告白すればいいのにと。
心の洗濯かどうかは分からない。
ただ、身心が洗われる感覚にはなるだろう。
ならないとしても、足取りが少しは軽くなっていくはずだ。
たった1人になったとき、練習してはどうだろう。
告白すればいいのにと。
心の洗濯かどうかは分からない。
ただ、身心が洗われる感覚にはなるだろう。
ならないとしても、足取りが少しは軽くなっていくはずだ。
たった1人になったとき、練習してはどうだろう。
友人が亡くなっていく。
知らせを受け、時間が経ち、「えっ?」と。
それまで何をしていたのだろう。
気づく、「ダチって国家より遥かに大きい故郷だったのか」と。
悲しみはいらないが、耐えることはしていく。
故郷は1人ひとりの中にある。
自分の中にある譲れない、いや、譲りたくない場所。
動きはするが、今は移動しない。
それでもというのなら、静かで落ち着く場所へ行けばいいだけだ。
探せば、近所にあるはずだ。
アルコールが入る。
そうして、心置きなく、くつろぐ。
自分のことは棚に上げて、無責任な言いたい放題が始まる。
だからこその本心が垣間見える、いや、そのものズバリのときが。
そうしたときがあっていいよ。
「1時間ダラダラ歩いても消耗するだけ」とか。
むしろ、家の中で10分、筋トレをしたほうが効果的というのである。
コロナ禍だ。
もってこいか。
それにしても、加齢とともに効果・効率が大切になってきたとは。
不要不急とは今、何を示すのか。
実は市場に取り込まれ、経済を回しているのだが。
しかも、不要不急の逆の文脈が疎ましい、怖い。
たった1人亡くなっただけで、痛みを感じたのか。
すでに問うことは山積みだ。
感じた、いずれ読むことはないと。
聴くことも、視ることも。
ただ、目の前にあることに没頭していこう。
一期一会という言葉に収斂させたくないが。
出逢っていく心持ちだけは、いつでもどこでも持っていたい。
賃労働の現場でよくある事態。
例えばしなければいけないことができない。
すると人として失格の烙印を押すケースだ。
そこから人の上下関係にまでいたってしまうのだったが。
すでにしてアウトだと降るものが。
今、安心できる場所はあるのか。
人が入らない場所としての森か。
が、そこへたどり着くまでに、いくつかの難関が。
結局と想う、結局人と人との間にしかないのだろうと。
当たり前過ぎる結論が新鮮でもあった。
退屈することはない。
すべきこと、せざるを得ないこと、さらには、したいことをすればいいのだから。
どれをすればいいか、悩むこともないだろう。
何とも簡単である。
重なるところから、選べばいいのだから。