2017-10-01から1ヶ月間の記事一覧
そうだね、言ってみたいよね。 「絶対、幸せにしてやる」と。 でもさ、無理だよな。 不安材料ばかりだし、恐ろしい情報がどんどん入ってくるもの。 ただ、ゲラゲラと、率先して笑い飛ばしていくだけで違うよね。
休日は、雨ばかり――。 軒先で人知れず、ステップぐらい踏みたい。 帰ろうかな、外は雨だよ、いつもさ。 そうだ、まずは帰ろう、行くしかない道を。 おやすみ、おれもまた、いつか目覚めることがなくなるのだ。
朝陽に目を細める。 そうして、夕焼けを浴びる日課。 たった2つのことを続けられる人生と、それさえできない人生では何が違うのだろう? すべてと言えるし、違いはないとも考えられる。 今は励行したいだけだ。
か細くても、声を上げていこう。 声を上げられる幸を実感するのだ。 自分たちを肯定していこう、こんな人たちの1人ひとりとして。 いつかきっと、笑えるさ? あはは、今、笑いながら歩いていく、歩いていこう。
「生きていくだけで精一杯です」 彼は、ゆっくりと言った。 「そうだよな」と頷きながら、「生きているだけで」と翻訳し直していた。 ますますいやな感じだ、底がないほどに。 底が、奥へ奥へとできているのだ。
まず内面を守っていこう。 外部によって規定されるのだとしても。 国が詐欺を働いているのだもの。 内面をとにかく守り、健康になっていこう。 あまりの事態に倒れるなんて悔しいし、もったいないじゃあないか。
自分が儲けたいだけなのだろう。 調子にのって困ったものだ。 選んだのが国民なら、わたしは国民ではない――。 そう想う方たちを知っている幸運で、暮らしていく。 深刻? ぶれないように絶望していくだけさ。
「お人好しだよな」 政治の善意化を信じられるなんて。 せいぜい善意の政治化しかあり得ないだろう。 あはは、お人好しよりタチが悪い間抜け? 存在の尊さでも貴重さでもいい、とにかく人が奪われてはいけない。
人は弱い――。 事実であったとしても、何かを言ったことにはならない。 痛み、苦しむ存在でもあると付け加えれば、少しは近づく? 個別・具体的に対処法を開示すべきではないか。 仮にできないとしてもである。
排除? いつものように隔離、強制的に収容するのか。 ついには圧殺が道筋で、浄化とか言うのだろう。 が、それでは人と人との交通は消え、いきいきとできるわけもなし。 グルリは、のぼり切れない坂道だらけだ。
社会保障・福祉が行き届いていればどうか。 爺さん婆さんだって消費に走る。 いや、走れるさ。 貯金の必要性を感じなくて済むもの。 もっとも貯金するほどには、あるべきものがないって、笑えないオチなんだが。
戦争童貞に枕営業、生涯書生。 老いたお袋が強姦され、足腰の立たない親父は撲殺だ。 事実、母なる大地は汚染、父なる空は米国のもの。 息子は動きたいが、手足には鎖。 昼寝するにも床は抜け、目覚めるばかり?
立ち上がるとき、息を吐きながらでは、困難だ。 こだわるのはいいが、単に窮屈では、「ちょっとな」。 利益だけでは労働も空しいばかりである。 広がるように集中して働いた後、気づいて息を吸いつつ立ち上がる。
流行り言葉なのか、サイコパス。 妬みで叩く快楽は分からぬわけではないが、それとは違う。 和を尊ぶ脳が、ほどほどにと語る。 が、身心の融通がきかなければ、基準さえ分かるまい。 陽射しで枯れるときもある。
まず違和感にとらわれてしまう。 考え、言葉にして、ときに長く語るときも。 が、ついに最初の違和感を表明しているのだ。 結果的に和解へとたどり着くために。 仮に、あり得ない方向性だとは分かっていてもだ。
どちらかといえば気弱。 積極的に話すほうではないし、不器用なのだろう。 かつ真面目と来て、恥ずかしがり屋。 美徳のときもあるが、硬直している場合も。 目立ちたがる手合いより、そばにいたいのではあるが。
若く愚かだった私? あはは、今はもっと愚かで、おまけに卑劣。 自分を罵倒する言葉なら、いくらでも。 でもさ、そう自覚できるほどの悔恨をたんと舐めてきたさ、みたいな。 どうしようもない、受け入れるしか?
さまざまな障がいがある。 が、いのちそのものに障がいという文脈はあり得るのだろうか? そも、いつか死ぬのだ。 死こそ常態だとしたら――。 鈍いのもあるが、忘れているからこそ生きていられるのだとしても。
「出鱈目じゃあないか」と彼。 「そやね」とわたし。 「小さな嘘から大きな嘘まであって、嘘でできているよな」 かくして、ああでもないこうでもないと。 世界中、戦争による心的外傷後ストレス障がいの如しと。
つい想う、勝ち負けではないと。 が、骨の髄まで沁み込んでいる勝敗のこと。 悔しいもの、嫌になるものな。 ただ、いつか勝敗を超えた闘いへと転戦していかないと埒は明かない。 負けて勝つとは今も想えないな。
平気で嘘を言う、言えるのは何故か。 問題に対処せず、関係を壊すだけなのに。 わたしにしろ小さな嘘ぐらいはついてきた。 結論は1つ。 壊すだけの嘘とは、分からない、まったくもってして分からない、これだ。
プロのライダーだった彼曰く。 「何故、事故ったかって? 目の前を蝶が飛んで行ったからさ」 そうして、「美しくて一瞬見惚れたんだ」と。 「海峡を渡っていったのかな」とは言わなかったが。 いいな、その嘘。
何も知らなかったようなものだ。 今だって知っていることは少ない。 ただ、働いて、ときにいい気になり、その気にもなってきただけ。 益体もないのだ。 いずれ、知る知らないとは無縁になっていくのではあるが。
気弱なのは何故か。 まだ母親のお腹の中にいたころの問題が影響しているとの説。 いや、今はどうでもいいことさ。 そう、嘘も言ったし、情けないことも存分に味わった。 が、夢中になれたものやこともあるんだ。
理想を語るな――。 理想が生む弊がいを思っての言葉だという。 理想が現実を叩く息苦しさ。 その一方で、説得力のある理想がないことも、問題ではないのか。 ゆっくりと一杯のお茶を飲むことさえ憚れるご時勢?
平和は、実は極端なのではないか。 むしろ、戦火・戦禍こそ当たり前? そう言いたくなる現状だ。 同様に自己もまた、振り切った視点ではないのか。 いつかは分からないが、いずれ消える地球に暮らしている――。
適度に食べられ、運動もそこそこ、心地よい眠りに誘われていく――。 それだけで満足だ。 多く稼ぎ、美しく老いて長く生きていく? いや、自我とやらがある限り不安は消え去らない。 自我と無我の間でひと呼吸?
時代や景気、ましてや政治や社会に関係がない場所。 夢想してきた。 「どうだっていいじゃあないか」と。 陽が昇り、温かさがあたりを包み、美味しいお茶を飲む。 そうした一瞬のときが、長くながく続けばいい。
空襲を受け、かつ2度も原爆を受けた。 決着? 今も恨みつらみがあって当然だろう。 親が、友が、恋人が一瞬のうちに亡くなったのだ。 身体のみならず、心にも深くて広く多大な絶望以上のことが残っている――。
間違えば正す――。 ところが、今や当たり前でも何でもないし、美徳と考える場合さえも。 騙されているんだからと不信感ばかりが増し、結果、自らも騙す。 あくまでも防御策として。 弛緩できる居場所が肝心だ。