2018-08-01から1ヶ月間の記事一覧
花火に手話、エアギター等々。 競うものなのか、どうか。 どれもみな、受け手あってこそ、届いてこそ。 しかも、ときと場所、何よりその場にいる人々による。 なあんだ、いつものこと、毎度まいど、気づくこと。
病があっても、倒れるとき手が咄嗟に出ればまだいいのだろう。 健康なときはお金を払い、いざ、病気になったら無料のシステムをとも考える。 意味のない夢想なのか。 いいじゃあないか。 いくらでも逃げたって。
老いは病気ではないが、病気の如き状態になるときが。 若いときに比べてだが、病気がなくても不健康なときがある。 無論、病気があって元気な場合も。 ともあれ、倒れそうな人に手が出ることこそ健康なのである。
頭は切れないが、何とかやってきた。 今夏65歳になることができたのだ。 ギアチェンジしたほうがいい? ただ、身心のほうが勝手に変わっていくのだったが。 「その変化の対応に追われるだけでは」と取り合えず。
呑み終えたときのこと。 彼は、「連れ去っていこう、あいつを」と想ったそうだ。 「ただねえ」と続けた。 「まずは自分を連れ去らないといけないんだよな」 何を言ったのか不明だったが、何となく分かっていた。
気づいてしまった、あらためて。 息を詰めている自分に、この身体に。 肩がこるだけだろう。 そこで、気づいたときは息をゆっくりと吐く、吐き切れるまで。 すると、自然と吸っていくのだ、整っていくのである。
早朝、ベランダの手すりに鳥がやって来た。 視線が合う。 すると、とんとんとお隣さんへ。 「境界がないんだな、関係もないんな」 しばらく待つことにした。 そのとき、空へ向かって飛んでいくのがうかがえた。
人の無意識へ恐怖を与える自動車や自転車に、ヒヤッとする。 不快な心根で抵抗していくしかない? 命を縮めながらも都市歩きを続ける日々なのだ。 が、それでは単なる消費者。 快汗をまずはと、歩き出す本日――。
食べることの多様さ。 例えば、舌触りや歯応え、そうして喉越しなどを感じている。 満腹すれば、満足か。 味にしろ、甘味に酸味、苦味に塩味、うま味なども。 食欲が落ちる暑さの中、いくつものことを体感する。
暑さで寝苦しく、早朝に目覚めた。 早速、まだ人の呼吸で乱されていない公園へ。 植物の時間帯に潜り込む。 そうした中、爺さんが1人、紙飛行機を、嬉々として飛ばしていた。 あれは一体、何だったのだろうか。
野垂れ死にという、実は判断停止。 死体になった後の始末が済むまでが問題なのだ。 伝染病の原因にもなるという。 三世代同居は存外、効用がある? 関心はないのだが、今や下層階級の特効薬なのだとしたら――。
技術は訓練すれば身につくとされている。 が、原発問題は解決していないのだったが。 いや、こうだ。 正対した相手の心を推し量ることができることこそ重要なのだ。 もっとも心を弄ぶことはご法度なのだったが。
行けば行ったで愉しいのだろう。 が、もう行きたくはない。 お金を収奪されるという感覚が残響しているのだった。 が、今やどこもかしこもテーマパーク化? 自分の場所で自分の場所を作ろうとするしかないのだ。
禿げてきたのが今日の悩み。 いつまであるか分からないのが明日の逡巡なのだろう。 「聴いてねえよ」と声を大にして言いたい。 が、無視されるのがオチ。 胸のすく啖呵を聴いて、スカッとすることにしますです。
それにしても勝手にどんどん育っていくものだ。 いつ美味しそうと感じるのか。 視た瞬間か。 それとも、もいだとき、食卓に出たときか。 涼風が熱い土とバランスをとり、下方から上方から、左右からやって来た。
組織や世間、社会や国家となると薄まって、遠のき、何より杜撰に。 個人と個人なら、やさしく、自然に笑顔が出るときも。 偽善や冷笑、軽蔑や罵倒。 相手への想いは大切だが、排除の想いが個を奪っていくのだ。
高齢者の家へおじゃますれば、よたよたとお茶を入れてくれた。 しかも、アンパンも出してくれて。 ご馳走なのだろう。 負担が気になったものの、ありがたくいただいた。 老夫婦の笑顔こそ嬉しかったのだったが。
マナーもルールも、おまけにエチケットも、へったくれもないものね。 近代の超克もいいが、近代以前の身体性か。 すかした意味不明の輩たちが跋扈。 年寄りが倒れそうなとき、手が伸びないだけでもう、ダメだよ。
考えること。 そのために、身心の声を聴くのである。 それこそが考えることとも言えるが。 そうして別の関係に向かうこと、向かおうとすること。 生きている間に愉しいことって、そういうことじゃあないのかな。
それにしても、佳き人に危害を加える輩の何と多いことか。 たまげるね、ったくの話がさ。 おれはどうかって? 軽薄で頓馬、しかも息ゼイゼイってところさ。 熱風と大雨の狭間で立ち上がろうとしてはいるんだが。
言い合いは悪くない。 互いに想い、互いを体感しているなら。 負の感情に駆られたにしろ、いずれ鎮静化するのだ。 嬉しいことさ。 それに比して、馬耳東風の為政者がまた、わたしたちの、自らの首を絞めていく。
小さな人が満員電車に乗ってきた。 夏なのにコートを着用。 「えっ、この時季に?」 ようやく視えた顔は、婆さんそのものである。 目的の駅に着き、気になったのでうかがえば、書類らしきものに目を通していた。
「ひど過ぎました」と彼。 「自分が楽になりたいだけの罵倒や排他性も」 何より、「威嚇までされては」とも。 諌められない上層部には期待はしなかったという。 手を震わせ、「津波からは逃げるしかないです」。
今日、あの人は、何をしているのだろう。 身心の調子はどうかな。 昨日は嬉しいことがあったようだな。 結果、呑み過ぎたようだが、大丈夫かな。 そんなふうに心配できる為政者を生涯1度でいい、持ってみたい。
老いの過程を生きる日々、壊滅への歩み。 この時勢、発見につながることが悦びに。 降り積もっていく悦びの束こそを。 今・ここに踏みとどまることを可能にしてくれる。 倒れていくなら悦びも携えていけるかな。
分からないな、民主主義。 議会制のほうが前面だもの。 少数の意見を尊んで聴くことが前提だよ。 そうして、結論に至る道のりを全面開示。 汚染された石ころを丁寧に除けつつ、着実に歩むことは守って欲しいよ。
息を吐く。 気づけば、声となっていく。 息を再び吐く。 言葉になっていくときもある。 そうして、目の前の人が息を吐く。 わたしは待つ、見つけようとする、声や言葉もさることながら、太古の人との重なりを。
単なる命ではない、食べているのは。 奪った命をいただいているのだ。 しかも、死んだものが喉を通り、胃袋、腸へと。 「せめて」と。 「せめて、体内を通過する間、合掌と同義の、体内の運動でありますように」
夏の早朝、目覚めようとする。 実際のところは、目覚めてしまうのだったが。 すでに明るくなり始めた公園へ出向く。 そうして、まだ人の気配がないことをよいことに、植物の時間に浸ってみる。 木々の場所でだ。
今や概ね、独学でできる様相である。 そもそも、商品を大量に売るためにだ。 素人でも簡単にできるようになってきたのだ。 無論、無駄な時間を費やすことにもなるのだろうが。 身心をこすり合う日々は、何処へ?