2013-07-01から1ヶ月間の記事一覧
今や殺さなければ金儲けは善行に。 が、結果的に、自己陣営以外は消すということ。 媚びは売らない。 喧嘩は、そうだな、買いたくない。 雨の日は生命と取り引きせず、畳の上で、雲の上のことも感じていようか。
月並みに暮らしていきたい。 精神の安寧が望みだ。 ゆったりとできなくとも、ゆっくりはしたい。 思い出したい過去があるだけで、どれほど豊かなことか。 天で輝く月は並ではあっても、夜の横顔は照らすだろう。
いじめは祭不在の時代の外在化された密室。 神経症へ向かわないための、防波堤としての病の構造? 実は、個体への個人からの間断なき犯罪だ。 ふざけろ、命の略奪。 抱きしめたい、抱きしめたい、抱きしめたい。
日本なる枠組みの破綻。 が、個体の固有性を奪う国家さえ超えた企業活動は不要だ。 現実から乖離した思想構築、思想を捨てた表層の現実。 両者に与したくない。 1人ひとりのわたしから世界への直通電話は何処?
無限に気づいたときは、いつの日か? 今や、人々は大地も有限と察知している。 物質から誕生した生命の、先祖帰りへの望みは死によって実現? いいや、破滅一途では帰り道とは言えない。 そう心得て、道を往く。
根こそぎやられ、座り込んだまま、立ち尽くす? 呆然としたまま、どうにか出た言葉が、「根拠などないのか」。 何もない空漠を抱えて、舌打ちができたとき、静かに叫ぶ。 「明日へ遡っていこう、根源へ向かおう」
生命と社会のズレを、祭で制御する時代は終焉を。 密室へ向かったジャズは死に、ロックは開かれて溶解? 今や資本主義内同時多発神経症で対応か。 身心病という和平への道。 そうとも、病気は今、生の証なのだ?
問題の設定自体を疑う。 「解決できるのか」と。 外野からの罵倒はいつも役立たず、内部からの開かれた批判こそが指針。 いくつもの事態を見定め、最深部へ向かう。 一条の光が差すことを、静かに熱望しつつも。
棒立ちしたままだ。 そうして、殴られっぱなし。 いつかきっと、現れるだろうという幸福幻想に捕まったまま? タオルは、決して投げ込まれないだろう。 とはいえ、正直者がいつも馬鹿をみていていいわけがない。
痛みを除去してくれる薬は有用だ。 ただ、異物を発生させやすい身心への異物だとは忘れまい。 さて、安倍晋三とは、誰か? 否が応でも、わたしであり、あなたになってしまった毒薬。 無情だが、ここからなのだ。
解答者は滑り台に座る。 答を間違うと滑り台の角度が上がっていく。 必死にしがみついていても耐え切れず落下する人々。 昔、そうしたクイズ番組があった。 転落の途上で滑り台の角度を下げることはできるのか?
上からの強いられた絆が眼前に今も。 最後の最後まで歌っているのは誰? 子どもたちから微かに漂ってくる匂いは、懐かしくて新しい贈り物だ。 始原と未来を散らかしたまま受容している姿。 捨てるつもりはない。
体験したい本や映画、音楽がある。 が、生きている間にすべてとは出逢えない。 仮に瞬時に咀嚼できる方法やシステムが現れたとしても。 何故? 入れたら出さなければ、身心は人のものではなくなってしまうもの。
歩けば熱風が前方から。 吹きつけられ、止まり、一緒にくっついてくるかのよう。 後方からも同じ事態が。 と突然、「日本を取り戻す」の声。 暑さには耐えようとするが、暑っ苦しさには、「冗談じゃねえよ」と。
貧乏な自らを恥じてきた。 詫びたい、逃げたい、大金持ちならよかったのにと。 帰宅したい人、帰宅できない人、帰宅を諦めた人。 わたしも弛緩できる暮らしを贈りたい。 いっそ、宝くじが毎日当たるといいのに。
美味しいものを食べて幸せ? ときに不幸せな気分になる言葉。 なぜ美味しいだけではだめ? 食べるのは強者、食べられるのは負けたもの。 ここで言うことではないが、人生の、世界のことを言っているようだもの。
持ち時間は家計の如く減るばかり、ためられるものでもなし。 齢を重ね、元気だとしたら偶然、淀むのが必然? 身心を確認し合える人が傍らにいれば幸運か。 嘆かずに悼もうとする夏。 幸福という束縛も必要なし。
いい想い出とは言えないが、心休まる懐かしい情景もある。 ただ、どうすればいいのかと。 手省きは覚えたものの、座り込んでいるわけにもいかない。 情動が立ち上がってくる。 そのときだ、やはり歩き出すのは。
借金できず、恥辱は忘却、病が身近な身心との暮らし。 平凡で静謐な日々を保つことこそ難しい。 覚悟は役立たずの状況下での、それでも覚悟。 百倍高い靴が百倍履き心地がよいわけではない。 裸足で歩いていく。
初の座禅体験のとき、「座れないな」と痛感した。 姿勢はいい加減で腰が立っていなかったのだ。 呼吸以前、瞑想は遠くにありだった。 「生まれ直しだな」 今、どうにか座ることができれば、体調はすこぶるよし。
将来という文脈に想いが定まらない齢を迎えている。 ふと遠くを見詰めていた。 そうしたことができる場所へと出向いたのだ。 人と何キロも離れない日々の慰安。 遠くとともに、ただ在る今を求めていたのだった。
かけがえのない行為とは何か。 即答はしかねる、散乱する不穏当な事態。 が、記しておこう。 今ここで、歳月をこえて届けるに値する習慣を形成していくことだと。 鍋で米を炊くと美味しいことも思い出している。
突然の大雨となっていた。 彼は小さな傘を差し出したが、彼女が受け取ろうとはしない。 彼が差して、歩き出す。 駅に着いた2人は、指差し合い笑う。 互いの身体の片方だけが、見事にずぶ濡れになっていたのだ。
突然、「虹だ、にじっ!」の声。 素早く走る、弾む想い。 「あっ」「ホントだ」「見て、見て」 子どもたちはいつだって、ふいに現れる屈託なき驚きを発見するのが得意だ。 街中で束の間、笑顔たちが祝福し合う。
老いを楽しむ? ご冗談を。 「豊かな老いを」という促しも無体な桎梏。 死が目前、浮かない気分で、保証なき、つましい日々が大方だ。 それでもなお、暮らしていくことができる方途こそ求められているのだった。
「本質と言われても…」 本質的には存在しない本質。 森羅万象はただただ流動を。 個に付着の妄想、関係にたぶらかされもする想像力。 均衡を取り続ける根源を喪失、流されていく実相を流儀としていくしかない。
朝、届いた新聞をパラパラと。 夜の遊びのためだ。 帰宅後、著名人のさまざまな顔にチョビ髭を描く。 女性でも似合う方はいるし、男性で似合わない方もいる。 現総理に描き込んでごらん、誰かにそっくりだから。
見えないものを見るには、見えるものを見つめるといい。 例えば山道で。 人知れず咲く花を前にしばし座す。 空高く、風が清々しいなら十二分。 花は呼吸をしている、つまり通常見えない生命を開示しているのだ。
真実へ向かいたい。 ただ、その方向が息苦しさを呼び覚ます場合も。 ぼやけた背景に視線を放り、耳を預ける。 分厚い必要はないが、少しは厚みのある暮らしをと。 肝心なのは、人と人とが十全に交通できる場所。
褒め殺しより、褒め生かしが難しい場合も。 やる気を待っていて、萎びてしまうときがあるにはあるのだ。 競っても、能力が高められない領域も大事である。 実は、生き延びるための知恵の獲得に競争は無縁なのだ。