2018-12-01から1ヶ月間の記事一覧
景気のいいことを言いたい。 が、どうにもこうにもか。 少しでも静かで落ち着いた心持ちが何よりである。 2018(平成30)年の最後の日に、だから、することが。 ゆっくりと座り、呼吸を整えていこうとするのだ。
「何のために生きるのか」と考えられるのは、生きていられるから。 その前提がやばい、ニッポン・チャチャチャ。 娯楽だけに恵まれた監獄、病気でないホスピス住まい。 この世の軽薄な地獄と心して暮らしている。
幸福感を持てないのは当然だ。 人々を押しのけ、上へいき、幸せと勘違いしている連中ばかりだからである。 が、もういい加減、おれもいいや。 うんざりだもの。 逃げられはしないが、やられぬようにしてはいる。
社会性? 狭い会社の中の、さらに狭い仲間意識が基準ではね。 外へ開かれていくことが大切なんだよ。 致命的な傷を負っても、閉じて自壊・自滅するよりマシ。 もっとも内へ開かれることも、手放してはいけない。
寒い。 南国の友人が、「冷蔵庫の中みたいなんだって?」とメールを。 こんな日は死にたくないな、暖かくて眠気がやってくる日のほうがいいよ。 そのときが来れば別なのだろうが。 あ、暖房をつければいいのか。
悪いことだらけか。 それなら、せめて少しでも良くしようと。 すると、死が待っているかも知れない。 「地獄への道は善意で敷き詰められている」とは言いたくないが。 良くしようとすることが悪の時代という悪。
障がいがある方に、「もっと努力を」と求めるケース。 「どうなのかなあ」と。 障がいがあろうがなかろうが、同じ努力でいいのではないか。 より強く努力を求める側のほうが、おかしいのである。 どうだろうか。
為政者たちの関係自体すでにして滅茶苦茶の様相を呈している。 中には、「これこそカオス」と呟いた方も。 それはそうなのだろう。 が、混沌というより、混乱でもあるのだった。 渦に脚を突っ込み、歩み出そう。
「1人になるため群衆の中へ」 古くて新しいテーマだ。 みなと生きるため、1人を死守する場合がある。 1人を生き切るため、みなと暮らす感覚も大切か。 ともあれ、孤独の広場で、孤独を味わうばかりのときも。
出世を望んだことなど微塵もない――。 それなら存外サラリーマンも悪くない? ただ、誤解はされるだろう。 しかも、邪魔されたときに、按配は悪くなる一方か。 が、いいさ、ついに理解できないことなのだから。
人生の愉しみ方を指南する書籍が、相変わらず売れている。 「どうでもいいよな」 どんなに暇であっても、成功者の自慢話につき合う暇はなし。 とはいえ、失敗者を支援する懐具合でもないよ。 ただただ深呼吸を。
今後、廃屋が増える一方? 昔、ボロ家をよく見かけた。 手入れをする暮らしを感じたものだ。 住めるように、修繕され続けていたボロ屋。 あの風景と出逢えたことを、今、暮らし方の背骨としていきたいのだった。
朝と夜、同じ樹木に再会する場所が違う。 当然のことに思い当たる。 上から視た樹木と下から視たそれとは姿などが異なると。 だからどうなのかは置いておき、まず愛でるのだった。 深呼吸の源の様子を一瞬でも。
川は汚れている、汚れ切っている。 問題なのは、すでに当たり前の風景になってしまったこと。 海にしろ、汚され続けている。 その恋人と言われる山も、また。 国敗れ山河汚され続けていくばかりの、今年だった。
うんざりする日々である。 しかし、そうした折の、「美味しい」。 そう体感できるのなら何とかなるものだ。 1日に1度、いや、3日に1度でも感じ、かつ話せるのなら。 動植物はたまったものではないとしても。
辻褄なんて合うわけがないときも。 そも、すべての行動が、意志の結果であるわけがない。 無論、悪を許すと記したいわけではないのである。 要は向き合うことだ、ただ率直に。 理不尽でさえある現状に対してだ。
挨拶をしない。 時間も守れずに、嘘は平気でつく、つける子がいる。 しかしさ、責めるつもりはないよ。 そうさせてしまった誘引は、大人の側にあるのだもの。 希望は、そうだな、子どもが正論を嫌っていること。
今でも名誉のためだけの闘いはあるのだろうか? 概ね功利のそれではないのか。 情熱的な冒険と言われても困惑してしまう。 背景には歪な広告合戦、しかも虚ろな。 敗者を偲ぶことさえ商売だもの、もういいよな。
要は効率と言いたいのだろう。 が、大切なことは過程にもある、いや、過程にこそ。 勤勉や正義、実直を身にまとわせようとしても拒否反応しかない。 歴史を持ち出すまでもないさ。 阿鼻叫喚が聴こえてくるのだ。
体幹という言葉が流通を。 肯定派から否定派まで、いろいろと。 実際のところ、どうなのかは知らない、分からない。 ただ、己の身体には呆れるときも。 今は暮らしの中で、歩きたいように歩けることが基本だと。
今日もまた歴史上の出来ごと。 特に記されることがなくとも。 共通の営みがあるのだとしたら、何だろう? 例えば、人々は物語ろうとしているとでも言えばいいのか。 押し黙り、黙々と通勤しているのだとしても。
原爆を使っていいの? いや、そもそも作っていいのか。 いかんでしょう、ダメでしょう、邪悪の極北ではないのか。 負けたからといって、そうしたことを何故伝えてこなかったのか。 その上での自治ではないのか。
戦争に立ち向かえるわけもなし。 大の大人にしろ、子どものように泣き叫ぶさ。 そうでないのなら人でない、別の生物なのだろう。 別に近代的なことを言いたいのではない。 分からない輩に、とりあえず伝えたい。
命より大切なものはない? どうなのだろうか。 だってさ、すべてが大切なのではと感じるのだ。 嵐も食卓も、ビルでさえ命とつながっているのだもの。 嘘だと想ったら、薔薇のトゲがない人生を想像してごらんよ。明日への遺言発売日: 2015/11/15メディア: Pri…
会社は社員のものではない。 株主のもの。 分かっているけれど、納得はいかない? そも、満員電車からどうにか脱出、ようやくたどり着いた場所が奴隷工場ではいたたまれないよね。 が、そこからなんだ、一段と。
人前だからといって見栄を張ることはない。 バカを視るだけだ。 間違えたのなら謝ったほうがいいのは、実は楽になれるからさ。 負けは率直に認めるよ。 そうでなければ、真の敗北だし、そも、回復さえ覚束ない。
改札口を出て歩き始めた。 ほどなくすれば、目の前には長く急でもある坂道。 途中で小汗をかき始め、息切れがしてきた。 「えっ、これっぽっちでか、やばいな」 鍛えることを通じて、現状を維持していこうかと。
自己中心な人は避ければいいが、なかなかねえ。 中には誤謬を指摘されて受け止められず、切れる手合いも。 おまけに、何のことはない賭けごとが好きでゴルフに夢中。 まあ、お呼びじゃあないわな。 わたしがさ。
貧困と虐待は結びついている。 分かりたくはないが、理解可能な文脈だ。 習って学び発見する学習ではなく、作業のように覚えるだけではやり切れまい。 挨拶しないのは、気持ちのよい挨拶をした体験がないからだ。
家庭に依存する国の教育。 年間収入が雀の涙で暮らす家族もいるのに。 やる気、協調性、粘り強さ、ついに計画性も奪われ、泣くことを知らぬ子どもたちさえ。 乗り越えた先を見せなきゃあな。 同じ貧乏人として。