2014-07-01から1ヶ月間の記事一覧
口調はひどくやさしかったそうだ。 が、要は、「出て行け」と言われてしまったのだという。 そう呟き、彼女は、窓の外の様子をうかがう。 「わたし、からだが思うように動かないからね」 たったそれだけのことで。
広くはない川の夏の楽しみは、笑顔との出逢いにもある。 流れの速さに転び、苦笑を。 見知らぬ人と目が合えば爆笑にさえ。 「ほら、そっちのほうがやっぱ、歩きやすいよ」 視線を放れば、首が縦に振られもする。
無力感に貫かれていた。 哀しみを身心の奥底にしまい込むしかなく。 が、「それでは立ち上がれない」と。 「悔しいし情けない。でも、このままでは…」 涙を拭い、「どうでもよくないことばかり」と呟くのだった。
暗雲が垂れ込めたときは、立ち止まることだ。 靄が出てきたり、霞がかかったりしたときも同様。 腰を低くして、周囲を眺める。 いっそ地上に伏して、成り行きを体感していく。 実は、長くそうもしているのだが。
豪勢でなくていい、口に合う食事なら。 ゆっくりでいい、歩くことができるなら。 のんびり湯船に入ることができれば僥倖か。 薄くていい、布団の上で眠りにつけるのなら。 豊かだと思う、生きていること自体を。
生命とはわがままな運動体。 だから、心を寄せ合うだけでいい? つながっていくしかないのだ。 人類総体が満ち足りて感情が動かされ、いつか互いに感謝し合うのだろうか。 それとも、疲弊の果てに、平和になる?
我慢しかない労働の現場に談笑はない。 1世紀以上存続しているのが大企業ばかりでは。 小さくても希望が再生産される会社が今も、侮蔑を受けている。 いや、殺されているのだ。 手作業が死んだ後に、何が残る?
どん底の笑みは、大切なものを守るため。 微笑むしかないときがあるのだ。 「おしまいにしていいのか」と問う、問い続ける。 滑らかで一途な想いは、きっと残せるはずなのだ。 残さなければオシマイなのだから。
信号がようやく青になる。 おれたちは品行方正、長い横断歩道を渡り出す。 いつもは先を行く奴が遅れていた。 振り向けば、指差している。 視れば、大きなおおきな夕焼けが落ちていき、山々を照らし出していた。
場所を、人を、訪ねる。 到着すれば、「暑いですね」「そうですねえ」との会話も。 そうした日々に、ふと寄り道をすることもある。 道そのものを訪ねるのだった。 そうしたときだ、静かな言葉がやって来るのは。
風通しのいい場所に座す。 ゆっくりと静かな方向へ呼吸を整えて行く。 次第に穏やかな心持ちが湧きだして来る。 身近な生命も体感、その欲さえ感得するときも。 「ここからだ、ここからなんだぜ」と、目を開ける。
逃げることはできない、約束、いや、時間の根源からは。 あるいは、徳や道からも。 承認への欲求こそ人を交わらせていくのだもの。 ただ、今も分からぬまま月謝を払い続けているかのよう。 寛げるかな、いずれ。
子ども時代の情景がふいに視覚に現れるときが。 そうして、聴こえてくる音色に、ひどく郷愁をそそられて。 あなたの感じていることぐらい分かっているさ。 わたしが思うぐらいだもの。 足を、川に浸しに行こう。
コミュニティーの崩壊が続いていく。 隣組はごめんであるのだが。 個々に分断していったほうが、商売になるのだ。 挙句の果てには、行進するための組織へと? 今も友の足音を聴こうとしている、感じている――。
気持ちをなだめてくれる感傷。 大切だ。 とはいえ、余裕の産物でもある。 むしろ、遠吠えのような哀しみ、また吐き気のような憤りの幅の中で呼吸を重ねてきたのだ。 棒倒しで、テッペンをとりたいわけではない。
不必要な商品? いいや、究極的には商品という不必要に囲繞されながらも、思うは出逢い。 何と、誰との? 輪郭は不明なまま、想いが湧いてくるばかり。 問題は、出逢うことができる当方の、野生・野性でもある。
美味し過ぎると倦むものだ。 だから日々、飽きない美味しいものを胃袋へ、さらに脳へも? 人間は確かに1本の管だと体感しつつ。 そうして、あらためて気づく。 管にあれこれ付着した、関係としての肉なのだと。
遠い未来、ポイントカードはどう思われるのだろう。 何より私有地は。 わたしはわたしの主人ではなくて一向に構わない。 単なるお客として、いや、隣人としてつき合っている、いく。 営利や私有とは違う場所で。
石蹴りをしながら帰宅する後姿。 子どもは、哀しみを知らない? それこそ幻想だ、何も知ろうとしていない。 子どもは、ただ哀しむ術を知らないだけ。 実のところ、喜び方は、たんと知っているのにも関わらずだ。
喧嘩したことは確かに記憶している。 ただし、ときが経てば、原因はいつだって朧? 生命は尊い――。 そう発語する前に、肝心なことがあるのだろう。 身心を丸ごと迎え入れる自らの身心の回路を、まず歩むのだ。
物を捨てれば、スッキリ。 確かに。 が、精神に、贅肉がついていやしまいか。 そも、物に囲まれていてもなおかつ、スッキリした心持ちこそが、晴朗なのではと。 ゴミではない精神にはゴミさえ必要なときもある。
注射針が刺されるまでの束の間、死刑台への道のりと同根との言。 ほどなくしての死と、回復の違いはあるが。 病は移る、もらうこともできるが、生は? 元気はたえず生むものだ。 湯を沸かす道具を買い直そうか。
恋や愛を説明するのは困難だ。 両親の、その先の、戦争で亡くなった血族も叩き起こさねばならない? 無論、あなたの妖しく爽やかな姿自体も解かねばならない。 しかも、時代や背景等も。 ただただ、浸っていく。
周囲にも偏在する困った人。 出逢いこそ宝ではあるものの…。 が、人様を困らせる困った人こそ、実は困っている場合も。 満員の美術館で兵隊の如く絵画を鑑賞する愚は避けたい。 声を落とし耳をそばだてている。
死は哀しい。 が、永遠の生命という惨さは恐ろしいばかり。 関東大震災に胸躍らせ、テント生活を愉しんだ子どもたちが長じて知った大切な声。 今、体感している。 上下しか視ていない空虚な想いとは縁を切ると。
頼みもしないのに奇天烈な意味を付与して、突き進んでいく一群。 一方的にご満悦な様子だ。 このままでいい場合もあるのだが。 滅んでいく姿を目撃していくだけ? それにしても、頼んでもいないのに、何てこった。
「病気は治せるが、心は無理」との言。 一方、「病気は治せない、心は何とかできる」との話も。 さらには、「心身一如、共に治していくもの」とのヴィジョンさえ。 わたしは歩いていく。 空っぽになりながら――。
モデルと了解できる美しい女性が座していた。 周囲の男たちの視線は釘付け、気配で分かる。 席を立つ彼女、周囲からため息が。 その途端だ、彼女がゲップを。 解放のような苦笑、絶望に似た微笑、臭い立つ平和。
家族への罪滅ぼしとサービスとは違う。 そも、詫びたり奉仕したりする対象ではない。 今や衝動は閉じこもりがち、鬱屈は外出しがち。 どうでもいい言葉をしきりと思い出す。 毎朝、家族に別れを告げ、玄関へと。
オートバイを乗り回した、暴走族ではなかったが。 メットを被った、企業や組織に属さなかったものの。 結婚し酒量は減ったが、板の間で寝込むことも。 行き倒れたくはないものの、保障なし。 夢は寝床での逗留。