2014-03-01から1ヶ月間の記事一覧
森の静謐さ。 実は生命で賑やかなのだけれども。 中に入っていくだけで、包まれていくかのような感覚に――。 身も心も落ち着いて来るのだった。 つまり、豊かということ、もうこれ以上、何も必要がないほどに。
宿無しの若いころ、困難を前にゲラゲラと。 絶望に耐えられる弾力――。 今、屋根のある場所で暮らしている。 ときに宿無しの気分に襲われながら。 「どうしたものか」と思うことなく、ただただヘラヘラとして。
足下は長く水びたし。 見えず、聴こえず、臭わず、危険が静かに確かに蠢いてもいる。 身心に病があって当然の事態だ。 斜面に踏み止まることはできないのにもかかわらず、斜面化するグルリ。 眠ればいいのかな。
複製技術が発達し続けているが、本もの・偽ものを問う意味は? 痛みを覚えているかどうかこそ気になる。 体験の情報化・情報の体験化・体験の体験化・情報の情報化の波頭で生とは? 納豆をかき混ぜる朝の疑問符。
「シラフでいるため呑み続ける」だって? そうだよ、そうなんだよな。 今も鋭利な刃物の上で暮らしているが如し。 正気を保っていられるほうがおかしいのだろう。 毒を散らす毒としての娯楽の跋扈さえ仕方ない?
転倒時、手が出ない子らのことを聴いたのは、いつの日? 「死んでいい」と思ったとしても赤信号で止まる。 異性に狂っていても約束の時間には間に合う。 そうしたことは健在の様子であるが。 身心の底での関係。
子どもが複雑にピアノを弾いていた。 「まだ音楽ではないな」 会場を出ると、目の前を横切る子どもたち。 手をつないで振りながら、笑顔で歌っていた。 身心から湧いて来る大きな声を前に、見惚れるばかり――。
嘘と剽窃ばかりが跋扈。 借りて踏み倒した挙句、儲けは独り占め? 「いいよいいよ、返さなくて」とは、「もう借さない」ということだと知っている。 それにしても、人と交通する僥倖さえ知らずにどうしたものか。
自らを変態だという。 「悪くないよね、保身と縁を切り、人様を騙していないもの」 確かに因業では身心がもたない。 しかも、ズルしても、いずれはバレるものだ。 いっそ爽やかさ、奥床しい謙虚さが滲むばかり。
朝、曇天だったら気分は塞ぐ。 晴れていれば、無意識も跳ねていく。 無論、そうとばかりは言えないが。 脚に痛みを感じつつ、「何も感じていないなら健やかな証」との言葉を思い出す。 まずは窓を開けてみるか。
最近よく思い出す。 「眠りは死の予行演習」という言葉を。 毎晩したからといって、本番時、どうなるのかは分からないが。 いっそ、「起床は直立二足歩行の学び直し」と心得たほうがいい? それにしても、眠い。
いくら陽気でも、針をチクッと刺されただけで飛び上がる。 どれほど冷静でも、大量の人々を突いていることには無関心。 海に空が映し出され、空には水蒸気。 その間で浮かぶ。 溶け出して、何処にもつながらず。
個々をみれば極めて善良。 が、集団になると何を仕出かすか分かりゃあしない。 善人だからこそか。 悪人になればいいと言いたいわけではないが、想いは近い? 「どうかな」と呟き、熱いコーヒーをもう1杯だけ。
すかしているんだね、ちょっとだけ普遍みたいな物腰で。 冗談じゃねえや、戦争好きの冗談みたいな顔して。 むしり取ろうって魂胆なんだろう? でもさ、素寒貧なんだ。 国策が示す国の終わりを今、浴びているよ。
伝統の如く世襲される不幸。 疎外の伝染も拡大していくばかり。 社会のみならず、自身からも追い出されて? 握っていた手は届かぬほど離れてしまったが、排除からは排除しか生まれない。 排除を排除せよと――。
母子が、歩道の陽だまりで腰掛けていた。 見上げる2人――。 視線の先では、病室の窓が光っていた。 子がふと、母の横顔をうかがう。 母は、すでにベッドに戻ったはずの、やせてしまった人を見詰め続けていた。
上手に歌おうとするのは、当然のこと。 ただ、それだけでは唄から離れていくばかり。 技法ではない場所で歌わないと、響かないものだ。 相手にも、自分にも。 いつか、身に着けた技法さえ捨てるときが来る――。
1行を記すのに長い時間がかかってしまうときがある。 一方、20字詰めで100行を、苦もなく書き終えてしまうときも。 体調や気分、環境もあるのだろう。 が、やはり、やって来るものがあるか、どうかなのだ。
年をとって楽に? それを言うなら若いころからさ。 お気楽な割に深刻で、頓馬なうえに夢想派、しかも相変わらずの甲斐性なし。 「何とかするしかないべさ」が口癖か。 ただ、経済より人、そう思い続けて来たよ。
生が死んでいく。 今後も、時々刻々と。 死が毎日生まれている、今日も1人の身心の中で。 論理も、最後には感覚に属するものだなんて…。 楽屋なき舞台の心もとなさはいつものこと、細く頼りなき橋の上にいる。
花一輪育てられないのか、汚れなき地上で。 いや、育つのを眺めることもできないのか。 水に土、木に山、太陽――。 人が作っていないものばかりが輝き出す季節だ。 たえずの途上の人として、呼吸を重ねていく。
ウェブ上で世界のことを垣間見る。 近隣で花の咲き始めたことも教えられ。 グルリは労働で賑やかだったが、画面の中は静謐そのもの。 息をつめ死の成長を聴き始める。 耳の奥、太古からの囁きも舞い始めていた。
長いながい手紙を書こう。 決して読み終えることがない、言葉の束――。 そのくせ、届いていく便り。 受け取る者は、どうしても自分だ。 書いて、読んでいる間は、生きているのだもの、長いながい手紙を書こう。
遊びの王道とは何? いくつもの定義があるはずだ。 ただ、断定もできないのではと。 そのくせ、長く思ってきた、強者に挑む、これに勝る文脈はないと。 無論、こんな呑気なことを言っている場合ではないのだが。
現在の主流派もいずれ消えていく。 そのとき、状況を担うのは反主流派とは限らない。 むしろ、まだ見えてはいない場所の人々? が、今はそこかしこで、業界に堕した世界だ。 「今を観る、未来から観る」と記す。
「眠くはないし、行くあてもない」と青年は歌った。 今は? 昼寝も望み、行くあては増えたはずだ。 家族という器は壊れ、一極集中で孤立化、労働はいよいよ非人間化している。 風と同義の唄を、新鮮な唄を――。
会社が潰れれば、そのまま休みに。 いや、会社がないのなら勤務がなく、結果、いわゆる休日もなしに。 要は毎日が日曜日。 「現実の三段論法か」なあんて言っている場合じゃないぞ。 今すぐ机へ向かえ、わたし。
日本の経済に責任は持てないし、今の政治を選んでもいないと言いたい。 廃墟と賑やかさ。 貧乏話は関心を呼んで、身につまされる。 記すことが生き直すことにもなるだろう。 休日は消費から遠い場所へ行くのだ。
幻想の敵を上から導入され、国民は怨み始める。 憎悪の連続的高揚。 ガス抜きは果たされ、事実は朧、何がどうしたかは不明なままだ。 戦争の、原爆の、虐殺の責任。 方向は目隠しされ、ついにここも最果ての地。
人生のための音楽はいいなと。 音楽のための人生もまた。 音楽のための音楽と、人生のための人生があるなとも。 そうして、何々のための、ためはいらないと思い直す。 意味から解放してくれる音楽が囁いていた。