深呼吸する言葉・ワナタベジンジンタロウ

おっさん中退・ジジイ見習い

現場へ/言葉・267

現場へ行くことは重要だろう。
ただ、大切なのは、単に出向くことではない。
準備し、赴き、帰還して記録を残す。
その一連の流れを手中にすること。
それこそ、大切なことであるが、現場とは今・ここのことだ。

▲『春へ』(写真)
冬の影か。
が、春も混じり始めている。
「早く、来て欲しいなあ」
春を待つばかり。

www.youtube.com【あの映画のこと/今日も少しだけ】
「年を取って、出逢えてよかった」
 思わず、そう言っていた。

 実は、思いつきだったのだが。
 感想を求められての。

 最近、視てよかった映画の話をしていたときのことである。
 わたしは何となくだが、沢田研二氏と松たか子氏が出演している『土を喰らう十二カ月』を推していた。

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 原作となった水上勉氏の『土を喰う日々』(新潮文庫)を、かつて読み、惹かれていたこともあるだろう。
「いいな、この視点」と。

 映画の中で、確か、「生きるとは、からだを動かすこと」といった独白がある。
「そ、そうだよな」と。
「端的に、表しているな」というわけだ。

 何より、年をとらなければ、映画の中で出てくる、いくつかの食事を、「いいな」とは想わなかっただろう。
 よって、冒頭の、「年を取って、出逢えてよかった」という言葉になったのだろう。

 ちなみに、ジュリーのファンの人がいる。
 3回、視たそうだ。
 1回目は、普通に。
 2回目は、細部に注意して。
 そこまでは、いい。
 3回目は、何と目をつぶって視たというのだ。

 理由は、ジュリーの声だけを聴くためにという。
 ファンならではか。

 わたしは、いつかまた、視たいと想っている。
 図書館にあったのだった。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 100円ヨーガ教室でのこと。
『死体のポーズ』のとき、睡眠不足から、眠ってしまっていた。
 目覚めたとき、スッキリと^^。
 佳き日々を。

まとわりつく雨の中で/姿勢・60

矛盾している?
場合によって、とても豊かなことではないのか。
矛盾もなく、理路整然では、そもそも面白みがあるのか、どうかと。
矛盾を抱えて歩む、歩み続ける。
稀に、たどり着くことができるかも知れない。

▲『トンネル抜けて』(写真)
利用駅の北から南へ。
繁華街があるのだった。
とはいえ、昔の田舎だ。
知れている。
そこがいいのだったが。

www.youtube.com【視線外し/今日も少しだけ】
 決して、目を視ない人がいる。
 その抱えてしまった孤独。

 視線外し。
「届かないなあ」
 そう感じることが、ある。

 無理強いするつもりは、ない。
「目を視て話せ」と。

 わたし自身も、顔、とりわけ目を視て放すことが苦手だからである。
 考えが、まとまらなくなるのだ。

 よく言えば、照れ屋か。
 悪く言っても。

 いずれにせよ、そうしたレベルではない、視線外し。
 そもそも、会話を必要としていないケースもあった。

 わたしの苦手意識を、「何とかしなくちゃ」と想わせてくれたことに、感謝しつつ。

 繊細さで傷つかれても、どうしようもない。
 だから、話を切り上げることを覚えたのだったが。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「だるいぜ」】
 やりたい放題の為政者たち。
 悪化している。
 問題は、今だからだ。
 そう痛感を。

 佳き日々を。

セットメニュー?/人生論・16

暑苦しいものの、激情は必要だ。
厄介だが、不安・恐怖心もまた。
超えてみれば、分かる。
追憶のときが来れば、理解できることがあるのだった。
激情に不安・恐怖、そうして何より追憶がセットであって欲しい。

▲『またしても惹かれていく』(写真)
写真の木々の下にいた。
お茶を飲むために。
熱いあついお茶を飲むために、座り込んでいたのである。

www.youtube.com【なかなか巧くはいかない/今日も少しだけ】
 生きてみたい人生。
 そうして、理解・納得のいく人生。
 まったくとは言わないが、概ね、違うものだ。

 生きたい人生で、やってみたいことができたとして、存分に理解でき、腹から納得がいくとは限らないのである。
 当たり前か。

 何故か。
 やりたいことをし続けて、納得が最終的に得られるとは限らないからだ。

 逆に、したくない賃労働をし続けて、納得してしまうことだってあるだろう。
 例えば、家族との団欒で。

 思うようにはいかないものなのだ。
 そう、踏んでいる。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「読み直してみるか」】
 あらためて読み直したいなと。

lnet.la.coocan.jp まず、みすず書房の書籍と出逢った。
 物々交換など、人と人との直接的な交流の萌芽を読み、微かだが、確かな文脈を体感したのである。

 クドカンの『不適切にもほどがある』を視ていて、想い出した。
 それにしても、3月に向かって東日本大震災ではなく、阪神淡路大震災をもってくるとは。
 クドカンの感受性にあらためて、感銘を。

 ともあれ、無料公開されている中井久夫氏の文章。
 備忘録として貼り付けておきたい。
 佳き日々を。

未完成2024/人生論・15

作品が未完成で当然ではと。
そもそも、完成した人生があるのだろうか?
ついに、未完の人生を受け入れていくしかないのだ。
ならば、作品が未完成であっても、当然ではないのか。
受け手が完成すればいいのだ。

※「未完成という完成」みたいなことも考えられる。
 が、そこへ行くまでに、わたしの場合はまだ時間がかかりそうだ。

▲『富士さま』(写真)
晴れて欲しい。
冬の間は。
寒いのがこたえるからだ。
何より、富士さまを視られるといいのだったが。

www.youtube.com【淫心だってさ/今日も少しだけ】
 最近、覚えた造語。
 淫心。
「あはは」ではある。

 高齢者に、エロ小説が受けているそうだ。
 タイトルに、『65歳からの』と冠した、大手新聞社発行の書籍を、図書館で、何となく手にしてパラパラやっていると、出逢ったのである。
「スゲエなあ」

 それによると、ラブホテルの使用者の2割が高齢者だそうだ。
 特に、セックスをするわけでもなく、一緒にいるだけでいいそうだ。
 家に連れて帰るわけにもいかず、行くのだそうだ。

 笑ったのが、特典。
 老舗の羊かんだそうだ。

 東京の高田馬場には、「お帰りなさい」と、高齢者をむかい入れる風俗店があると読んだことがある。
 人気だそうだが、「それにしても、いやあ、みなさん、お盛んなのだな」と。

 エロ小説が高齢者に人気なのは、セックスの動画よりも想像力を駆り立てられるかららしい。
 そもそも、若い人々が、エロ小説を読むとは想像し難い。

 淫心。
 キーワードのようだ。

 それにしても、エロ小説は、しぶとく生き残っている文化か。
 わたしが読んでいたのは、遠いとおい昔で、それもすぐに読まなくなっていた。
 虚しかったからだ^^。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記「さてっと」】
 今日も相変わらずのバタバタ。
 それにしても、「寛容という差別」という言葉に出逢った。
 後日、記したい。

 佳き日々を。

大事件よりも/情報前線時代・60

殺人等の大事件。
心に影響を与えている?
やり過ごしたとしても、無意識を荒らしているはずだ。
が、スマホで小刻みに発信・受容するほうが、多大な影響を。
コミュニケーションの在り方を変化させたのだから。

▲『また訪ね、訊ねた』(写真)
木。
また、訪ねた。
言葉にはしないで、身心で訊ねていたのか。

www.youtube.com【常識と身体事情/今日も少しだけ】
「トイレには行かないのっ!」
 食堂で、大きな声での叱責に出遭った。
 食事中だったのである。
 それは、そうなのだろう。

 が、「どうなのかな」と。
 いぶかしんだのである。
 怒られたのが、多少の介護が必要な高齢者だったからだ。

「出物腫れ物所嫌わず」
 そう、言うではないか。
 相手は高齢者、ただでさえ、排泄の間隔が短くなっているのだ。

 そもそも、排泄できるだけでもいいのではないか。
 高齢者の便秘等々、深刻な場合もあるのだから。

 介護とは、護ることを介して、人とつながっていくこととも考えてきた。
 つまりだ。
 いわゆる世間常識で、一刀両断していいものかどうかというわけだった。

 それにしても、衆人もはばからずの大きな声。
 最近、ますます、「とほほ」と。

 というのも、わたしも含め、高齢者ともなれば、静かに落ち着くことを願っているからだ。
「明るさと、にぎやかさは違っていることを、分かって欲しいよな」と脳内で呟いていたのである。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「あらま」】
 窓の外。
「あらま」
 雪が、舞っていた。

 外へ出る。
「さぶっ」
 冬が再びか。

 結果、外出は中止し、閉じこもって、たまっていたことを少しだけ、整理した。
 積読本の片付けも含めて。

 佳き日々を。

歩行法/老道・219

早足に目的地へ。
が、どんなに早足であっても、1歩いっぽ、歩いているのだ。
両足1度に靴は履けないのと、同様に。
1歩いっぽ、確かに歩いていくしかない。
「転ばないためにも」と言い聞かせる齢を迎えた?

▲『夕焼け』(写真)
久しぶりのことだ。
公園で、夕焼けを視たのは。
短時間で、暗くなっていた。
「冬だな、まだ」

www.youtube.com【違和感のある、詩人の素晴らしさ/今日も少しだけ】
 茨木のり子氏。
 いい詩を書いたと想う。

 が、「自分の感受性くらいは自分で守れ」という言葉に、違和感を抱いてもきた。
 たとえ、茨木氏が、自らに放った言葉にしろ。

 当たり前のことだからだ。
 そうして、こうだ。
 自分で守れる感受性など、たかが知れているのではないのかと。

「優等生だなあ」というわけだ。
 と同時に、うまいところを突くなとも。

 戦中派だからか、個に信を置く物言いが希望だったのだろう。
 が、何というか、衛生的過ぎる。

 とはいえだ。
『歳月』(花神社)という、死後、発刊された詩集を読み、「えっ?」と。
 若い獣時代のことも描いていたのである。

 あらためて、読み直したい詩人である。
「巧みだな」の向こうを知りたくもあるのだった。

 ちなみに、茨木氏の敬愛していた金子光晴氏は個に立脚したが、とんでもない人非人だった^^。
 個の意味が違うのではないのかという点も、宿題か。

 ここで、多くの読者を獲得した『倚りかからず』(ちくま文庫)を、まず引用しておきたい。
 こうだ。

 もはや
 できあいの思想には倚りかかりたくない
 もはや
 できあいの宗教には倚りかかりたくない
 もはや
 できあいの学問には倚りかかりたくない
 もはや
 いかなる権威にも倚りかかりたくはない
 ながく生きて
 心底学んだのはそれぐらい
 じぶんの耳目
 じぶんの二本足のみで立っていて
 なに不都合のことやある
 倚りかかるとすれば
 それは
 椅子の背もたれだけ

 読んだとき、「ふうん」だった。
 これに対して、ドイツ文学者の丘澤静也氏は、その傲慢さに怒り、返歌を。
 こうである。

 やっぱり
 すぐれた思想には寄りかかりたい
 やっぱり、
 素敵な宗教には寄りかかりたい
(略)
 長く生きて、
 中途半端に学んだのはそれくらい
(略)
 背筋をきたえて、
 寄りかからないとすれば、
 椅子の背もたれだけ

「あはは」と笑ったものだ。
 個への、いろいろな位相。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 すでにして、夜。
 あっという間に、ときは経つ。
 佳き日々を。

ゴミだらけ/暮らし・89

プラスチックなどのゴミ。
部屋の中に増えていくばかりか。
ちょっとした買い物をしただけなのに。
包装等々が過剰との指摘は当たっているのだろう。
当然のように感じていた、「これはゴミなのか、どうか」と。

▲『木々』(写真)
木々。
複雑な線を持つ。
そのくせ、寛ぎをもたらしてくれる。
不思議だ。

www.youtube.com【成れの果て?/今日も少しだけ】
 この、没落していくばかりの近代の成れの果ての領土。
 いや、近代にさえ成っていなかった?

 そこで生き、生き続ける。
 どうしようもない、日本人中心主義。
 何故か。
 日本人が多いのだから。
「あはは」

 自分が死んで、それでおしまいというわけではない。
 そうした意識が持てるか、どうか。

 貧しい者たちの分断化も問題であるが、そもそも、死者と生者の分断もまた、問題なのである。
「死者を死者たらしめよ」と言いたくもなる歴史の改竄。

 プレモダンも、モダンも、ポストモダンも、ときに同じ相貌に見えるときがある。
 何故か。
 昔からの宿題だった。
 今も。

「答は、人間だから」と言えば、身も蓋もないのだが。
 とはいえ、そう感じてもいるのだった。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 賃労働で、障がいのある方と一緒にいた。
 短時間だったが、泣かれ続け、当方も泣きたくなるという事態に。
「あはは、どうしたものか」
 佳き日々を。

身体だもの/身体から・

DADAから禅へと移行した高橋新吉氏。
戦争礼賛の詩も書いたというが、置いておこう。
実は晩年、身体にこだわったと読んだ。
病を得たから?
ともあれ、身体に始まり、身体で終わっていくのだから、当然か。

▲『ここにも生命』(写真)
ひこばえだ。
成長力が盛んだ。
そのため、「幹の肥大が悪くなる」とあった。
「伸び出したらすぐに切除することが望ましい」とも。
そうなのだろう。
人生の比喩のようでもあり、事実でもあるのだったが。

www.youtube.com【希望?/今日も少しだけ】
 かつて読んだ。
 エルンスト・ブロッホの希望の弁証法
「なるほどなあ」と体感したことは、覚えている。

 うろ覚えだが、確か、「破滅へ向かっていても、必ずや再生の道は出てくる、出てこなければ、何もかも消えてしまうのだから」と言っていた記憶もある。
 絶望の極北が、究極の楽観へと。
 そう感じた記憶があるのだった。

 弁証法止揚も、今はすたれたようだ。
 実際、無理があるのだろう。

 ただ、この弁証法は、「悪くないな」と。
 いや、いいのだろう。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 今夜は早く寝たい。
 明日の賃労働に備え。
 佳き日々を。

わたしの中の他人/天下のヨーガ野郎・16

わたしは他者。
そう、記した方は多い。
ヨーガなどの身体運動をしている人なら、感じたことがあるだろう。
「他の自分がいるな」と。
その他者をどう立ち上げ、その他者とどうつき合っていくかだなと体感中だ。

▲『寛ぐ』(写真)
多少の雨模様。
が、逆に空いているだろうと、近隣の公園へ。
何よりのベンチで、しばし梅見を。
また寒くなるのだろうが、春の綻び・緩みを愉しめた。

www.youtube.com【夢をまだ視ている/今日も少しだけ】
 夢がある。
 いや、野望か^^。

 いつか、リヤカーを自転車で引いて、そこらをウロウロしてみたいという野望である。
 そこらが伸びていき、北国や南国まで行けるといい。

 リヤカーには、すでにテントが設営されているので、いつでも寝られる。
 そうして、日本や世界の繁華街ではなく、場末を目指す。

 ときどき、海へ入り、出てくるときに、「今日も何ごともなし」と呟く。
 平和の証として。

 ああ、その前に、まずは起きなくては。
「働かなくちゃっ!」でもあるのだったが。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 久しぶりにプールへ。
 人が少なく、快適だった。

 佳き日々を。

サウンド・オブ・サイレンス2024/マザーネイチャー・77

静寂とは、単に人のいない状態ではない。
心の持ち方だ。
事実、人がいなくても喧しいと感じるときはあるし、人がいても静かなときはある。
できれば、静寂の中で今を感じていたい。
生命を体感していたいのだ。

▲『育つ』(写真)
足もとを何気に視る。
「あらまあ」
木が。
どこまで大きくなるのだろう。
「場所を覚えておけばよかったな」
軽く後悔していた^^。

www.youtube.com【場末?/今日も少しだけ】
 場末。
 嫌いではない。
 いや、むしろ好きか。

 あの『広辞苑』によれば、「都市で、中心部から外れたところ。町はずれ」となる。
「都市の中心部から離れた、ごみごみしたところ」との定義もあった。

 ただ、「これだけではなあ」と。
 要は、混沌さに触れて欲しいというわけだ。

オルタナティブは、次の予感」(相倉久人氏)
 そうした文脈も入れてほしかった。

 秩序と混沌。
 その両者があってこその、生命ではないのかと。

 もっとも、秩序の中にも混沌は蠢いている。
 混沌の中にも、秩序は生成しているはずだ。

 ひなびた場末に、盛り上がる盛り場。
 コロナ禍によって、盛り上がる場末に、ひなびた盛り場もまた、出現している。

 平らになるだけではなく、隆起もあるダイナミズムのためにも、あれこれあっていい。
 あって欲しい。

 そうだ。
 場末には、隠れられるという長所があったのだった。

 どうか、今日も、ご無事で。


【追記/「さてっと」】
 身心をボチボチ、休めるかなと。
「眠いものなあ」
 佳き日々を。