2013-08-01から1ヶ月間の記事一覧
「還暦なんだからさ」 先輩がたしなめて来た。 「事を荒立てず、粛々と進めればいいんだよ」 「そうだなあ」と実感、同時に、「いや」とも内心で。 「相変わらずだな」の見透かした声に頭を下げる、苦笑いの夜。
確かに、「泣くから哀しく、笑うから楽しい」ときも。 ただ、鏡を前に笑う練習? 笑顔の底に泣き顔が映っていないかな。 泣き顔が一瞬にして笑顔に変わる子どもたち。 そのとき何が起きたのかを想っているんだ。
やさしさそのものだったが、人々は誤解していた。 親しげには近寄って来なかったからだ。 彼は、孤独に耐えなかった。 むしろ、堪能していたのだ。 馬として生を得た彼の日々は、草原を走り抜けることにあった。
毎夏、『森の生活』を書いたソローの朝に想いを馳せる。 確か、湖で泳いで1日を始めたのではなかったか。 湖が水の森なら、森は木々の湖。 近隣に森はない。 「せめて」と、公園の木々の親戚として歩いている。
知らぬ人と同じ事態に対して怒る。 結果、親しみが湧くことも。 肚は熱く、些細なことで呵々大笑さえ。 だからだ、韜晦や衒いもなく、開かれた静かな怒りが光るのは。 内側で拡充し、外側へ飛び出してゆくのだ。
祝福しようじゃないか。 朝陽が昇るよ、西からではないが。 親も知らぬお尻のホクロも喜んでいるさ。 何故、自由になろうとしないのか不思議だが、とにかく今日が始まったんだ。 な、祝福し合おうじゃあないか。
人生最後の1歩手前、「しまった」と体感したとする。 が、半歩手前がある。 仮になくとも、死ぬ瞬間、脳内には快感物質が出るとか。 出なくともいい。 仕打ちを超えた死という慈悲が待っていてくれるのだもの。
花々と暮らす。 色や香り、姿が一体となり、愛でる者を通じ拡がっていく。 夏空の下、花々は響き渡っていくのだ。 風に吹かれれば、空気に染み入るかのように揺れている。 火が灯された静かな瞬間の連続の如し。
虚像や幻想などは求めていない。 井の中の蛙で十分? いや、満足していない、できるわけもない。 単に関係を作ることができないだけなのに、一匹狼を気取ることができれば幸いか。 そう揶揄し、焼けた道にいた。
どこが、だるいのか。 仔細に感じていこうとすると分からない。 呼吸は体感しているが、どういうことなのか? 「病気や健康は関係ないよ」と言ってみたい。 ただ、その場所がどこなのかは、今も地図を描写中だ。
露天風呂に入ると、落ち着くものだ。 軽くうなり、湯に入っていく人々。 そうして、肩までつかり、大きく息を吐く。 リラックスの要諦の呼吸法か。 沈黙を守り、感じているのだ、まだ言葉にはしていない快汗を。
川や湖、海からあがってきた人。 獲物を手にしているわけではない。 単に水と戯れただけである。 が、一様に、ひと仕事、終えた顔つきだ。 つい今しがたまで自らが水に浮かんでいた如く、口元には微笑を浮かべ。
暑いあつい昼下がり、路上でふと、立ち止まった。 振り向けば、振り返る人の視線と出逢う。 お互い、瞬時にキョトンと。 見ず知らずの、老い始め同士だった。 2人は、軽く頭を下げて目礼、また歩き出していく。
労働の現場にいれば、そりゃあ怪しいことも仕出かすさ。 ただ、もう働き続けるしかないとしたら? せめて求め続ける。 微笑めることを。 大量殺戮した後、美しい音楽に酔ったナチスと異なる場所を発見するのだ。
じき還暦だ。 「それがどうした」と問われれば再び、「還暦だぜ」と。 「ボケたか」と笑われれば、ひと呼吸入れる。 そうして、こうだ。 「自らの認知症に悩みつつ、家族の介護で身を削る方々に言える言葉か?」
出かける前、部屋の中を眺めた。 引っ越してきて以降、随分と使わない物に囲まれてしまったなと。 が、特にどうということもない。 気にしたら、果てがないからか。 眺めのいい場所へ出かけるほうが肝心だった。
忘れない、今や通路も求めていると。 ときに通路への通路も希求している。 忘却の推進はいつもの手だ。 発見しよう、通路を、探し出そう、広場に出る通路を。 忘れない、広場はおろか、通路さえ消されたことを。
瞑想は究極の解放への道という。 ならば、今生への執着は? 自慢できる人生ではないが、捨て難い。 いっそ、執着して平気な場所へたどり着けたのなら? そのとき、執着からは少し解放の匂いが漂ってくるだろう。
子どもたちが通学路を行く。 ふと、「理想は足下を見失わせるな」と。 が、あったが故に、現実で人殺しをしなくて済んだのだ。 今後、分かち合うのは互いの我慢? 通学路が、いつまでも通学路でありますように。
言葉自体に良い悪いはない。 ただ、相変わらず表現の自由は心もとない。 いっそ自由の表現に点火か。 少し触れれば熱が伝わる言葉。 厳密に断定できずとも、言葉の自由1つ2つで、足取りが軽くなるときはある。
洗顔して目覚めていく。 いちいち意味付与はしなくとも、動くことができる習慣の妙。 大切な内臓感覚も目覚めさせていく。 束の間、目を閉じて座り、呼吸へと向かうのだ。 酷暑にも応じ始める身心の芯という杖。
「お前はどんな奴だ?」と問われれば、即答する。 「おれは気楽な奴だよ」と。 たいていのことはオッケーさ。 ただし、自分勝手に負担をかけてくる輩は苦手、おまけに金はない。 将来もないが、爆笑はしている。
「こんにちは」 音のような声、声のような音。 振り向くと、知らない幼子が挨拶の励行を教えられたのだろう、微笑む。 今夜には忘れるだろうが、応えた、「とってもこんにちは」。 苦笑し、目礼をする背後の母親。
暑い、とてもとても、とってもさ。 天は阿呆の如く青く、木々は揺れているが熱風、文庫本の活字が目に痛い。 眼前にはプール。 足先から冷やしていく。 首にさすのは痛い陽射し、ついには一気に水中の人となる。
つないでいる手。 道を歩くとき、階段を上るとき、橋を渡るときに。 が、手はいつしか離れて、独り、歩き出すときが。 自然に訊ねたい、どうしたいのと。 汗を流して自然を訪ねたい、自然には歌ってほしいのだ。
人は等しく壊れものへの道を歩む。 ときに目を逸らし、向き合って来た。 が、正面から睨む齢を迎える。 再生できない途上は、絶望に終わらぬ拡がりも持つ。 生きている間は死を受容しない歩みが、あってもいい。
「生に意味がなくてもいいんだ」 そうした解放へ向かう考え方があってもいい。 死んだら意味もへったくれもないのだもの。 そも、死は生の側にあり、死んだら死はない。 今は骨まで愛してならぬ、骨まで休めて。
リラックスが大事という。 ただ、つい力が入ってしまうときが。 しなびたまま、だれているだけの場合さえ。 リラックスするにも充実が源? 夏空の下、草木で覆われ狭くなった道を、いっそサバサバと歩いてゆく。
大切なことは、いつも観念? 神や仏に始まり、自由や平等、博愛。 平和や正義も顔見せだ。 比べ、差異化していくしかない言葉の行進。 降りることはできないというが、「えっ、そうなの?」と砕け、呆けていく。
よくよく観れば、無法地帯。 が、地帯はなくなる様相だ。 結果、無法もなくなるといった戦法なのか? 涙より広くて、感動より深く、笑いより遠い場所へ行くのだ。 1人の食卓で、夜の果実に、かじりついていく。