2013-09-01から1ヶ月間の記事一覧
情けなく、みっともない上に、無力で後悔だらけ。 自己憐憫ではなく、ただただ途方に暮れるばかり。 が、嘆いていてもしょうがない。 螺旋状に下降していく、落ちていく。 構うことなく、ステップを踏んでいる。
休日の3人。 1人は仕事、もう1人は町、残りは机の前へ。 3つの点は重なることはないが、拡がりが芽生えてゆく。 まるで身体が拡張したかのよう。 夜になれば3つの点は新鮮に、食卓という1点に向かうのだ。
1本の木とともにある1日。 見上げても見下げても、いつもあるのは目の前だ。 どこへ行けばいいのか、静かに語りかけてくる佇まい。 実は木を訪ねて行くことが旅。 深くふかくのびていく根も感じられるのなら。
引きこもりに差別主義、秘密保全法に原発問題。 首切りに宿なし、自死に孤独・孤立死も。 医療崩壊に無縁社会、家族解体に年金破綻さえ。 今も次々の事態。 強風の中、わたしは子どもらと石蹴り遊びをしている。
焦ることはなかったのだ。 慌てて当然の状況は今こそと、今も。 むかつくという存在証明さえ牧歌的と、身心を撃つ声。 下降の意志さえ遠く、単に落ちている。 が、沼地だろうが、かかとをつけて歩いてゆくのだ。
なろうとして仲良くなったわけではない。 初めは周囲を巡礼、気づけば連れ立って歩いていた。 テーブルを前に、ともに食べ、呑み、笑う。 窓の外、月が浮かぶときには唄さえ口ずさみ。 相性と言うしかない交感。
気づく、出逢ったと。 互いが互いの疾風となったのだ。 お前がおれに、おれがお前に入り込み、ついにおれたちへと出て行った。 薔薇に潜む沼地、夜に逃げた香気も発生させて。 理解したのは無論、後刻のことだ。
老いた人が思う。 「何か提供できるものはないのか」と。 「いらないものではなく、必要なものを送りたい」とも。 結果、自らを運ぶことに。 戦時下の体験を少しずつ語り出したのだ、同じ時代を生きる者として。
暗い表情の男が歩いて来る。 振動したのだろう、携帯電話を取り出す。 「何だよ、何だって?」と大きな声を。 電話の相手に促されたのか、夜空を見上げる。 そうして、「あっ」と声を発して、押し黙ってしまう。
娘と買い物へ。 手にした紙には購入品のリスト。 顔を出す店の順番を、まず決めた。 風が強く吹き、足取りは覚束ない。 レジで、「ありがとうございます」と言われるたび、娘は唐突に頭を深くふかく下げていた。
小さき者たちの、ささやかなる願いに囲繞された。 目立たず融和感に満ちた想い。 涙が笑いに転ずる今・ここへの恋慕。 身に沁みていく、脳髄が丸ごと溶解して。 遠くまで行くことがなくていいとも知った、一瞬。
虹を探し当て逢いたいわけではない。 ましてや名所旧跡で。 名もなき路地で、道端で、路上で一向に構わない、逢えるのなら。 座り込んで話そう、あれからのことを。 何より、今もまだ、呼吸ができていることを。
爪はのびる。 寝込んだとしても、生きていれば。 「何でこんなときに切らなければいけないのかな」と苛立ちの人。 「命が生えてきているんじゃないか」 ともに苦笑いして、窓の向こう、夏の終焉を見詰めていた。
狂気。 それ以外の、個体への望ましい破壊が何故できないのか。 こわばりや、くぐもりもなく。 無意味だが笑うことはでき、死に理由を求めず、意味付与もしない。 ちょっと角を曲がる感覚で、消えていいのだが。
時速数キロメートルで、歩き続ける。 生きている間には無理でも、月にはいずれ着くだろう。 月が、距離が、希望があるのなら。 今や未来への距離が消失、過去も粉飾決算。 永久の今ここにすがっているかのよう。
半日はかかる労働。 が、残された時間はごくわずか。 「どうする?」と自らに。 放り投げるか、立ち向かうか、あるいは手を抜くか――。 結果、猪突猛進は避け、収支は棚上げ、返す当てなく手を借りたのだった。
幸せを願う――。 力点は願うことに置く。 そも、幸せに幸せをもたらす力があるのかどうかは疑問だ。 幸福病といって悪ければ、幸福症候群。 身近な青い鳥を逃がし続けても、多幸感に包まれる方途はないものか。
限りなき進歩という視点自体の限界。 そも、資源は有限、労働力も。 広大な森もまた、矮小化されている。 清貧という鈍い余裕からは逃げて行こう。 小さくでもなく、大きくでもなく、ゆっくり循環していくのだ。
1世紀を生きた方が語る。 「手仕事で夢中になれるものを養っておくといいですね」 「乗り越えていくことができますから」とも。 ふと観れば、仏壇にはいくつかの位牌が。 線香の匂いが、微かに漂ってきていた。
あなたの考えを変えたいとか、そういうことじゃあないんだ。 ただ、歩きたいだけ。 銃弾で逝った人々が今も手を取り、「一緒にいるよ」と誘ってくれている。 風はますます強くなるさ。 さ、歩き続けていこうか。
歩道を歩いていたときのこと、「えっ?」と。 声をかけることもできず、バスに乗り込んで見えなくなってしまった人。 長く逢っていなかった…。 しばし立ち尽くし、歩み出す。 生きていた、十二分、嬉しかった。
視界にまず飛び込んできたのは皺だ。 皮膚が示す生命の地表図。 彼女はのっそりと歩き、素早く水を含む。 陽射しが差し込む方角をのんびりと眺めながら。 そのときだ、巨体からの鼓動が静かに伝わってきたのは。
風が強い日、空から、大きな羽が舞いながら、落ちてきた。 手に取ろうとすると、ふわりと遠ざかっていく。 「何の鳥のだろうね」 「もしかして天使だったりして?」 わたしたちは笑いながら、内心ギクリとする。
願いは長寿だったはず。 が、到達した超高齢社会は単純には寿がれていない。 むしろ、不安や憤り、否定の対象に――。 そうした折、電車の中で咳き込む高齢者が席を立つ。 眼前の年長の高齢者に場所を譲るため。
あなたの脚の、目立たぬところ。 実は大きなホクロが1つある。 「そうなのよ」と、屈託の声で。 親が気にしていたことを、「とてもよく覚えているわ」。 「75歳になったのに、今でもよく」と、今度は笑顔で。
緊急でないのなら、決断しなくていいときもある。 だって、できないことがあるもの。 例えば人の生き死に際しての難問。 設問自体をガラリと変えるしかない場合も。 例えば流されるか、流されまいとするかとか。
悲劇を忘れまいとする人。 逆に忘れて生きていこうとする人も。 忘れるなと語る方もいれば、思い出せないことの絶望を話す方もいる。 ただ、多くは平和ボケ? 何度でも言いたい、戦争ボケよりいいではないかと。
旧友たちと集えば、尽きぬは思い出話での笑い声。 が、途切れる一瞬が。 空虚で空漠たる空白? いいや、今、わたしたちが出逢い直すべき場所。 見知らぬ顔同士として出逢い、再会を祝し合う拡がりの場所なのだ。
大家族の桎梏から夢見られた、マイ・スイートホーム。 今や消費社会を助長するばかり? 「分断こそ儲けにつながる」とは、誰の考えだったか。 暑いあつい夜の夜。 人と分け合い食べることこそが生きがいだった。
労働や食事、趣味や会話。 演技や勉学、排泄や運転――。 あれにこれ、それと、悩みは尽きることがない? ポケットから手を出し歩き出す。 空を眺めながらふと、「手に起因する悩みが多いのかもしれないな」と。