2018-11-01から1ヶ月間の記事一覧
たいしたことは言っていない。 が、聴き惚れることがある。 語り口や、何より声によってだ。 すかしたってダメさ、煙に巻こうとしても。 身心全体から、切実な言葉が発せられたとき、ふいに捕まってしまうのだ。
撮影地は教えない――。 「危険だもの」と彼女。 が、居場所を割り出すことは可能だろう。 倒す技術は、想像を絶するところまで行き着いているのだ。 暮らしの中の便利なあれこれを視て、ぞっとすることがある。
大人になるとは、何か。 怒りの対象を間違えないようになることといった文章を読んだ。 うまいね、図星だねえ。 が、その手の人生論は隠蔽に使われるだけだ。 怒りの対象は概ね、為政者である点は忘れないこと。
まとまった文章をスッと読めなくなったときが。 加齢で使えなくなってきた臓器が増えたのか。 それもあるだろう。 が、ウェブで見出しのみを読んだり、飛ばし読みする習慣が誘引か。 夜遅く、朗読をこっそりと。
人が人を貶めてどうなのか? 心底愉しいのだろう。 だから、するのだろうさ。 ヘラヘラするには無残だが、怒るにはバカバカしいとでも言いたくなる。 相変わらず、戦争でも起こればいいとの想念が渦巻いている。
貧乏人が貧乏人をいじめている。 この際だ、阿呆呼ばわりされたまま、バカにされていればいいのではないのか。 ただ、相手は厭きずに執拗? やはり雪崩だ、逃げるしかないが、逃げられない? 身をかわすだけか。
とばっちりで制裁を受けている人々が多くいる。 ショックを覚えて当然だ。 とはいえ、ショックを受けていては身がもたない? そうだな、世界から身近な暮らしにいたるまで溢れているもの。 だからといってさ…。
無知で無恥、そうして鞭だけは打つ。 わたしもまた無知だが、せめて恥は覚え強権とは縁なくいけるといいのだが。 休日だ。 今日は古くからの友人の顔も視る。 深呼吸ができるだろう、態勢・体勢を立て直すのだ。
いるよな、逢いたい人が。 清廉潔白、しかし他者を追い出さない人物が。 強いられた爆笑ではなく、思わず笑ってしまうユーモアがあり、佳きヴィジョンを絶えず描く――。 なかなかいない? だからさ、読むのは。
ときに感じる。 「実は大きな勘違いをしているのではないのか」と。 人と話すとき、接するとき、あるいは触れるときに留意している。 その想いを忘れるなと。 強い言葉が沸いてくるとき、余計にそうでありたい。
不器用は気取りたくないが、器用なほうではないだろう。 粘り強いわけでもないし、元気に満ちているわけでもない。 悪い意味で鈍重。 これはもうどうしようもないのである。 今まさに世界が瓦解しているときに。
あるのだ、確かに。 ものを作っていく愉しみや悦びが。 完成すれば嬉しい。 未完であっても、夢中になれるのならいいのではないのかとも。 今、集中していく身体の全体、身体さえ忘れている身体、その全体の熱。
曇天にも関わらず、明るい。 イチョウの並木が色づき始めていたのである。 やはり、見上げた。 すると、昼月がうっすらとうかがえたのである。 利害とは無縁なのに、何だかとても得したような気分になっていた。
資本主義は異物を呑みこみ、成長してきた。 が、今や資本主義自体すら呑み込んで、グローバル化へと。 はてさて、膨張過程は宇宙の体現の如し。 水や空気の貨幣化、貨幣の貨幣化――。 明日は、どこにあるのか?
負けたとき敗北の唄は歌わない、歌えない。 ただただ、うなだれて意気地をなくしていくだけだ。 が、忘れてはなるまい。 何が欠落して、どう補っていけばいいのか、模索し続けることを。 それしかないのだから。
居間に文学全集に並べることは、滑稽を通り越した。 赤瀬川原平氏が言うところのトマソン? 意味不明の文化遺産のようだ。 文豪のデータが安く買える時代。 編集の手が視えないウェブ情報がいいわけでもないが。
板を渡った。 低い位置だったのであるが。 それでも渡るとき、怖かったのは、加齢による身体能力の衰えか。 結論は、「怖くなくなったら、真に怖いときか」。 そう感じつつも、何やら漠然としているところある。
まず、すべきことは何か? 前提は、被害者の救出からである。 が、働くこと自体が、被害者になるかのような時代でもある。 褒めて成長だなんて弊害を生むだけのときも。 賃労働の古くて新しい問題の開示からか。
AI・ロボット化とは、小売に一段と負担がいく事態でもある。 ありとあらゆる小売もまた、商売の対象なのだ。 実際、現金を使う機会は減ってきている。 商売の方向性もまた、双方向性。 逃げ出したくもなるよ。
何だろう、一体。 この状況は何なのだろう。 「人が人として扱われていない」と近代的で衛生的なことも言いたくなる。 こすくて巧妙、温かさも人工的、いや、功利的なグルリ。 悩みが商売の対象にもなっている。
ルールは無視されてマナーは雲散霧消、しかもエチケットは何処吹く風だ。 とはいえ、ふいにあれこれ頼んでくる張本人。 急いで逃げてよし。 相手は雪崩である。 避難小屋までたどり着くには、存外かかるはずだ。
長生きしてもロクなこたあない。 殺戮で死は増加するばかりだから。 一方、長生きはするものだとも。 例えば音盤を通じ出逢いの感覚が甦るときなど。 今日は1人で昼食を。 からだに悪いものも食べてみようか。
死んだらどうなる? 無神論のわたしには、「魂が肉体から離れ自由になる」とは考えられない。 では、どうなるのだろう? 無である、無いことさえ無い、無。 つまり、宇宙そのものになるのではと今、感じている。
はた迷惑な輩は、何処にでもいるものだ。 ミスを続けても平気の平左。 それがまず、奇妙だ。 正常を保てるのだとしたら、すでにおかしい証左ではないのか。 呆れても呆れても呆れる事態の中、誠意って何かなと。
子を亡くした彼女が言う。 「死ぬのは怖くないですね」 次の言葉を待つ。 すると、「だって、死ねば、あの子に逢えますから」。 辛い時期は続いているはずだ。 が、悲しみを出そうとしなかった彼女らしいなと。
消費税が上がるという。 年金が減ったうえでの減額みたいなもの。 突然取りやめれば、票田を耕すことになるのだろう。 とはいえ、納める年貢は厳しくなる一方さ。 スッカラカンで暮らしていくのは、変わりなし?
在宅死ならぬ在職死の時代とか。 ただし、仕事があればの話だが。 老いの実相を知らぬ官僚が考えたヴィジョン・生涯現役には、勝手にさせてよと。 事故は増えるだろう。 勝ち逃げならぬ、勝たれ逃げされながら。
米国の新聞社代表の発言。 要は新聞社がデジタル記事を配信しているのではなく、デジタルの会社が新聞を発行していると。 広告ではなく、購読料金へのシフトとも。 記事は多くなったが、暮らしは、と想うばかり。
結果より過程が大事という。 そうした場合もある。 切羽詰まっていないときなどだ。 が、今は読みたいと想う。 過程の奮闘ぶりを、具体的な対応の方法を。 結果、負けたとしても、じわりと納得がいく暮らし方。
暖簾をくぐれば、下を向き麺をひたむきに啜る姿。 オウム真理教の教祖にも指南役がいたと想い出す。 怪しい健康食品のような助言も受けたのだろう。 いつしか巣食った勘違いが身心の主役に? 熱い汁を啜る冬へ。