたしも押し出されてしまう。 男は呆けたように泣き出していた。
常識や良識、見識は大切だ。 が、どれも役立たずか。 みっともなくても、みじめでも、みすぼらしくとも、ケッ、構わない。 せっせと働き、生きていく。 一口だけ残しておいたコーヒーを飲み干し、飛び出すのだ。
寒い日々に思い出す。 「百年後の人々と、すでに出会っている今の暮らし方を」と記していたと。 百年前の人々の呼吸を伝えたかったから? 思い出す、寒い日々を。 地上が存続できる方途の創出を志向する人々も。
最適の選択? 実際にあり得るのだろうか。 むしろ、少しでも息がしやすい方向へと歩み出すしかない。 選択後はまた、新しい問題と対峙せざるを得ないのだ、いつだって。 途方に暮れて断念する、断念できないと。
読みたいものを読みたい。 読みたくないものでも必要なら。 実は、読んだことのないものを読みたい。 いっそ読みたくない、何もかも。 そうした状況下で、記してきたし、今、記している、記していく過程にいる。
「寒いね、とっても」 「身体は縮こまり、気持ちまで塞いで来て、心細くなるばかりだね」 「どうしたらいいのかな」 「バラバラなのが原因かもしれないよね」 「まだ寒いんだ、もっと身心を寄せ合っていこうか」
大丈夫だ、危険なものは自ら隠れているから。 危ないものは隠されているとも言える。 不安を覚えることはない。 気に病むこともないのである。 気づくまでは平気だし、気づいたとき最悪になっているだけなのだ。
原発促進に東京オリンピック開催。 TPP推進に秘密保護法成立も。 基地問題に憲法改正さえ。 靖国参拝に徴兵制の話も出て来た。 「自由の敵に自由を許すな」という、昔むかし出逢った言葉が身心を突いてくる。
山へゆっくり入っていく。 陽だまりを求める無意識が先導者。 法悦とまでは言えぬ。 が、危険もある中、安心してしまうのは何故だろう。 グルリの自然が、帰っていく感覚を目覚めさせてくれるからと踏んでいる。
冬の公園、それも夜の。 そうした類のタイトルを持つ本があれば買いに行こう。 内容は愛か謎か、寂寥か含羞か。 手にしたら、湯を沸かしてお茶を一口、ページをめくり始める。 夜の公園、それも冬の月光の下で。
敗北が暮らし方に反映されてこその、進展? いや、滋味。 まずの話が、負けを認めなければならない。 どれほど認めたくないのだとしても。 駄々っ子の如く、今も征服を考えているのなら、マネーさえ去っていく。
車窓からうかがえる山並み。 雪をかぶり、陽射しが反射、目を細める。 「あそこを歩きたいものだな」 心配ごとがなく、清涼なる場所を彷徨う悦び。 しばし山を着る感覚に浸れば、労働へと向かう想いも定まった。