2012-06-01から1ヶ月間の記事一覧
パーティーの席上、覚えることはたくさんあるよ。 慎み深さと出逢うこと、素朴な関係を発生させること。 何より、忘れられた唇から静かな言葉を聴き出すこと。 だから、お前のためにもご馳走が振る舞われるんだ。
本当や本質、本物や本来、本気という言葉を使うつもりが、今はない。 気恥ずかしいから、使用できないだけなのだが。 むしろ使わずに、その指し示す方向を言い表せたらいいのにと。 それが本懐か、いや、本音だ。
被害が今日も数値化されていく。 ただ、こぼれ落ちるものが突いて来る。 底にいるとき声をかけられ、返事もできぬときのよう。 と、そのとき、体内で泣いていた幼子が語りかけてきた。 「ねえ、一緒に話そうよ」
ラジオから流れてきた唄に、手を止めた。 大木のてっぺんで揺れる1枚の葉の如く、心許ない。 ただ、含羞のない正義とは縁を切ろうとする声――。 名も知らぬ歌手の存在自体に感応、立ったまま深く腰掛けていた。
人間を遺伝子や脳、本能で定義し、決定へと持っていく人々。 わたしは老いた。 永遠に男は闘い、女は護る? わたしは老いている。 老いの過程で、なおも老いていくが、今日生まれる遺伝子や脳、本能を想像中だ。
休日早朝、集合住宅前の広場にいた。 いくつかの目覚まし時計の音が届く。 くだけていて親しみやすい囁きから遠い、金切り声? 「そういう季節になったのか」 窓へ向けて、「お疲れさま」と、朝から呟く。
人前で緊張するし、人づき合いも苦手? いたたまれなくとも、源は変えられないんだ。 性分だもの。 そこでだ、彫って磨き、屈託の艶を炙り出すのだ。 遠くの暗がりを、一瞬でも照らすことができるかもしれない。
無論、金はない。 もはや不治の病。 そのくせ、「いいねえ、一杯奢るぜ」と思うときが。 ただ最近、そう言いたくなったのは、仕事遂行中の盲導犬や象と出逢ったとき。 笑う子どもたちと、はしゃいだときなんだ。
桃源郷は存在しないから求められるものだが、幻想はもういいだろう。 ただ、少しでいい、ゆったりできるといいな。 義や礼節を欲してもいいだろう。 身心が触れ合い、和やかな気配が味わえれば申し分ないのだが。
「お前の母親は嘘をついたね」 昔、婆さんが長髪のおれに言った。 「だから安心できたよ」 一方、叔母は真面目で心配とも。 笑い倒すお袋と澄ます叔母も地上に来ては、「皆、元気?」と同じことを聴くのだが。
脳の自転車操業中、雷、いや、神鳴りで夏は来るのかと。 祈りは人類発生時からだもの、古代人として健やかな夏を祈る。 わたしたちという被曝地。 焚き火ができる酒場があるといいなあ。 花壇食堂や芝生喫茶も。
花は肥料を与え過ぎると、枯れてしまう。 大きなステージだけで演奏していると、小さなライブが怖くなるとも聴いた。 適量はなかなかに難しい。 ただ、足を護る靴は何千足もいらない。 いや、百足でも多過ぎる。
地が割れ、押し寄せる涙の洪水を拭えない状況だ。 貧乏人の助っ人だくさんをと願うが、分断状況は続く。 冷や飯に、味噌汁をぶっかけ、喰らい、走る日々。 非力で本質と縁はなくとも、存在自体は開示していくのだ。
「どうなっているんだ」 自分様の喧しさは軽いくせに腐臭がする。 「そりゃあ自分は大切さ」 そう、周囲を花色の遠くへ運ぶ文脈において。 ただ、地上を瓦礫化させた考えを踊らせるわけにはいかぬと、風を噛む。
仕事の合間、ベンチに腰を下ろす。 脳髄を走ったのは、元気に絶望していく昔の若者の唄。 ついと流れる涙。 そうだ、久しぶりに唄を書こう、遠いとおい昔に届く唄、つまり明日への唄を。 まず己に聴かせるのだ。
働いて働いて働き続ける地上を這う日々。 多数であれ独りであれ、認めてもらわないと気がすまない? いや、価値や意味などには無頓着で、心が少し喜べばいい。 まず食卓の成立を、そうして歌うのだ、今日の声で。
修練を積む、試行錯誤を繰り返して。 いつしか自分にはできない領域を知る。 が、できることを試み続け、ついに自分にしか奏でられない音楽へと行き着く。 実は不器用なジョン・コルトレーン誕生の経緯だという。
人々はふいに去った。 現場で確かめたことだが、それからのことは今も朧。 わたしは耐えているのだろうか、結論を性急には求めないように。 馬鹿な。 善悪以外の物差しも自ら作り出すしかない、歩き続けながら。
「ボケたらイヤよね」 つい今しがたのことも忘れ、彼女は明るく言う。 不思議と笑みが跳ねて、グルリもつられて笑う。 過日の診断名は、認知症。 まだ一緒に歩いている、まだまだ歩いていく、まだまだまだ――。
痛いのは御免だ、うるさいのや、怖いのも。 死ぬ前、一挙に訪れたら、それこそ死んでしまう? 専門家は嫌だが、「死ぬ前は多幸感に包まれる」との言は信じていい。 いや、出たとこ勝負、今日の夏空を浴びていく。
大金を欲しているのは物の先、心を求めて? ならば今、ふるまう、ここで。 歌う、遠い明日へ向かい。 車座にならなくていい。 死という個別の体験だが、共通の体験を、誰もが穏やかに過ごせるといいのだが――。
よく歩き、美味しくなるように食し、できるなら早く床につく。 もちろん、たまには羽目を外す。 洗顔は忘れても、手洗い・うがいは励行を。 そうして、力になる言葉を3つ携えて、あなたの絶望を砕いてゆくのだ。
今、忘れたいことはない。 忘れたからではなく、変わらず呆然としている領域があるからだ。 ただ、強風が吹く中、猫背には留意を。 食べた物を消化できないもの。 何度も背筋を伸ばし、忘れたいことへ向かう初夏。
狭い店の座席は埋まっている。 気安さも手伝ってか、混雑した感じは微塵もしない。 臨時に厚いベニヤ板をテーブルとした席も。 それでも店として成立していた。 ひと息入れようと集う勢いが横溢していたからだ。
遠くに夕陽が落ちていく。 ふと、人間を愛しているのかと――。 内臓をグロテスクと感じていた、まだ美しいと思えないでいる。 ただ、人間という抽象ではなく、具体的な1人ひとりの顔を思い浮かべているのだった。
夜、薪を静かにくべた。 「もう逢えないんだ」 弾ける音がして、気づく、いない者として出逢い直すしかないのだと。 グルリはやけに明るく、おれは夜空へ届く火のダンスを見つめていた。 言葉はとうに手放して。
草原を前に思わず走り出した子どもたち。 隣にいた子の手を当然のように取って。 走る走る、走り続ける。 雨でも構いはしなかったろう。 遠くの場所にいて目に浮かぶ光景。 おれも静かに、歓声を走らせてゆく。
加齢とともに、ひねたり、落ち込んだり、からかったりすることが、かったるくなった。 逆に、若くなった? いいや、単に老けただけ。 ただ、開かれることに希望を託していく、「自分を脱げよ」と言い続けていく。
神もまた、人と同様、すべてを奪う。 が、神は、人を見捨てないそうだ。 人が、神を見捨てているのにも関わらず。 どうした按配かは知らない。 潮風が身心を湿らす海辺で、見捨てない神が見捨てた地上を思う――。
楽しみは呼吸が重なる人々との語らい。 いや、楽しくなくていいのだが。 慶びや期待、夢がなくても暮らしていくことはできる。 うんざりすることを共有、言葉で、もてなし合い、生きていく契機が微かに漂うなら。