2016-08-01から1ヶ月間の記事一覧
視ると得した気分になることがある。 例えば虹。 決して損得ではないのだけれど。 実は損得から半歩だけ歩み出した、得した気分? まあ、どうでもいいや、虹が出ないこと自体で損した気分にはならないのだから。
時代の闇という言葉。 その指摘で、何かを言ったことにはならない。 闇は光がなければ成立しないもの。 闇がやさしいときもある。 知っているよ、そこら中に落とし穴があり、落とし穴の中にも落とし穴があると。
ヘイトスピーチ? 漂うどころか、今も渦巻いている。 表現の自由でも何でもない、ゲップの悪臭よ。 いや、問題は、発言が行動とイコールであること。 突きつけられる前に、銃そのものをなくしたほうがいいんだ。
夜は必ず明けていく? 来やしないさ、朝など。 が、朝がやって来る領域もある。 今はただ、夜の中でもあると忘れてはならないだけだ。 突然の豪雨と、ふいの晴れ間、そうして何より虹を同時に暮らしていく――。
少しは視ており、視てしまえば愉しんでいた。 が、どうにも浮かない気分にも。 ふいに、『越後獅子の唄』を想い出していたからだ。 今日も今日とて、親方日の丸のために――。 4年後には親方が倒れているかも?
憂うつだ。 4年後のことを考えると。 世紀の祭典は何が何でも挙行されるのだろう。 うんざりするというより、途方に暮れるとは、このことかと。 避難者に詫びを入れ、いつか感謝するお祭のほうがいいのだが…。
大人たちが真面目な顔で話し合っていた。 清潔、小奇麗な身なりで。 子どもたちの笑い声が聴こえて来る。 冷房の利き過ぎた部屋の窓から外をうかがう。 汚れた格好で跳ね、蒼穹に届く笑い声は続くばかりだった。
誰が言ったか、「生まれたら先は短い」と。 それはそうだ、生まれなければ死はないのだもの。 ふと想う、「真実で心を叩くな、砕くな」。 ましてや事実でも。 お互い、切羽詰まった状況にいるんじゃあないのか。
彼女は真っ直ぐ前を視て歩いている。 後ろから老いた母親が足取り重く、ついて行く。 2人は信号の赤で止まる。 青になった途端、彼女の手が自然に後方の母親のほうへ伸びる。 無言のまま手をつないでいる2人。
雷が落ちた。 その後、一瞬、高い樹木を走るようにのぼって行く光。 降り続けていた雨が上がれば、虹が天へ。 のぼるようにかかっていく。 人の如く落ちてはのぼり、のぼっては落ちる事態への慟哭、そうして歓喜。
すぐに靴を履くといい、のんびりしていると人が多くなるよ。 この際だ、サンダルをつっかけるだけでもいいさ。 さ、出かけよう、雨なんか構うものか。 海に入ってしまえば同じさ。 朝のうちに、泳いでおこうよ。
大切なのは、適度な食事に睡眠、運動という。 が、適度とは? そも、排泄できなければ入れられないし、認知機能も重要だ。 脳と身体、想いのバランスもまた。 厳しい天候のもと、雲を眺めては、自らに掛け声を。
何故、上をめざすのか。 そも、わたしには器量がないので初っ端から諦めていた? 上に立てばとんでもないことをするだろうとの予感もあったのだろう。 ともあれ、無力で生きていくことこそ、冒険ではないのかと。
海で歩き、泳ぎ、浮いていた。 川でもまた。 たった、それだけのことが、ひどく愉しかった。 水の中の人と視線が合えば、自然に笑みも浮かんだ。 実は、子どものころの自分とともに、同窓会もしていたのだろう。
子を叱りつつ水泳を教える父親。 その横、ゆったりと愉しげに泳ぐ親子が。 「後、2往復だけ泳ごうか」と父親が話しかける。 小さな娘は、「うん」。 そうして、「ひと休みしたら、また泳ごうね」と満面の笑み。
爺さんがふいに立ち止まる。 足下を見詰めてから、ゆっくりとしゃがみ込む。 セミの死骸を拾うために。 手のひらの上に置き、眺めている。 ほどなくして樹木のほうへ歩き始め、セミに根元の土を被せ始めていた。
戦争に負けた日から71年後。 「夏はやはりいいな」と体感を。 全裸にはなっていないし、見掛けもしない。 が、土や草の上を裸足で歩くときも。 夏の身体が身体の夏を目覚めさせて、「生きていくぜ」と自らに。
生きている間、元気でいきたいものだ。 いや、何、仮に病気があったとしてもだ。 叶わぬこと? それならいっそ、やけくそで、老いを育てるかとも、体感を。 この肉の小舟を、何とか漕ぎ続けていくしかないのだ。
「どうかな」 期待と重い足取りで病室に入れば、ニコリと生還の笑顔。 億の言葉以上の眩しさか。 手を握れば、握り返してくる生命の萌芽。 今、生まれ直し、開始された身体との闘いに、目を細めるしかなかった。
勝ち残るためには、どうすればいいの? 裏読みが基本という。 状況を、相手を見極めなければならないと。 なるほど確かに、その通りかも。 が、表さえよく知らず、分からず裏読みだなんて、空虚過ぎやしないか。
歴史観を問いたい。 安寧をひたすら願い暮らす人々の場所に立っているのかと。 ドンパチやりたいだけの欲情過多に、つき合うわけにはいかない。 当たり前のことだ。 「改竄していいのか?」と問いたいのだった。
自由・平等・博愛、そうして正義。 ときに否定せざるを得ないときが――。 桎梏となるときがあるからだ。 合わせ鏡の悪のような事態も。 が、希求するのは、問題解決という、ときに誤謬となる営為だからである。
街中へ。 高齢に超を冠した社会を体感するばかり。 若者たちは視界に入らない齢を迎えた? いや、実際のところ、目の前には杖をつく老いた方々の背中が。 4つの背中の1つは1人暮らし、何ごとかを祈る日々だ。
殺人は怨恨・利害が原因。 が、今や原因が曖昧で殺すとも。 何かを指摘した口ぶりだが、実は何も言っていない。 怨恨などがなくても殺された人はいたし、今、原因が視える殺人も。 空爆の音が長く聴こえている。
そりゃあ、負けるさ。 相手は遠足気分だったわけではないだろうが、似たようなもの。 また始めたいのだろうな、こっちも、あっちも。 が、しかし、負ける、今度は人類総体がさ。 事実、そうなってきているんだ。
弱肉強食であるはずもない証拠に恐竜は絶滅、ゴキブリは台所に。 ただ、「強いものではなく変化するものが生き延びる」も違う。 問題は関係。 要は適者生存、そのための関係総体。 我田引水の物言いはいらない。
「結局」と体感していた。 そう、結局、支えてくれる言葉を探し求めているのかと。 無論、それにとどまらない。 解き放つ言葉も同時に、欲しているのである。 とどのつまり、動けば借金だけが残るのだとしても。
夏といえば花火か。 が、戦争体験をした高齢者がそばにいると戸惑う。 彼や彼女が怯えるのではないのかと。 それにしても、ますます空爆を想起する。 いつか花火を、平和の証として全身で愉しめるといいのだが。
皆が皆、先を争い、いいことばかりを言おうとしている。 人にも打ち明けられぬことはないのか。 何より自分にさえ打ち明けられぬことはあるのか――。 夜に風。 わたしの中にまだ生きている殺人者を殺していく?
駅からの道を歩いて帰る。 健康のためではない。 ただただ、この身体に乗る感覚を味わい続けようとして。 疲れているときなど、お金があるのとないのとでは心持ちが違うことも体感。 「気にすまい」と汗をかく。