2015-06-01から1ヶ月間の記事一覧
「心は脳だけではない」との言に、「そりゃあそうだ」。 遺伝子なるネットワーク型互助組合。 目の心、耳の心、鼻の心、口の心、皮膚の心。 みな、穴だが、穴は存在しないことで存在を。 思わず、「愉快だぜ」。
家はなくとも扉があるといい。 その扉は、あくまでも外へ向かって開かれているといいのだが。 ときに泣きたくなるほどの美しい小さな自然が視界に入る。 その香しさはもはや信仰の対象の如し? いや、親なのだ。
指を折って、数えることを学んだ記憶はない。 が、今もするときが。 すべてを教えたり、学んだりすることはできない。 が、生を実感することは可能だ。 大笑しながら死んだ者との出逢いは、ないままではあるが。
目には視えない大切な事物。 数え切れないほどだ。 例えば見返りを拒否する、ねじれた真心が頼もしいときも。 そも、命にしろ視えては来ない場合が多い。 汗を拭い、命を実感しつつ、「命とは?」と問うていた。
経済の、それも算数レベルの歯車となる日々。 カーテンに隠れる愉しさを想い出していた。 発見される悦びの擬似体験? 布1枚と戯れつつ、陽射しを受け止める快も堪能していたのだ。 命がけで笑うこともないよ。
人にとって大切なことは、いつか届くだろう。 暗がりで生息している人々、いや、わたしにも。 そうした確信に近い想いが湧いてくる。 晴れた空に適温、心地よき風。 呼吸がスムーズにできる日を夢見ているのだ。
祈る。 時間が迫り、電車が定刻通りに到着することは、もはや祈りの対象だった。 案の定、遅れ始めていたのは、今日もまた、人心事故ゆえ? 電車を無事に降りて走り出す。 嗅ぎたくない臭いは、増え続けていく。
善き人は少なくない。 が、お金はなくても、身銭を切る者は? 微小な加害に自覚的で、見て見ぬふりができない者は? 根源の犠牲を緩和しようと、手を動かす者は? 関係の内外で善き人が罪を重ねていく日々――。
高齢者が息を、言葉を、声を呑み込む。 事故、いや、事件には至らぬ寂寥の救い。 詫びず、悪びれず、自転車は逃げ去る。 犯罪者の無視には囲い込む視線の束を? いいや、隠れた無意識の悪意とのサバイバル戦だ。
視続けてきたこと。 受容し続ける心持ちを、ときに失い、悪が悪のままの日々。 すべてをいい経験には転化できない。 怒りさえ奪われるときも。 忘れられないが、忘れている場合もあり、ふと和らぐことさえある。
親離れ・子離れが大切だという。 実際のところはどうなのか、理解できないでいる。 そも、離れるつもりなど、ないのだ。 自立・自律の重要性なのだろう。 が、離れなくともできるし、事実、離れようもないのだ。
何を言ったかも大切だが、どう話したかという点が気になる。 語り続けるより、何に興味を示していくのかにも。 耳を、預けること。 話し合うより、確かな言葉が伝わるときがあるのだ。 絶景の中にいたとしても。
もう慣れただろうか、追い抜かれることに。 25歳のきみは杖をつき、歩いて行く。 一歩いっぽ踏み締めつつ。 以前と街の感じ方が違うという。 教えて欲しい、今、視たものを、視えるものを、視えて来るものを。
どうにかこうにか運ぶ重い荷物。 彼は決して止めない。 理由は簡単である。 重い荷物を置いてしまうことこそ、実は重い荷物になると知っているからだ。 「自分のことさ、あきらめちゃいないよ」と言うのである。
硝煙の臭いが漂う食卓にいたくない。 陽気なのではなく、単に明るいだけの街にもいたくないのだ。 紫陽花の傍らを通り過ぎるだけ? それでも、一瞬で網膜に焼き付けていく。 降る雨が黒いかどうかも分からずに。
瞑想とはどういう事態? 何ごともない、ないことさえない流れのこと。 空虚と言えば空虚な矛盾の合一、愉悦への一里塚。 言葉にすると妙、言葉が消えた言葉の世界をも内包しているのだ。 閉ざして開かれる営為。
雨で多少肌寒かった日に思った。 「過ごしやすいな」 暑いときの涼風や、寒いときの陽だまりもいいだろう。 が、薄着でも過ごしやすい気候のほうが、楽だ。 ストレスが1つ減った分だけ、息がしやすいのである。
まごうことなき老いが内側から。 腹筋力の衰えだけではない。 身心のバネがのびきったと体感する日々だ。 内臓の老いが夢もまた、萎びさせていく? 外側の小さな自然に包まれ、陶然とすることはできたとしても。
作品と作者は別。 が、もはや善き人の言葉しか読みたくはない。 性格が基準? そうした不確かなことではなく、絶望の質・量のことを言いたいのだ。 あきらめず、闇を正確に見据える人の言葉を読みたいのである。
生きている間に接したいものを読み切れない、聴き切れない。 焦りはないが、残念なことだ。 しかも、今日も増えた浴びたい言葉の数々。 つまり、見切ることができていない? 前のめりは否定せずに、味わうのだ。
息苦しいな。 勝手に脳髄が呟き出し、抑圧された身体に気づく。 身体化された抑圧が自分となり、約束のため歩いていることにも。 陽射しが強くなってきていた。 せめて身体をほぐしてから、目を閉じてみようか。
特に視たいわけではない。 が、一生に1度、自分の顔を己の眼球で視てみたい。 机の上には、鞄から取り出したカメラ。 「愛用のカメラで愛用のカメラを撮ることと同様、無理な相談か」 レンズと眼球は求め合う。
小道を歩くことが好きだ。 道のりが、概ね、短いので残念だ。 だから、束の間、味わうのだ、愉しさを瞬時に思い出しつつ。 止まるも進むも、勝手気まま。 小道を歩くことが、やはりどうしようもなく好きなのだ。
ニュースは伝えるだろう。 「行楽日和です。事故には気をつけましょう」 犯罪最新情報や猟奇事件簿、何よりたった今、発生した戦争の原因は? 箸を休め、窓を開ける。 何のことはない、今日もまた働くしかない。
音が疾走し始めれば失踪さえ辞さない勢いだ。 バードが泣く? 芸ではない唄が走り、跳び、薬物混じりの血がほとばしっていく。 技巧など、とうに、遥か彼方へと行ってしまった。 笑っちゃうよな、素晴らしくて。
猿の脳を食べたことはない。 オーロラを視たこともないし、万里の長城へ行ったこともない。 古文書を読み解いたこともなければ、楽園にいたこともない。 が、その存在は知っている。 一緒くたにして暮らしつつ。
誰にでも、何処にでもミスはある、発生する。 だからこそ、事前に解決法をきめ細かく練り込んでおくのである。 それさえ忘れたのなら? 事後、具体的な改善策で、対応していくしかない。 朝陽を迎えるためにも。
どうにか座ることができた。 が、1度座ってしまうと、立ち上がるのが難儀になるものである。 立ち続けることもまた。 いつのころからだろう。 記憶は朧だし、記録もとっていないが、3月12日以降一段と――。
「断言するな」と想ってきた。 「言い切れるわけがない」と言い切って来た? が、現首相は戦犯の道を歩むとは断言したい。 言い切らざるを得ない、断言するべきだ。 ごらん、あのチョビ髭を剃った嘘つきの顔を。
傷を負う。 放っておくとどうなるか。 痛みが少なければ、しばし眺めていたいときも。 無論、見詰めてばかりはいられないのだった。 が、夕陽が差し込めば、傷口さえ、麗しくも、美しく輝かせるときがあるのだ。