2017-11-01から1ヶ月間の記事一覧
マイナー・メジャーとは? 量の問題なら分かるのだが。 むしろ、伝播していくポップ化の過程こそ問われているのだ。 そこで転ぶか、どうかが問われている。 転んでいい、いや、転んで地べたに張り付き、次へと。
1人でいても、みんなといる感覚。 みんなといても、1人でいる感覚のときも。 1人で1人、みんなでみんなという場合もある。 ただ、もはやどうということもない? 齢を重ね、射幸心は疎ましいだけなのだった。
目の前に立ちはだかるかのような冬。 実際はともにあるのだが。 すでにして冬明けを待ちながら、鼻をかむ。 手を洗い、うがいすることを忘れていた。 だるさに捕まり、咳をしながら、本のページをめくっていく。
情報は等しく提供されるべきという。 緊急時のことを想うまでもなく。 では、高校・大学で学ぶ料金はどうなるのだろう。 新聞雑誌の購読料もまた。 開放に関する意見を読むために、会員にならなければならない?
やはり寒くなってきた。 「寒いですね」「いやあ、本当に」 何かを語り合ったわけではないが、大切なことを交わしたのである。 陽の射さない森の中にいた。 とはいえ、「とても明るく温かいな」と感じるばかり。
満足できなければいけないのか? 不満のままで構わないとは想わないが。 実情は乾いているのに、湿った欲望ばかりが目立っていく。 視えない敵がいるにはいる。 薄暗い考えにはもうとうに厭きているのだったが。
意識が存在を決定すると言うが、逆のときもある。 往復運動だって? どうかな、同時に立ち上がるときもあるし、そもそも密接不可分なのではと。 目の前には熱いお茶。 冷めてしまう前に飲み、ここもまた去ろう。
相変わらず事態はあやふやなままだ。 深まる気配もない。 浅さをごまかしているだけではないのか。 深刻ぶっても何処にもつながらない。 「1人ではどうしようもないのはいつものこと」と肝に問い、今朝も歩く。
肩書があり調子のいい言葉を連呼する方と話した。 「そういうことか」 極限は例外のようだが、誰にでも訪れる可能性はある。 そのとき、調子のいい言葉にやられてしまうのだ。 例外を繰り込むのが今日も仕事だ。
光を観る地が観光地なら、廃屋もまた、わたしの観光地。 惹かれる、朽ちていくものに。 それこそ、光じゃあないか、光。 壊れないものに、壊れようとしないものに、関わっている暇はない。 本来ないはずなのだ。
昔の恋人に逢わなくてもいい程度には幸せ? たまにはいいさ、昔の恋人を想い出すのも。 一方で歴史の改竄とは過去の喪失。 追放したつもりで追放されてしまうのと同義だ。 今を作ってくれたものに想いを馳せる。
「考え方が気に入らないと言われているなら、まだいい」 「どういうこと?」と聴いた。 「人柄を罵倒されたら、たまらないということさ」と彼。 まいったことに人柄は自分では分からない点だと、2人で苦笑した。
隣りを走っていた男がどうしたわけか、突然、スピードをあげた。 すると、「おとうさあん」の声がぐるりに響く。 ほどなくして母といる幼子の声だと分かる。 もうすぐだ、もうすぐ。 父親に抱き上げられるのは。それでも、私は憎まない――あるガザの医師が払…
「ダンスを見て泣く奴があるか」 彼が明るく言った。 「いや、なに、自分に向かって言ったんだけれどさ」 屈託の日々にたまたま視た映像で感極まったとか。 「あ、そうか」とわたし。 「実は、おれにもあるよ」
苛立つ、己のあまりの無力に。 無知や無能にもまた。 せめてゲスを見抜くことができて、関わらないだけでよしとしたいのだが。 が、お国とは縁が切れない。 概ね奪われるかたちで、生きることを許可されている?
ナチスだけではない。 この国の人々もやり散らかしできたのだ。 地続きの今、恥という言葉では軽い。 甘いうえに、何も言ったことにはならない。 謝罪さえ届かない愚行の連続に、殺意を持たないほうがおかしい?
相手を病になるまでへこます。 どんな手を使ってでも。 もちろん、家族といえども他人は信用しない、何が何でも利用するだけ。 そうした人がいる、実際にいるのだ。 嘘だと想うなら自分の胸に手を当ててごらん。
今や使いたくない言葉が増えていくばかりだ。 実は大切な言葉であるはずなのだが。 そう、謙虚も丁寧も使いたくはない。 反省も抵抗感があるし、果ては忖度もまた。 とはいえ、言葉は奪い返さなければならない。
若いとき。 肉を視て、「死体だものな、食べられないよ」と。 そう認識したとき、生きていけると確信できた逆説。 今でも想い出し、肉へ向かうときも。 ふと、「麺はいいよな、いじりながら食べられるもの」と。
老後の計画は若いうちに、死後のあれこれは老後に。 あはは。 って笑っている場合でもないのだが、笑うっきゃないみたいな。 そも、「老後なんてあるのかしらん」と。 今や呑気に暮らすときが持てるはずもなく。
夕焼け空、空爆のために飛び立つ物体は視えていない。 すぐここに、爆弾は落ちては来ないだろう。 が、つながっていることも確かなんだ。 銃撃戦がないからといって、平和とは言い切れない。 丁寧に話そう、今。
息苦しさの原因を解決しなければいつまでも気色悪い状態は続くだろう。 とはいえ、それは無理だ? 選挙後のゲップがまだまだ続く。 いつか来る和平の像を想い描くしかない。 身心に言葉の深呼吸を与えていこう。
魅力はいくつもある。 まずは安全にできる点。 同時に、身心が元気へと向かうことも特長か。 何より、日々の生きがいになっていくときも。 身心の変化が好ましく注入され、性や生をひょっとして超えていく舞い。
美味しいものを食べられなければ損。 しかも、健康でなければダメである。 ついには平安であるべき――。 が、不味くたって仕方ないし、病を得て嘆くときもある上に、心騒ぐ場合もあるさ。 戦だけはご法度だが?
日本は狭いという。 事実、世界地図を視れば確かだ。 そのくせ広いのである。 北の国では手袋をし、南の国では今も薄着のままだもの、狭くて広く、広くて狭いのだ。 実は遠くなっていくばかりの、ここのところ。
「決して忘れない」という言葉。 意思の表示なのだ。 が、実際は全貌さえ分かっていないのではないか。 そのくせ、忘れてしまうのである。 つまりだ、全貌を明らかにしようとしつつ、脳髄に刻印してくしかない?
どこぞのオヤジが偉そうに歩いて来る。 当然、人を避けはしない。 実際は、避けられない鈍感な老いた身心というあたりか。 だからか、堂々とせざるを得ない? 関わりたくないので、脇を素早く通り過ぎるだけだ。
不治の病が症状をコケにして、あざ笑う? 「バカな」 が、同じ事態ではないか。 防御と攻撃が入れ替わり、荒くれ者たちを制御しようとしても無理さ。 どう考えても無法者たちには迷惑をかけないで欲しいだけだ。
自分とは正反対のものを喜ぶことはできないかも知れない。 ただ、受け入れられないとしても放棄はすまい。 「分からない」 そのように分けられた地平でもいい。 とにもかくにも、憎悪より哀切、恐怖より愉悦だ。
分断されても、結合していくのだ。 まずは自分の中で、記憶はつなげていこう。 忘れたらやばい、同じ過ちを繰り返してしまう。 自分の中の奥深くで独り立っていこう。 共同や共有、何より今後の共生のためにも。