よく分からないことだらけである。
それはそうだろう。
天才・秀才にしろ、森羅万象に通じている人がいるわけがない。
ただし、よく分からないことに反応する人はいる。
重要だというわけで、学べるのだったが。
▲『美味しさの由縁』(写真)
久しぶりに美味しいコーヒーを飲んだ。
苦さが届いたのである。
美味しさの由縁は、いくつもある。
熱いこと等々だ。
何より、地べたの暖かさを体感できたことか。
www.youtube.com【母がいなくなる?/今日も少しだけ】
谷川俊太郎氏の発言は膨大だ。
その中で、「あっ」と最近感じたことがある。
「母がいなくなる怖さ」について語っていたのだった。
そう言えば、わたしにもあったなと。
母は、心臓病があると、子どものときに聴かされ、「えっ?」と。
倒れたときは、「ここに連絡を云々」と言われたのだろう。
爾来、元気そうなときでも、ふと不安を感じることがあった。
最終的には、80歳で胃がんのため死んだが、「心臓病はどうなったのか」と^^。
母親の死は、自分が生きていけなくなるという恐怖に依拠していたのだろう。
即物的にも、「今夜の食事はどうなるのか」といったことにも、つながる。
生きていく。
それは、親の死の恐怖を超えていくことでもあるのだろう。
幸い、両親ともに、目の前で死んでいった。
つまり、死の全容を示してくれて、いたずらに死を怖がることもないと、教えてくれたのだった。
「苦しむのは、嫌だなあ」とは想ったが。
どうか、今日も、ご無事で。
【追記/「さてっと」】
今日も賃労働。
腰に来ている。
「ま、風呂で温めるか」
佳き日々を。