2019-01-01から1年間の記事一覧
人生100年時代。50歳で死ねば夭折になるというわけか。ただ、全員が100歳まで生きるわけではない。つまり、デマなのだが、仮に生きたとして、ど、どうなっちゃっているの?想像はつくが、予測はできない。 Performance colectivo Las Tesis "Un violador en …
あの元記者に、家族はいるのか、親戚等も。いたとして、どう感じたのか。いくら無実を主張しても、身の潔白を説明できる?例えば1人きりになったときの自分に。若いときのお前も、やられたらよかったのに。 ※名前を出すのも嫌な、山口某。 女性からリンチで…
パスするときもあるが、概ね安酒の日々か。 「こりゃあ、毎日が忘年会だよな」 夜毎の忘日会。 結果、特に忘年会に参加しなくても構わなくなったということでもある。 単に呆け、忘れてしまう日々なのだったが。 "BT" - Short Trip Home (1999)
為政者たちと腐りたくはない。すでに、老いて錆び始めているのだ。還暦を過ぎて、無人島へ向かったカメラマンもいる。彼は言った、「国を攻撃しているのに年金はもらえない」。錆び止めの妙薬としての姿勢。 Salut Salon "Wettstreit zu viert" | "Competiti…
つましくとも、3食、食べられる。布団では悪い夢を視ることなく、熟睡を。朝には、トイレでスルリと排泄。つまり、身心に苦痛のない日々か。そうしたことでも、恵まれた日々と言える時勢になってしまった。 Viaggiatori Armonici - BIG COUNTRY (Béla Flec…
「あのさ」と、彼は苦笑した。「うちの子にハッパをかけたんだよ」「何てさ?」「勝手に傷つくんじゃあないよってさ」、そうして、「何も悪いことはしていないんだからな」と。就職は、遠いそうなのだった。
金持ち喧嘩せず。笑うしかない、いや、笑い飛ばすしかない。そも、金持ちになれた由縁はどこにある?例の1%の金持ちと99㌫のわたしたちのことを想う。喧嘩以上の、隠しとおせる悪さをしてきたんだろうさ。
友人が言ってきた。 「肉屋を支持する豚ばかりではないか」 豚という文脈が苦手だが、「確かに」と。 怒りや悲しみが蒸発しながら、次々に。 「余裕がなければ犯罪は起こす、起こして当然さ」という事態なのだ。
叱咤や批判、あるいは説教。それでは変わらない、変わるわけもないさ。腹の底からの、果てることのない対話が求められているのだ。忙しくて、時間がない?そうだよな、だからこそ今も、求められている対話。
若い方が言う。「健康って人に自然と手が伸びる、人からも手が伸びてくる関係にある」と。「たとえ病があったとしても」と付け加えていた。真っ当な話に、「あっ、そっか」と首肯を。何回も反芻をしていた。 (Sittin' On) The Dock of the Bay | Otis Reddin…
食卓に揃うだけで十分。ご馳走はついに飽きる。たまの贅沢だから、胃袋も受け付けてくれるのだろう。流行り風邪にやられた者がいなければ十二分。実は、たった1人だけで食卓に集うこともできるのだったが。 Have You Ever Seen The Rain - Music Travel Love…
殺されてもおかしくない連中。だからか、殺しにやって来る事態が続く。格差社会、いや、グローバルな階級社会を形成した罪。貧乏人を作り出し兵士にという流れか。そうした視点を否定して欲しいのだったが。
自転車で徘徊、公園でひと呼吸つけるおっさんたち。小型リヤカーに休息セットとも呼ぶべき物を積み込んだ、すかした御仁も。寝袋やテント等がうかがえた。お茶を入れ美味しそうに飲む姿。「ザ休日だな」と。
居場所がない、逃げ場所も。辛いことだ、比べようがないほどに。そうだ、まずは枝を集めて、火をつけよう。木々が燃えるのを、しばし眺めようか。音や香り、何より暖かさが、今ここを保障してくれるだろう。
苦労した果ての、行き着いた1つの言葉。過程を知れば知るほど迫ってくる。たった1つの言葉が喚起する多くの重い情景。「苦労はしたが、厭きたことはない」という。瞳が、冬の陽だまりのように輝いていた。
行きつけの店はない。概ね安い店へ出向くぐらいだ。まずは満足できる量があればいいし、美味しければ申し分ない。中国人が開く店を、3つほど知っている。かの地の食文化に感嘆しつつ、自転車で帰路に着く。
ジビエだって?なあんだ、獣を喰らうことか。フランス語に置き換えて、何か意味がある?皮を剥ぐのは、やはり苦手だよな。今も、喰わなくてもいいほどには進化していない証明をしているだけじゃあないのか。 Abra Moore - Four Leaf Clover
やめていた喫煙を再開した。手巻きの魅力に惹かれたからだが、まずは煙草の葉をほぐす。そうして、手で巻いて1本の煙草へと向かう。不格好だが、いいだろう。火を点け、軽く吸い、心なしか落ち着いていた。 Nina Simone at Black Woodstock (8/17/1969)
嵐の晩のこと。昔のように、子どもたちは喜び、はしゃぐことはできたのか。不謹慎なことだ、悦ぶなど。とはいえ、子どもの嵐への想いは否定し切れない。むしろ、解放への希求の芽生えとさえ今、感じている。
外国から視て日本が嫌がられる理由。教育環境が悪い、閉鎖的、快適度が低いなどと読んだ。何より賃金が安いと。「その通りだよな」教育や医療、福祉が壊滅の可能性を秘め、お金も乏しいとなれば当然のこと。
朝、湯の沸く音がしていた。ほどなくして、味噌汁のにおいが伝わってくる。いつもの朝、何の変哲もない。「いいじゃあないか」手を休め、想い出せば、その日は何と、休日だったのである。「そうか、そうか」
平気で嘘をつく手合いが。不思議、いや、うんざりさせられるものだ。言葉が通じないのだろう。同じ日本語を話しているのにも関わらず。それにしても、今まで何を話してきたのだろう、夕焼けさえ忘れるぜと。
「嫌なら辞めろ」そこかしこから聴こえて来る。机の上に乗って暴れたい想いを抑えていると知っての、物言い。「よく言うよ、いさせてやるから、耐えろってか」労働力不足なのではない、奴隷不足なのだった。
死のそばまで行き帰ってきた男が伝統を訪ねたという。歴史に学ぼうとしていく姿勢。が、その営為が通用しない領域も。とはいえ、地の奥底から発せられる声が確かに木霊する。嵐の後にも嵐、そう心しておく。 「El derecho de vivir en paz 平和に生きる権利…
寝床へ。布団を被り、首から上を出して本を開く。読むのは昨夜の続きからだが、「あっ、ここからか」と。気になっていた展開はどうなっていく?が、ほどなくして眠気に襲われ、うつらうつらとし始めていた。 Sharon Shannon Cavan Potholes Live at Dolans
もういいことなんかない?とはいえ、希望の弁証法でいこうと。必ず変化は訪れるだろう。今のままでは、為政者を含め、滅びてしまうだけなのだから。とはいえ、いつまで続くのか、よくもテロが起きないなと。
緩慢な自殺者ならそこかしこに。朝の満員電車には、そうした人々も多い。黙ってやり過ごしているのだった。どうなっていくのか。正義は勝つというが、その正義が、どれほど、人々を苦しめてきたことだろう。
息苦しい、もう長く。間違いは避けたい。間違いの連続だったとしても。迷いたくもない、人生とは迷いのことであったとしても。どうしてなのか、平気で嘘をつき、自殺者が出ても、ヘラヘラしていられるのは。
「病気は不運かな」が、「不幸ではない」と彼。「だってさあ、彼女と出逢えたのだから」知り合えただけでもいいと。「あっ、そうだ、お前、彼女のために、角の菓子屋でモンブラン、頼むよ」と笑うのだった。
何と呼ばれたがっているのだろう?タマやポチでいいのかどうか。「獣に苗だなんて考えたものだよね」「大に点だって悪くないよ」わたしたちと一緒にいてくれるだけでありがたい存在が、共に欠伸をしていた。