2010-03-01から1ヶ月間の記事一覧
「これ、なんてよむの?」と娘。 「こい、だな」 「ふうん。なに、それ?」 「乞うこと、ま、お願いしますってことかな」 「じゃっ、おとうさん、まいにちだね」 かくして娘に肩叩きの恋。
「あっ!」 そう気付く前と後とでは、別の世界。 そうして、言葉が、言葉で、言葉を立ち上げてゆく。
四季もさることながら、 たった1日の中に、 明るい朝から暗い夜まであるとは、 まったくたいしたもんだ、見事なもんだ。 日々感服です。
大酒を呑み、記憶を失う。 「それって気絶しているんだよ」 そう専門家に諭された。 不謹慎ながら大笑いを。 気絶する機会が続き、嬉しい大弱り…。 アホか。 そんなところです。
いい方向へとは変わらない? だから何度でも何度でも何度でも、 現在に走り書き。 見えない場所に暮らすのだとしても。 「だからこそ」と再び呟く桜の木の下、 穏やかな爆裂日和。 ついに春!
すったもんだのすっとこどっこい、 すっからかんのお調子者。 ただ今現在、日差しが嬉しくて嬉しくて、 涙というより、涎が出そうみたいな。 眉間は開かれ、口ポッカ〜ン。
私という宿痾。 元気の証左なら嬉しいな。
家族のいない独りの夕食は餌のよう。 もちろん、いっこうに構いはしない。 いや、むしろ獣になれる分、 うわあっ、 楽しみなときもあるのだった。
暖かい日差しに布団を干す家。 奥から、子どもの、「もっと寝てたいよお〜っ」の声。 穏やかに破裂し、こだまする春の光。
病院の廊下を入院中の脚細き中年女性が懸命に歩いていた。 一服つけに私が座す長椅子の横へ。 問わず語りで、「今、できることをしなきゃ」と。 続けて、「助からなくともね」。 窓の外の桜に気づいたのは後刻。
現代文明が、 消えてしまった古代文明のごとく感じられる朝に、 熱いお茶を飲んでいる。
本に書かれた文章を読み、その気になり、その後、「ああ、見当違いだったな」と気づかされたことが、幾度もある。 若いなりに重要な事柄だったので、今でも思い出す。 ただ、それだけの間抜けな話なのだけれども。
まだ人けのない、鳥や植物の時間帯の原っぱ。 湯を沸かし、コーヒーを飲み始めた。 ヘッドフォンからはジミ・ヘンドリックス。 ドスのきいた優しさよ。 たじろぎながらも浮かれ、朝日を浴びようと顔を上げた。
もう、家に帰りたい。 明日に残るものを作りたいだなんて、野卑なこと。 今はもう、家に帰りたいだけ。 限りある地球が家ならば、からっぽのまま、ただ現在へ。 そう、今はもう、家に帰りたいだけなんだ。
家路にもふと、家のあたたかさ。
子どもがじゃれついてくるとき、私もまた、滲んでいる。 気付く、図星の言葉だけでは展望を切り開けないときもあると。 揺れ続ける不確かな場所でも落ち合おう。 な、そうしよう。
鋭く硬い乾いた男の奥底に潜む沼地。 ダチに本当も嘘もない、ダチはダチだ。 接続句を使う必要もなく、語り掛けた。 「もうゆるんでいいんじゃあないか」 そうして、「蓮の花は沼地で咲くんだぜ」と。
暮らせるだけの小銭、 周囲にそこそこの自然、 そうして食卓を囲む家族。 持病はあれど、とりあえずの元気。 それ以上、望まない。 そも、贅沢の部類か。 歩くことができれば十二分、歩ける喜びだけで。
中高年の切実な問題は、お金に健康、生きがいという。 確かに。 が、どれも皆、人様に言えるほどのものはなし。 「知ったことか」気分で、「持ってけ、泥棒」の日々。 ああっ、クッキリとスッキリ。
才能? 世迷い言さ。 どんな下心があるのやら、何の魂胆だか。 それが評価基準だなんて、知恵とは言えない。 関係性からの突出ではなく、関係性そのものへ開かれていけることを 願っているよ、祈るばかりだよ。
あの頃はよかった? ОK。お互い、知れた持ち時間、帰る場所があるだけマシ。 ただ、空気を含め思い出せなくてさ。だから生きてこられたわけでもないが。 何より身体が変わったぜ。 昼前だが、もう1杯いくか?
両親を始め、友人知己の死に際に立ちあい、知った。 死は決して怖いものではないと。 爾来、子どもに贈るプレゼントに、私の死の過程を見せることが加わった。 春の雪の日、そこが基点の親子関係の創出をと願う。
中年男性作家の書いた通俗恋愛小説を、 手書き文字で読んだら大笑いか。 暮らしは、活字でなく、 手書き文字でいきたいのだけれども。
肉でできた小舟に乗り続け半世紀以上。 難破したり、酔ったりせぬよう、補修しつつも、 どう漕ぎ続けていくのか、手を焼くときも。 曇天多き日々に日差しを待ちわびながら、 錨をおろし、束の間、ゆらりゆらゆら。
転ばぬためにも身体は鍛えたほうがいい。 ただ、肝心の五臓六腑や感覚器、体内空間などは鍛錬だけではどうにもならぬ領域だ。 戦禍を思えば鍛えないほうがいいこともある。 そうだ、共闘でいこう、身・心・脳の。
すべてが存在する原っぱ。 そうして、ついにやって来て欲しい夢を食む子どもたち。 光、そう光だ。眩しくはない、懐かしい光。 闇さえ消す非情な現実を炙り出すだろう。 へへっ、生きていくさ、まだ。まだまだ。
ちょいメタボのほうが長生きするそうな。 克服して短命なら、何をかをいわんや、瀬戸わんや。 落語『頭山』じゃないが、頭にできた池に身投げするみたいな、何が何やら。 あたしゃ、おのつくビール、お代わりね。
悲話もまた、 微苦笑を交え、 大切なエピソードとして、 伝えられる日がやって来た。
ふと呟かれた言葉。 「決め付けないように、断言しないように暮らしてきたよ。 姿勢で語ることが少しはできやしないかと思ってさ」 そう言い切ろうとした友の目尻に、 穏やか、かつ柔らかく流れる皺の川。
街に他愛ないラブソングが流れていた。 疲れてもいないのに胸締め付けられる思いに。 春の歌声は柔らかい鍼。 耳という経穴に躍りこみ、全身に心地よさを与える。 緩めば、穴蔵から這い出す契機と感じ入る初春。