2013-05-01から1ヶ月間の記事一覧
「おかしかないか」 暮らせる悦びをまず噛み締めないなんて。 幸福は概ね、他人様の不幸の上に成立を。 笑みを浮かべられればいいが、そうでなくともいい。 幸不幸を超える、いや、忘れられたときこその暮らし。
吹きっさらしの場所でスッポンポン。 ポンツクポンツク、スッポンポン。 暑い日々に唇寒く、夜が白くて白々しく、何が何やらスッポンポン。 スッポンスッポン、スッピンピン。 ニッポンスッポン、スッピンピン。
深夜、遠くから列車の走る音が届く。 杯を空けつつ、「幸福もまた、たどり着こうとするだけではないな」と。 まずは気づき、発見するのだ。 窓の外を視れば、月を隠す夜の雲。 特に悪さをしているわけではないよ。
本番に備え、練習は大切だ。 ただ、心の練習はしにくいもの。 しかも、練習は本番の側面も併せ持つ。 力を存分に発揮できる練習といった領域も少なくないのだ。 故に本番以上に訴えてきて、身心が導かれていく。
食卓に並ぶ大中小のコップ。 連れ合いのほうが呑むが、決まって中を選ぶ。 閉めた窓の外の微風が、カーテンの裾をいつもくすぐるのは何故だろう。 今夜は真ん中のコップを手に、静かに床を這う音楽を鳴らそうか。
抜け道は、決まって狭い。 暖簾をくぐり振り向けば、婆さんが、「この道、恐いね」。 そこにかぶる女将の、「お客さんが入ってくれるわけね」の苦笑。 ゆっくりと背筋を伸ばした婆さん。 「熱いの、1本だけね」
給料振込日。 感嘆する色彩を贈呈されたわけではない。 その日暮らしを続ける、その月暮らし。 お銚子を勧める仕草をすれば、傍らの者も呑み干すばかり也。 月を愛でようか、星々から愛でられるようにしようか。
花が散っていた。 音が聴こえたような、そうでないような。 初めて裸になったかのような姿形、どこまでも広い蒼天。 枝とも別れ別れになった花は、香りも視覚へと運ぶ。 笑みとともに、人心へと潜り込みながら。
森へと入ってゆく。 息は乱れても、穏やかな想いは変わらない。 むしろ一段と静謐な心持ちへ。 朝の陽射し、昼の風、真夜中の月・星々。 沈黙の親戚に囲まれている森の中では、自らの呼吸を身心で聴くのだった。
森だ、まず森だ。 香ばしい暗がりに、陽射しが穏やかに届く。 消し難い隠棲の心持ちで、深呼吸を1つ、2つ。 森へと拡がる身心もまた、森の一部――。 何より森だ、森全体へと化してゆく、人とも呼ばれる森だ。
明けない夜はない? だが、夜はまた確実にやって来る。 夜と夜の間の束の間の朝陽は、夜が産んだのかも知れぬ。 お手軽な希望は深い絶望へと転化するばかり。 この手で、夜の、残酷な夜の温もりを発見していく。
帰宅には早い時間帯の電車内。 目の前に定年を迎えた男が座る。 両手には、「長い間、お疲れ様」の文字がうかがえる花束。 広告を愛でるように眺め、居眠りに入る。 その途端、唄を口ずさみ始めたのだった――。
1本の木に咲き誇る花々。 全体をとらえようと、押し黙り見詰める。 そうして、静かに寄って行った。 見上げれば、光の按配で空に浮かぶ花々のよう。 その場を離れて振り返れば、また新しい物語が始まっていた。
長く働いてきた、何十年と。 ついと、「何をしてきたのか」と思った。 少しでも喜ばれてきたのならいいのだが。 何より、「今、何ができるのか」と。 追われながら、今日も明日も手足を核に動く、働く、暮らす。
強い陽射しのもと、どうしたわけか、ずぶ濡れの導火線。 ひょろりと心もとなく、空虚なまま棒立ちに。 乾くのを待つな、いっそ早く腐ってしまえ。 土へと還り、同化に近く、異化には遠い場所と出逢っていくのだ。
目の前には、身心を汚す美味しそうな水。 後はどうなろうと、知ったこっちゃあない。 ゴクリと飲み干す。 喉から全身に走る、忘れられぬだろう愉悦のようなもの。 だが、果たして、喉は、渇いていたのだろうか?
いつでも逃げ場所があるという幸運。 豊かとは言えまいが、出立の根拠にはなる。 折々の場所で、濡れた身心とともに、雨宿りを。 ひと息つける。 小刻みに足踏みすれば温まり、天気を少しは読めるようにも――。
選べるなら、無限・有限、どちらの生? 後者か。 ただ、死ぬ前日、慌てて後1年、いや、1週間、いいや、1日でいいと? 「望みすべてを叶えた人生はない」 教訓を思い出すが、要はあっけらかんと致し方なしだ。
新しい暮らしを求めることは大切だ。 が、懐かしい日々を手放したくはない。 3月12日を迎えるのは、人災を超えることができたとき? どうなのだろう。 記憶の暮らしでは今日もまた、死者と呼吸を重ねている。
人が死ねば心も去る。 そうでなければ、心と一体の身体が寂しかろう。 思い出しては、去った身心を手繰り寄せる。 それにしても、乗り物の身体は心を連れて、どこへ行ったやら。 夜空の向こうの、今ここかしら。
何故だろう、人が動くのは。 理由もなく移動せざるを得ない? 今は多過ぎる出逢いは望まぬ。 あれこれ売りつけられても、「他の方にどうぞ」と。 踏み外さないよう動いているが、自らの呼吸に重心は移している。
忙しいほうがいいとばかりに、日々、ニュースが生産されていく。 虚構はいいが、嘘はだめだ。 ましてや、伸びていかない単なる報告も。 人々は実は、ニュースの根元を暮らしている。 人知れず花が咲いた折にも。
まずは体感、そこに言葉が乗る。 行動至上主義の誤謬が権力者からも滲み出て来る。 逃げられればいい、立ち向かうために。 言葉が感情を超え、行動の消滅を夢想する基点も忘れるな。 おれたちはまだ、大丈夫だ。
「考えごとをしつつ部屋の中を歩き回る」 小説やポップスで出逢ってきた言葉だ。 「えっ、そんなに広いのか?」 雨にも濡れず歩ける悩みとは、あな、羨まし。 ただ、ネズミ不在のネズミ小屋も悪くないものだよ。
今も暮らし方が問われている。 いずれ生きている人々も消えていく。 余計なものを残せば負担になるだけだ。 土産を残したい気持ちは分かる。 が、新品の靴は履きなれていくものだし、何より気持ちがいいものだ。
負担から逃げられるなら、そうすればいい。 ただ、制度の小さな穴を見つけ出すことは、忘れまい。 過去・未来に色目を使わず、今のど真ん中で、暮らしを再生産していく――。 突入でなく、引っこ抜いていくのだ。
そりゃあ、失敗はいやさ。 ただ、単に成功したいとは思わない。 歩くことの楽しみを堪能しながら、振り返れば泥濘に足跡がくっきりと見えたよ。 とはいえ、幸運を心底熱望しているのでもない。
とどのつまりは、職と食が今も昔も大問題。 確かに、職の確保は食の確保だもの。 ただ、今や一転。 「食の獲得が職の獲得へと結びつくヴィジョン」もまた必要なのだ。 描けるといいな、一筆書きで。
散歩しようよ。 ヴィジョンもなく、ただ変えればいいわけではない。 今夜も月が出ているね。 今のまま、変えなければいいわけでもない。 月が照らす道のりは、コースがあるようでないから、呼吸がしやすいんだ。
会社員としては失格だが、専門的仕事で有能な人がいる。 専門的力はないが、会社員としてはしっかりした方も。 人間として酷い輩はともにいただけぬ。 人間的魅力に満ちた者は蹴落とされる場合が多いのだけれど。