2018-02-01から1ヶ月間の記事一覧
自分を曝け出す。 そうして、自分で受け止める。 他者の発生だ、そこからなのだ。 気取るなよ、逃げてはいけない、自分から。 ごまかしていれば、自分の首を絞めるどころか、自分という他者と出逢えないままだ。
「花は正直だね」 耳元で走った言葉。 振り返れば婆さんが2人。 「そうだねえ」と応え、腰を叩き、仰ぐ姿勢のもう1人。 つられて視線の方角を視れば、正直者たちがポツポツと。 婆さんたちも、笑顔の開花だ。
散らかされた部屋。 しかし、住人にとっては整っているのだった。 事実、きれいで、掃除は不要なのである。 だが、何やら分からないのは何故なのだろう。 ふと、「ああ、そうか」と、人の気持ちと同じなのかと。
持ち家を煽ったのは無論、儲かるから。 景気だってよくなったさ。 が、今や負担以外の何ものでもない。 結果的に消費は落ち込むばかり。 居場所はもう、老いていくばかりの身体にしかないという帰着点、出立点。パレードへようこそ(字幕版)発売日: 2015/09/2…
格差社会というが、単に階級社会ではないのか。 もう長く続いている。 何のことはない、強い勢力だけが跋扈しているだけだ。 グローバル化の基本だろう。 弱き者はただただ奉仕させられて、娯楽で憂さ晴らしか。
重い病気の方への禁句があるという。 例えば、「元気そうですね」。 そも、「医学は発達したから治る」もご法度とか。 ふと、使ってもいいときがあるのではと。 ただ、相手と居続ける想いがあればこそなのだが。
ルールが大切なのは分かる。 マナーやエチケットも。 そうでなければ、醜さは露呈するばかりなのだろう。 が、すべて根底にあるのは不信ではないのか。 美しければ美しいほど、醜さが浮き彫りになるときがある。
後々響くので無理をしないことと言い聴かせる。 とはいえ、無茶までして。 もっとも無謀まではいかないが。 できれば愉しいこと、身心が悦ぶときを。 わずかの時間でも行えば、修復してくれる場合もあるだろう。
死体を喰った日本兵は何をどう感じていたのだろう。 食前食中、そうして食後に。 戦後、豪華な食事を前にして何も感じないようにしていた? 他人ごとではない。 自分を捨ててしまい思い詰めるばかりだったのか。
ソ連兵に女性を接待させたという記事を読んだ。 情けない。 接待もさることながら、戦後の差別で二重、いや、何重もの被害を与えたことがだ。 何を偉そうに? そうだな、だが、情けないと認めた場所からだろう?
自分を愛しているか。 人前で全裸で舞うことができるほど。 曝け出す、出逢いを求めて。 そこからなのだ、他者を愛することができるのは。 違う? それならまず、自分を受け入れられるほど、全裸になることだ。
そりゃあ、落ち込むさ、いくつになっても。 ただ、質・量が違ってくるだけだ。 つまりだ、いつまでも、どこまでも諦めないこと。 その1点さえ保持できれば、どうか。 落ち込むこと自体をよしとできるだろうか。
たとえ遅い時間ではあれ、夜には布団にどうにか潜り込める。 「何よりの贅沢さ」 楽というより救済? そうした者の一人として生きがいという言葉を聴くときが。 贅沢という言葉を使えずに、うろたえるばかりだ。
お金の心配がない。 しかも、健康で心穏やか。 友に恵まれ、愉しむ趣味は多く、言葉は明確。 求めてそうなったわけではなく、自然にということのようだ。 「ふと寂しいときがある」と聴き呆れ果てたのだったが。
死ぬときは手ぶらだ。 そも、何も持てないだろう。 小さなちいさな荷物でさえ必要なし。 だからか、今、目の前の荷物の多さに驚く? 静かな心持ちで争わずに呼吸を重ね続け、ついに息を引き取るのならいいのだ。
安価なデジカメにも効用がある。 見惚れている場所から、立ち去ることができるからである。 「うっし、撮った、次、行くべ」 記録というより、その場を離れるためのメディア。 幾度もいくども繰り返すのである。
中学生のころ、キスはバカみたいに想えた。 したいことは、他にいくらでもあったのだ。 人を離れたシステムや考え方などに関心はなかった。 カレンダーをめくる。 そのとき感じることは変化していないようだが。さざなみ(字幕版)発売日: 2016/12/02メディア:…
悲しみを手放さないこと。 その悲しみ。 手放したほうがいいときもあるのだったが。 が、いずれ想起するのなら手放さないよう意識していく。 しかし、いつか、みな、ただただ阿呆になっていくだけなのだったが。BLUE GIANT(1) (ビッグコミックス)作者: 石…
生産され続ける娯楽作品の構造は変わってはいない。 敵と味方、そうして敗北や成功。 気晴らしは必要、つい視てしまうときも。 「現実の善悪は明確に分けられるわけではないよな」 そう体感しながら夜道をゆく。
「ったく、嫌だなあ」 努力もしないで世間知を振りまく手合い。 イライラとしてきて、しかも哀しいといった感情の同時飛来。 関わりたくないものの、ふいに近づいてくるのだった。 親しみを込めて受け流そうか。アメリカ細密バス旅行 (文春文庫 (139‐10))作…
偉くなくていい。 はなっから望んではいない。 われとわが身を考えれば、望めないもの? 他人様に酷い危害を加えず、元気でいてくれればいいのさ。 そうして、もしできることなら、気のいい奴でいてくれたらと。
一生をかけて何ごとかを手掛ける。 完成とは程遠くても。 その際、いっそ何も手にしないで愉快に暮らせていけたらと。 とはいえ、手にできないだけなのではあるが。 夕焼けを眺められるだけで上等な日々なのだ。
辛いことがあったとき話せる人はいるか? 言いにくいことを腹蔵なく吐露できる相手である。 いるならオッケー。 もっとも、嬉しいとき心底喜んでくれる人こそ必要なときも。 ともに抱え込まないほうがいいのだ。
齢を重ね、伝えられる時間が十分にあるわけではない。 大切なことを、まずは選んでいく。 概ね暮らしのことになるかと。 時間がかかることばかりである。 時間がないのに、時間がかかることをしていくのだった。
今をちゃんと視ているのかどうか。 出来ているのなら安心だ。 もしかすると、のびのびと失敗もできるだろう。 が、ちゃんととは何か、まだ言い切れる根拠を持たない。 そも、大切だとは体感しているのだったが。
だるい。 「たまさか、感染したわけじゃあないよな」 今、寝込むわけにはいかない。 そう感じて、「生きている間は、いつだってそうなのだろうな」と。 陽射しのもと、「歩き続けられればなあ」と体感する日々。
あれこれあっても今は一致団結する必要はないのかも知れない。 その前にまずは空虚な諍いはしないことだ。 相手を尊重した喧嘩ならまだしも。 用意周到に開かれていくことだ。 想うツボへと向かわないためにも。
過去に妙な形で捕まっている。 が、今、目の前の事態に直対応していくのだ。 要は切り替えていくことが要なのである。 少しは学んだことを総動員して。 それで呼吸が楽になれば、笑顔にだってなれるだだろうさ。