2015-10-01から1ヶ月間の記事一覧
彼曰く、「笑顔が魅力的な方がいたんだ」。 彼は、ミルクを入れないコーヒーを口に運ぶ。 「決して悪い人じゃないんだよ」 そうして、声を幾分落として、明確に発語した。 「しかしさ、奴はさ、悪人だよ、悪人」
疲れたとき。 使える余力を、振り絞る。 そのとき、余力を使いつつ、ためていく方法はないものか。 疲れ果てるのは、いつだって当たり前なのだから。 素寒貧の爽やかさも知ってはいるが、冬前には余力の蓄積だ。
子どもは暴れ出す。 高齢者は渋滞を作り、若者は小さな画面に向かい、ふいに立ち止まる。 働く人は、つんのめりながら先へ先へと。 視界は乱れ、視点はぶれっぱなし。 身心のリズムで歩くのだ、半歩でいいから。
早朝、ズボンをはくとき壁に手をやるときがある。 その前に、さっと起き上がれなくなってきた。 排泄では緩んできた感覚も。 そも、食事中、こぼすようになってしまった。 「はっけよい残った残った」と朝から。
人が増えていけば、問題は発生するもの。 問題は、新しい問題をも招き寄せる。 一方、人が減れば減ったで労働強化に。 深刻な問題がそこかしこに。 病気になることさえできず、仮に患っても病院へも行けず――。
「年金だけでは暮らしていけないよ」と幾度聴かされたことか。 資産に貯金、支援がなければやっていけないと。 そも、死ぬまで働かないと暮らしていけない? 今も失うものは鎖のみ。 もやは死んでも働けと――。
「大きくなったらどんな仕事したい?」 「眠る仕事」 「そんなのないよ」と言えば、「誰か、発明してくれないかな」。 「会社で眠って、帰宅後、疲れから眠れるのかなあ」 すると、「大丈夫」と答えるのだった。
プールでときおり逢う婆さん。 追い抜かれて歩き、ジャマにならぬようストレッチをして、稀にゆっくりと泳いでいる。 「たいしたものだぜ」 80歳を超えたと聴いた。 実は、スポーツ選手以上の負荷をかけている?
礼儀や作法も欠落した電車内。 規則さえ身についていないが故に当然か。 いっそ礼儀はエチケット、作法はマナーと伝えれば理解し、ルールとしての規則を守る? 今朝も人心事故。 通勤電車はただただ走っていく。
戦場――。 一瞬たりとも気が抜けない。 「秒刻みで莫大な消費が可能なんだよな」と彼。 お金が行き付く先の笑顔の連中の心。 「理解不能ではなく、分かりたくない」と呟けば、「それこそ敗北」と怒るのだった。
自問した。 体験を経験まで深め、奥行きを作ってきたかと。 そうして、考えを成立させて、とらわれず、呼吸のしやすい広場をめざしてきただろうかとも。 まさか暮らしの梃子を手放してしまった? 自問している。
望んではいないのかも知れない。 が、特等席に座らされている? 何でも視えているかのよう。 が、単に視ているだけのときが、足早に過ぎてゆく。 ふと、枯れ葉が落ちて来て、手のひらにおさまる情景を夢想する。
重い世界からの解放という願い。 が、ついに成就はあり得ない。 そこでだ、少しでも軽く暮らすためにも、意地でも跳ねていくこと。 その場その都度だ。 できないときは、引きこもっていくしかないじゃあないか。
空っぽだ。 毎度まいど、財布は空っぽさ。 しかも、身心や脳だって空っぽそのもの。 そのくせ、重くておもくて仕方がないったらありゃあしない。 だから、今日も、ゆっくりと静かに深く、椅子に座ってゆくんだ。
兵器を輸出する企業で働く人々。 食卓を囲み、何を話す? そも、積極的平和主義という形容矛盾の文脈が、そこかしこに。 差別は当たり前、貧困もまた。 尽きない想いがあるのなら、語り出すしかないのだ、今も。
今、奮い立たせてくれる唄。 が、口からこぼれて来るのは、単なるラブソングばかり。 囚われてしまうなら、愛とは言えない。 それでもなお、ラブソングを歌い、立ち上がっていく。 根拠はそこにしかないからだ。
医療費削減には最適の体育施設。 運動で健康になり病気予防? が、閉じ込められ、拷問器具に起源を持つ機器に弄ばれているかのよう。 むしろ空いた公園こそチケットいらずの施設。 その場で即、歩き始められる。
通信機器は今や毛細血管。 身心丸ごと享受しつつ、緻密につかまっている感覚が湧いて来る。 青臭い? そう、現実知らずの、いや、現実を見ようともしない結構毛だらけ、乱れ髪の毛もなく。 逃げるときは失った。
身近な方に安心感を与える、開かれた方。 きっと佳きことが何か、静かに伝わっていくだろう。 美しい心を熱く追い求め、かまければ? 心は逆に、薄汚くなっていく場合も。 安心感は関係からわいてくるのである。
歩く、歩き続ける中で、歩く。 小道とはいえ、いくつもの道が次々と眼前に。 木の右側か左側かとは考えず、歩く。 身心はたえず選択しているのだった。 癖もあるのだろうが、基準はどうやら快の予測にあるのだ。
分からないことが増え続ける一方だ。 そも、相変わらず戦争が生産されている。 いけないことをすればやめる。 気づかなければやめさせるもの。 が、超消費社会のたどり着いた場所では、空爆で多額のお金が動く。
強さにはいくつもある。 例えば闘う強さ。 耐え忍ぶ強さも。 優劣はつけられない上に、強さを求めること自体、間違いやすいものだ。 が、日本人の寂しさ、転じて、熱狂する姿に耐え続ける強さは、とても欲しい。
武が文をやり込め続けた歴史。 今も相変わらず地続きのままだ。 腹では、戦いたいという欲望の絶えずの発生。 要は、戦いたくて仕方がないほど欲情している? 萎えるための老化という薬が即、効くといいのだが。
人々は今日もテーブルに。 豪華な食事をとり、実は飢えている。 食べれば食べるほど、飢餓状態へと。 腹は十分に満たされているのだが。 アスファルトを剥がし、ポケットから種を取り出す人々が横切って行った。
「マシだぜ、疲れただなんて」 彼は、杯を空けてから続けて曰く――。 「辛いのは当然さ。でもさ、弱音を吐けるだけマシになったんだ」 そうして、「すでに立ち上がり始めた言葉だよな」と。 店外には汚れた川。
関係ないと想えども、今も左右両陣営。 世界とやらを意識した国際派に、あくまでもここに固執した土着派も。 いずれにせよ、一途な閉じた党派性には懲り懲り。 国家偏重主義にも。 自ら開かれないで、どうする?
要は、今もまだ下僕なのである。 改正云々の話ではない。 つまり、娯楽でやり過ごし、下を視ては安心、本来自分の分け前なのに喜んでいただく在り様。 正確な位置を見抜けないまま。 「下僕からの解放」と呟く。
軍隊への自由に軍隊からの自由? そも、軍隊と自由とは相反するもの。 何も守ってくれないことは、明々白々たる事実。 あれば安全というが、自国民を轢き殺した戦車も。 手ぶらがいいさ、倒れるとき手を出せる。
あえて愉しみを求めなくともいいのかも知れない。 ほら、浮かんでいるものがあるよ。 愉しみはときに濁るものだ。 ほら、心地よさそうに輝いているよ。 寝た切りであっても、月光を浴びることはできるのだった。
美味しいものでなくてもいい。 自分で食べられるのならいいのだと。 入浴や排便もまた自分でできる悦び。 ご高齢の方からよく聴く話だ。 自分を生かしてくれる技術を、自分でできることが幸せだというのである。