2009-01-01から1年間の記事一覧
生の実相は、意味・無意味という位相だけでは捉え切れない。 善悪、美醜、損得、さらに成功・失敗だけでも。 それ故、「だからさ」と続く──。 さてもさて、来年の明日からの元気を祈念しています。 よいお年を!
野垂れ死に? よせよって。野垂れ生きで結構。 ただ、座席は目指さない、今もまだ。 実は脳力より脚力の落ちたほうがショックなのだが…。 こんなご時世だ、「思い詰めて死なない、うっかり生きない」でいくさ。
爺さん婆さんを追いやる 無法な自動車に、無謀な自転車、 おまけに、無情な人・ひと・ヒト。 何に急かされ、何処へ行こうというの? ひょっとして、天国への階段、極楽への門が見つかったとでも…。
高齢者心得。 今年はよかった、来年より悪くはないだろうから。 来年もいい年だろう、再来年より悪くなるはずもないだろうから。
体から横棒1本取れば、休。 面白いな。 たまには取るか、心のつっかえ棒、辛抱も。 体だって休めるはず。
冬の中央線車内から、窓の外を観た。 ビルの向こうには富士山。 くっきりと厳かに鎮座していた。 通常よりゆっくりと過ぎ去る白き山を拝む、またしても。 経済闘争の戦死が原因の電車遅れでないことを祈りつつ。
サンタクロースの存在を信じ切っている娘が、 かたわらで安らかに眠っていた。 何よりの贈りもの――。 そうか、サンタクロースは、 煙突のない我が家にも、とうにやって来ていたんだ。
人を敬い、真摯、かつ義を知り、慎ましくも人知れず事態を進めていく。 そうした文脈が格好いいこととして流行したら、 少しは息もしやすくなるのかな。 実のところ、昔から望まれてきた徳目のはず──。
分かるとは分けること。 だからか、分かった人から、 時に陰気で排他的な臭いが漂ってくるのは。 その場所より遠くまで行こうとした人がいたことを、 決して忘れてはいないよ。
表現は、技術だけで善し悪しを判断できない。 根源の叫びや絶望、悲願などに、巧い・稚拙は関係ないもの。 もし技術だけが気になるとしたら、ロックではない、単なるロックスタイル・ソングという妥当な例も──。
12月中旬以降は一段と、 酒と、酒のツマミで生きている。 どすこいっ!
相変わらず派手なビルが建てられ続ける、 水ぶくれの都市。 「まるで、自棄の腹」と画面に出ても、 あながち誤変換でもないのだろう。
今朝、娘の吐く息が白い龍に。 「一緒に遊ぼうよ」と素早く一直線に向かってくる。 私は、「今日もシゴトでさ」の言葉を呑む、呑み込む。 手を振り合えば、互いの口から白蛇。 2匹は宙で舞い、消えるばかり。
「どんなに苦しくても生きろというのはおかしい」(鶴見済) それでも、「生きろ」と思うのは何故? 気づいてしまったあなたと、共に在りたいからだ。 別々の場所にいようとも。 真夜中のドアを叩き続ける──。
気取り暴れて呑んでみたい。 翌朝、内臓を取り出しタワシでゴシゴシ洗い、日差しの下、物干し竿にぶら下げてみたい。 ふわふわになったら元の場所に収めてみたい。 で、うざい皮肉や阿呆な告白を笑っちゃうのさ。
屈託を溜め込んでも美しき利子は生まれない。 とはいえ、撒き散らした途端、被害甚大な有毒ガスへと変化、環境破壊に。 安直な比喩で恐縮だが、まずは全身うがいが肝要かと。 いざ、日溜まりの身心へ。
「例外を視野に入れぬ断言は誤謬」という断言さえ放ちたくなる冬の朝。 損得の立てる砂埃で視界がきかぬ。 冷水に顔面を突っ込み、禊気分で目を見張り、視座をつかみ直す。
詩が雑誌に掲載されて大喜び。 そこで、逆に編集者に貴重な生活費を手渡したとか。 行き来した紙幣は恐らく皺くちゃに。 ダダから禅、身体論を生きた破天荒で、ひたむきな詩人を巡る忘れられないエピソードです。
人は、たとえ幻想であれ、信を置くコミュニティーを失ったとき、自分さえ放棄せざるを得ない。 時に病にも襲われるだろう。 失わない限り、いや、失おうとしない限り、まだ、そう、まだ大丈夫なはずだ。
今も手弁当はご馳走。
見た目もよく、何より美味い! プランター栽培だけで、必要な野菜を収穫してしまう絵本作家の柔らかい眼差し。 その先には屋上菜園が。 夢は、都市のプランター化? 高齢者にもできて、いかす、いかすぜ、実に。
たった今、起きた問題がたとえ矮小だとしても、一番大きな問題。 (あっ、忘れた老眼鏡、取りに帰らなきゃ) しかも、答なき場所で、耐え切ることが求められるのも世の常、人の常。 (どこに置いたか、老眼鏡…)
決めつけるな。 そう、詩人は呟いたはずだ。 底抜け状態の戦時下、家族と共に詩を書き続けた。 詩集『三人』。 絶望の中、身を寄せ合い、諦めずに生きていくことが可能だと発見できる。 重く暗いが、輝く一冊だ。
結局のところ、今・ここで、 「運動・表現・生活」を接続できて、 小さくとも開かれたコミュニティーを創出できれば、 これ以上、望むことはない。
金に飢えたおっさんの前で文学は有効か/マニフェストという実は粉飾決算/すべての表現同様、どん底もまたポピュラー化されてゆく/やっぱクレージーキャッツ・チルドレンだもの/縁側で緑茶ズーズーやるべえか/
したたか打たれ続け、 鈍く離ればなれになってゆく。 だからさ、 身体1個から、地球の無宿人へ、 連帯のご挨拶。
科学で自然総体は作れない/師より私という他者への入門から/泳いでいないと死ぬ鮫同様、宇宙にも私にも休日なし?/理論を超えた厚い胸板/結構な天国耳/どうだっていいじゃあないかというどうでもよくないこと/
とどのつまりは、 卑しく、寂しい、豊かなどん詰まり・どん底ってか。 ドンマイっ! みたいな。
言葉自体も発見すべき場所。 そのことを失念した言葉は、 たとえ発見に満ちていようとも、 薄ら寒く、遠い。
ここ2、3日、 仲良きことに美しさを観た武者小路実篤気分。 ただし、馬鹿一のほう。 いい言葉だ。 馬鹿一。