2019-03-01から1ヶ月間の記事一覧
何気にブログを視ていくと、この日のページが消えていた。 写真も、この界隈を含め、消えている。 「冗談じゃないよなあ」と呟くばかり。 が、信用したわたしが馬鹿だった? 仕方ない、消えた日は消えたままだ。 Public Image Ltd - Rise (12"Version) (1986/…
無罪を主張したという。図々しいにもほどがあると痛感した。無罪放免になったとしても、許さない方々は多い。わたしもまた、その1人である。仮に想いが倒れても、次から次に同じ怨みは発生していくだろう。 Bob Dylan - Love Minus Zero/No Limit 和訳
弱いから辞める?うんざりしたから消えるだけなのだ。そも、弱い者でもいられる社こそサバイバルできる。勘違いするなよ。強い者、変化する者ではなく、居場所が確保でき、適していける者が生存できるのだ。
忘れないためにメモをとる。が、メモの意味が分からないときも。「何のことを言っているのかな」と。気づいたときは、「なあんだ、こんなことか」と自らに呆れる。そうして、意味不明の用紙は増えるばかり。
娘の病、息子の死、きょうだいの手術、連れ合いの死。 そうした話を聴く日々か。 過日、娘と息子を間違えてしまう間抜けぶり。 失踪話さえ。 「年を取るのが大変なのは、心配ごとが増えるから」との言に首肯を。
いいことを言う腹の底では邪悪な人。一方、嫌なことを言う、清い心の人も。前者はなかなかに見抜き難いものだ。恋人同士の腹の探りあいなら、愛しいものだが。いろいろと面倒になる加齢は悪いことではない。
ビジネスライクも何もない。3時間前に辞職勧告の国ではないのだから。関係を壊してもお金?裸の王様・女王様ばかりが闊歩している。周囲が率先して口をきかない、伝えないだけで、すでに敗北なのだったが。
得たものがあるとは、失ったものがあるということ。が、失ったものがあるということは、必ずしも得たものがあったわけではない。得たものがある悲しみもあれば、幸も。失った場合は、幸が遠い、明らかに遠い。 Marc Cohn "Long As I Can See The Light"
生き延びるために必要なのは強さではない。無論、変化でもないだろう。要は適応こそとの視点に、「そうだよな」と。適者生存こそが今もなお、求められているのだ。適応できない適応もまた、求められている。 Laurie Anderson & Kronos Quartet - The Water R…
人々は命を削り、働いている。命をだ。中にはまだ暗いうちから起き出して、準備に余念がない方々もいるのである。だからこそ、せめてと痛烈に想うのだった。せめて苦労のしがいがあるのなら、いいのだがと。
自分は最高という手合い。当然のことながら、聴く耳なし。そのくせ、褒められたいからと、ねじれた自慢話も。人を人と思わないような扱い方だ。批判は無意味、距離を取り、解体の準備をするしかないだろう。 A FLG Maurepas upload - The Brothers & Sisters…
今、忘れ去られた大切なこととは何か。例えば他の意見を受け止める、受け止めようとすること。何より、その奥底の気持ちが重要だ。排他性に依拠した意見は嫌だが。それでも、言葉の奥を探ることは忘れまい。
スイスイと抜かれてしまう機会が多い。 今はもう、特に感情はないな。 「いいな」とは想った。 というのも、わたしを抜くとき、唄をハミングし出した方がいたからだ。 そうして、危険を知らせてくれたのだった。
満員電車とは何か考えずに乗ってきた。ただ、「大変だべさ」と。想った、「他のあれこれでも似たような判断停止のところがあるな」。そうした折、せこいが美しい、この領土の自然は、満員というより充実かと。
かつて養生法に頼った時代がある。医師にかかるのは高額だからだ。風邪なら、薬を利用するより寝ていたほうがいい。そうした当然のことが、今や出来なくなっているのだった。どちらの前提が健康かは明白だ。 Joni Mitchell - The Magdalene Laundries
今、痛感している悩み。癖にならなければいいのだが。ヨーガの如く、適度な負荷で気持ちがよいとなれば捨てたものでもない。悩みを溶解させるストレッチとしての強くも柔らかい意志。今日も沸かせていこう。 9 Smith Baby Its You u002769)
過酷な今に耐える人々。仕打ちに青息吐息だ。が、身体を壊したり、感覚がマヒしたり、悩むことが癖になったりするケースも。必ずいいことが起きるとは限らないと知っておこう。得こそしなくても損はしない。
言葉が届くといい。 いわゆる、わたしのことを伝えたいのではない。 発見が届くといいのだ。 特に大はつかないが。 生き延びられる、生きていける、暮らしたい、そう思えるようなことは、今もなお、発見の領域?
両親や友人知己の何よりの贈り物は、死の過程を見せてくれたこと。 向こうは、そうは想っていなかったろうが。 死は怖くないと知らされたのである。 ただ、「困るよな」と。 いずれ、わたしが贈与する番が来る。
きっと損はするのだろう。が、間違った道でないなら進むしかない?それはそうなのだったが。致命的なダメージを受けぬようにと今日もまた、祈るばかりだ。起死回生のために立ち上がれなくなってはいけない。
共生だなんてタチの悪い冗談。征服して押さえつけ、追い出す輩はいるのだ。犯して殺し、奪う手合いと瓜二つさ。共存さえ今は覚束ない。わたしはといえば、相変わらず重く呑気で、阿呆な都市の徘徊者だ。
広告に頼っていてはダメだ。 しかし、購読料だけでもダメである。 媚びへつらいがやはり、現れるからだ。 今も戦意高揚を反省しきったとはいえない。 あの金子光晴翁でさえ、書いてしまったことがあるのだった。 Valerie Carter - Ooh Child
今だから言えることがある。 ということはだ、逆に今だから言えないこともあるというわけか。 重要書類が何枚、燃やされてきたことだろう。 が、事実は事実だ。 人々が知るべきことは、知らせていくべきである。 The Equals Baby Come Back 1968 Stereo
自転車に乗っていて追い抜かれる――。そうしたことが増えた。すっかり見送る側になっちまったのだ。要は、見送られる年齢になるにしたがってである。ならば無理せず見送りながら、いずれ見送られようかと。
狭い視野にドス黒い欲望、歪んだ考え方。金輪際、関わりたくない。そう、毎日まいにち感じながら過ごしている。必要なのは思いやり。倒れそうな人に、自分でさえ気づかないほど咄嗟に伸びていく手の営為よ。
技術と芸術、また労働と遊び、あるいは美と日常の違い。まったく違うものではないのだろう。ともに手が象徴する営為が介在しているのだから。練習と本番さえ、同様。今を、ここを、今ここにいて受容したい。
野菜を育てることに今以上に関わりたい。 が、外食や買い食いの日々だ。 調理して食べることは暮らしの基本だと痛感を。 作るとなると、炒めものがいいところだが。 それさえ昭和30年代では手間がかかったのだ。
床についたときのことだ。 「あそこを歩いている」といった感覚にとらわれた。 あの路上をたった今、歩いているのだと。 そうであってもおかしくはないと感じ入っていたのである。 その夜、眠りは素早く訪れた。
手放すのが惜しいものは何か。脳内にはあれこれ想念がわいてきても見極めておきたい。暮らしは単純にしたいもの。出掛ける準備、去る準備は同時にできないものの、実はできるかも知れない。死がそうだもの。 Marc Cohn "Long As I Can See The Light"
住みたいところは何処だろう?やはり命の根っ子が悦べればいいのだったが。例えば、冬の陽の当たる時間を自由に使え、国家が視えないところ。何より、人を当たり前に信頼して暮らしていけるのなら申し分ない。 Bob Dylan ~ I Threw It All Away~ Live on The…