死の恐怖?
死ぬのに一生懸命のとき、それどころではないのではと。
余裕があるとき、初めて死の恐怖も?
今、想うことは、人はみな、死んでいくという実に当たり前のこと。
当たり前の不可思議さに翻弄されて。
▲『木肌』(写真)
桜が散った。
その後の樹木。
まるでアート、いや、これこそが?
眺めていて、飽きない。
www.youtube.com【争いとは対極のことに/今日も少しだけ】
名人の舞い。
武道の達人も見惚れるそうだ。
何で知ったのか、忘れた。
かつての武道の達人が、晩年、健康法などの流布に邁進したという話も想い出した。
合気道など、戦時の反省のうえに立った云々というエピソードもあったなと。
身体。
舞いや健康法など、争いとは対極のことに、もっともっと使われればいいのにと。
そのための武道。
そうした領域があってもいいのではないのか。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「さてっと」】
今日もよく働いた。
身心にちょうどいい賃労働とは?
1つの、いや、究極のヴィジョンかと。
佳き日々を。