2012-08-01から1ヶ月間の記事一覧
収容されてもなお、生き延びることができた方々。 運をはじめ、個癖、偶然もまた幸いしたのか。 毎日、洗顔するなど、規則正しい暮らしを送っていたという。 腐らず、自然のリズムに則り、呼吸していたのだろう。
住みたい街ランキングに登場する地域周辺で暮らしている。 角の向こう側が見える、いい街だ。 ただし、お金があればの話だが。 結果、時に出向く埼玉・里山付近の畑で、昔日の夕陽の匂いを嗅いでは味わう仕儀に。
心ない愛撫は虚しい。 ただ、愛撫を通じ、気持ちが芽生えるときもある。 合意の愛撫でさえ、法悦時、個は消えてしまう。 望ましき愛撫が可能な齢を迎え、すでにして愛撫を必要としていない場合も。 心より合掌。
子らに、「成長したね」と声をかけたのは誰? 車が進歩しても、道路は渋滞、傷みも激しい。 日本という湿地帯国家で暮らしている。 国語、いや、国家語に拉致された位相から声を放つ怖さ、切なさ、そうして自由。
不安や恐怖から、怒鳴ることで殴り、叫ぶことで刺す。 声の振動は空気を泳ぎ切ろうとしてゆく。 いたわりや、何より感謝から、呟いては触れ、囁いては愛撫する。 集団ではなく、たった1人の合唱を聴き逃すまい。
自分という剥き出しの場所。 そこかしこへ通低している。 泥まみれという言葉を体感、仰ぐは月。 せめて、必要で大切なことが、素早く伝わり合うといいな。 結果、事態が変転していくのなら、僥倖と名づけたい。
何でもない日が、どこまでも続き、されど退屈は一向にしない。 それこそ、進化と呼ぼう。 そうして、動・植物を口にしなくてもよくなったとき。 来るべき未来だと喜ぼう。 和解は遥か遠くとも、道はあるだろう。
理想が台無しになり、寂しい? が、持てたのだ、実現できないほどのそれを。 幸福ではなく、幸運なことだ。 諦めなければ消えない、逃げたにしろ。 焦ることはないが、早足で居場所、つまり身体へと向かおうか。
救いのなさを眼前に、救いは必ずあるという想い。 それもまた、言葉を失わせる。 無論、救いがないとは言い切れないだろう。 ただ、救いがあろうがなかろうが、暮らしていく。 その可能性を、地上で求めている。
地上の物質は姿を変え、店頭に並ぶ。 ついと、商品になる前の姿を想像した。 水や土、火や木、そうして太陽のにおいが、鼻をかすめていく。 すべての物質が、かつて無料だったことを、あらためて体感してしまう。
感心するが、響いてこない。 響いてくるものの、聞き取れない場合も。 聞き取れるが、感心しないときさえ。 しかも、感心するが、響いてこない。 今日も前のめり、グルリは水びたし、使い難い言葉は増える一方。
物語の結末や結論、結果が第一義とは言えない。 過程だけでもないだろう。 誰もが死を体験するが、自分の死を理解・納得する時はあるのか。 完成しなくとも、完璧でなくとも生きていく。 それでも完結してゆく。
田舎道を赤いポルシェが走っていく。 疲弊に学ぶのは、気を許せば身体全体をおおっているから。 暑い日々、元気への意志を自然と目覚めさせることも、朝の務めとしようか。 葉の上の露は、もう秋を知らせている。
教育の壁と同時に、壁の教育。 今も拡大を唱える人々が跋扈する中、英雄主義の自己陶酔には明日もない。 現実という欲の代名詞、前進という余剰。 昨日も言葉の背景を暮らす高齢者たちが、路地に座り込んでいた。
伝えようとしてきたことは、言葉ではない。 言葉の飛来をキャッチした脳・心・体、つまり身体だ。 人を打つ人、人を解放する人、人は身体、身体は人。 あなたとわたしの間には深くて暗い河すらないとも歌いたい。
自給自足暮らしの人と、しばし過ごす。 電気・ガスも大切だが、必要なのは水だと体感を。 生き延びるための食事、何より身心に効く洗浄には、まず水だ。 「後は存外、何とかなるなあ」と呟けば、笑顔の返答――。
下山できたり、退院できたり、帰宅できたり。 無事がこれほど嬉しいとは――。 生き様はお呼びでない。 関係という桎梏の中、事が無いことを喜ぶだけ。 死という、無いことも無い源へと歩いているのではあるが。
夕暮れには、言葉を断とうと、呼吸を整える。 迷い込んでいる場所が何処か、身体は感じるだろう。 ほどなくして、栓を抜き、喉をゴクリと鳴らす。 これ以上、嘘を聞くつもりはない。 そう、喉からこぼれてくる。
事件としての芸術を目撃する機会は失せた。 一方、日常としての犯罪には事欠かぬ。 鋭い洞察が笑顔の日々に直結しているとは限らぬが、不必要というわけではない。 些細だが、手放せぬ望みを携え、今朝も洗顔を。
あなたがやさしいのは、自分の悪を知っているから。 あえて闘い、他者を生かす術を、いつ身につけた? 呟いているはずだ。 ヒロシマ、ナガサキ、そうしてフクシマと…。 夏の身体をまだまだ暮らしていきながら。
単なる逆説で応じ、展開を狙う、実は温厚な方法。 とどのつまりは、やり過ごすだけの日々に、空虚な中心さえ不在だ。 メディア漬けの寂しい国土に、増えるは水溜りばかり。 どうしたものか、雨が降り続けている。
安心しろよ、家のことならお手のもの。 知っているじゃあないか、存外、美味しいお茶を入れるって。 そうさ、任せろよ。 お前のいない長椅子が、空虚のように身心を蝕んでいく。 帰って来いよ、雨になる前には。
次々と発生する未来、修飾も届かぬ現実。 めまい。 齢を重ねたが、甘ったれで、無知、ウブな心持ちが続く。 静かな微笑みを滲ませる、硬さの確かさをしなやかにする。 風に彫られる暮らしを、実は踊っていくのだ。
「身土不二は大切だな」 東の土に西の木、南の水に北の火など、ふと思い出せばきりがない。 ただ、陽は何処にいても落ちるもの。 結果、月光が現れ、心持ちの脇腹を、親しげにくすぐってくるときもあるのだった。
場所を見つけ出し、座す。 目を閉じ、呼吸に集中を。 一定時間を過ごした後、穏やかな心持ちを体感、暮らしへと戻ってゆく。 そうして何気に語りかけた、そのときだ。 古人から受け継いできた声と気づいたのは。
今夏、発見した楽しみの1つ。炎天下、自転車で住宅街を走ること。 ひと気がなく、快適だ。 飽きることがない、顔を上げればいいのだから。 角を曲がれば、どうだ、勇壮な入道雲が散らばっているじゃあないか。
父より長生きをしている。 とはいえ今も、「親父は親父だなあ」と。 わたしが幼いことも要因だが、関係が親子である限り、変わらないのだろう。 若い父に、老けた息子は話しかける。 「今夜はもう1杯いくか?」
男の子が、少し大きな女の子の手を握り、駅へと向かう。 2人の背には大きなリュックザック。 大人たちは足早に追い抜き、脇を走り抜ける自転車も。 女の子が男の子の手を握り締める。 改札口がもう見えていた。
居直って当然のご時世? 神は長く不安の対象、不在でもある。 誕生の契機さえ匂ってこない。 呆れながら、全貌を露わにすべきと歩む夏。 軽いから深くて遠く広い場所へ到達できるといいのにと、靴紐を結び直す。
藪からボ〜ッ、はてなは「?」。 いっそ除染3秒掃除機、秘伝消費税減税石鹸、いじめ防止用扇風機の広告ならな。 居酒屋ランボーの宣伝も悪くない。 入道雲が一瞬、垣間見せる逞しい寂しさは、売り買いできない。