2014-11-01から1ヶ月間の記事一覧
会社では仮面をかぶっている? 何だか面倒だな。 家ではもっと、かぶっている? そもそもが、自分の思い通りにはいかないもの。 ただ、かぶらない場所を持たないと、何枚かぶっているか、分からないものなんだ。
地上に、いわゆる楽園の国はない。 もしもあるとすれば、高齢者と幼児から、安心の笑みがこぼれる場所。 が、国である限り、あり得ない? 幻想は排すが、希望は捨てない。 捨てない限り、その場所が楽園になる?
いじめはよくないと、子どもでも知っている。 では、何故する? そりゃあ、もちろん、楽しいからさ。 自分をも殺す快感を止められないのは子どもも同じ。 親和力が根付けば、傷つけることも怖くなるのだが――。
安堵できるところを探してきた。 例えば、後々まで想い出したくなる風景。 陽だまりを決まって体感できる場所だ。 ほっとできる、つまり息がしやすい拡がり。 世界の果てへの想いは消えないが、今は必要でない。
社会的な責任がとれない? が、人としての責任はとらねばならない。 そも、自ら望んでした場合、「しまった」と感じる前に身体が動いているときも。 そうして、年齢には関係なく、自立していく。 育っていくのだ。
今日も狭い場所で、いくつもの想いを抱えて、歩いていく。 心を静かにしないと入っていけない場所を想いながら。 慰め合うことも大切だよ。 散りそうだもの。 そうだ、つき添うのではない、寄り添っていくのだ。
今や、消えてしまった? 子どもたちの路地裏集団。 年齢の違う子どもたちが集まり、弾けてゆくのは決まって空の下――。 冬でも終わらない夏の声。 跳ねることができたのは、基本に安心感が根付いていたからだ。
語らない自由という領域がある。 性同一障がいの人々に限らず、いちいち述べない場合も必要なのだ。 やさしい想い、聴き取れない言葉。 ダチをウェブ検索しても、出てこないものだ。 あの男、この女もまた――。
勝ち目はないので、逆らうこともしない? 命を握られていることは、百も承知だが。 とはいえ、気に入られるように、踏ん張ることはない。 認められたいのは事実だろう。 が、不安感の払拭はまず遊ぶことからだ。
自然を征服するなど愚かな行為。 常識と想っていたが、違うようだ。 今や底のない寂しささえ隔離したかのよう。 柔らかいものはつかむことができないままだ。 つかむことを拒否した大声さえ聴こえて来ているよ。
態勢を立て直す。 そうして、グルリを整える。 それからだ、情動がたくさん働く体験へ流れ込むのは。 いつまでも覚えていたいが、忘れてしまう切なさは手放すまい。 忘れることさえ、忘れてしまうのだとしても。
周知の伝説、朧な昔話、虚構のような逸話。 今ここの劇場化という社会的行為は消えた? 誰も所有しない、できない営み。 夜空には一番星が出ていた。 ボケ始めたわたしは束の間とぼけて、愛でていたいだけだ。
思い出していた、キヨちゃんやヒロちゃんたちを。 いつも、つるんでいたなと。 彼らは、わたしのように思い出してくれるだろうか。 残っていた防空壕や原っぱで、汗をかいた日々を。 何より一緒に視た夕焼けを。
相変わらずだが、先立つものに困っている。 生涯にわたって、困惑していくのだろう。 だが、実際のところ、資産家たちこそ大弱りのはずなのだ? 貨幣制度が根幹の社会だもの。 わたしたちは、困ってはならない。
塔を作ろう、ただただ空へと伸びていく。 使うのは木と紐、鋸。 大きなおおきな塔を作ってみるんだ。 中に入って暖をとり、昼寝をしてみよう。 大切なことはただ1点、すぐに壊せる心のこもった塔ということだ。
寂しいだなんて、珍しいじゃあないか。 つき合いたいが、例によって持ち合わせがあまりないんだ。 構わない? それなら、フェアになれる場所で逢おうか、火を焚ける。 お前は食材、おれは酒と道具を用意するよ。
遊びに、テキストは必要がない。 正解もまた、お呼びではないだろう。 遊んでいると、自らが自らを知っていく。 身心を、深く広く耕すことができるからだ。 いつか収穫可能な果実を、自然に生産できるのだった。
地球上から消えない戦争の怖さ。 エボラ出血も。 感染する両者には根幹に経済問題がある? 限界を見据え、身心の乱開発もやめなければ、実は地上さえ消えてしまう。 生き延びられると思う余裕はないはずなのだ。
遊びでは、したいことを、したいようにしていくだけだ。 強いられた領域はない。 快こそが基本。 善悪や美醜、正誤という価値は必要がない。 正しい遊びなど形容矛盾、教育好きの勘違いが考えそうな誤謬である。
可憐な花にも、爆発が潜んでいる。 宇宙が叩き込まれているのだ。 遠いビッグバン時の、すべての記憶が宿っていないわけがない。 喪失していればもう宇宙ではなく、咲くこともない? わたしたちの身心も、また。
遊びは、お互いを丸ごと受け止め合う契機の渦。 愉しいという想いが、関係の可能性も開いていく。 結果、自分で自分を受容できるようにもなるのだ。 年を重ねていても、立ち向かう人間に育成させていくのだろう。
やはり負けることはない。 負けたとしても、停滞していては気が塞ぐばかり。 すり替えたほうがマシだ。 立ち向かっていくだけの力が目覚めるときもあるのだから。 そう想いつつも、お互い、今も余裕はないよな。
富士山が視える高台にいた。 空気はすでにして冷たかったが、息は白くはならない。 眼下に斑に色づき始めた街並み。 「寒くなるな、まいったな」 冬になる前の自然からの贈り物、いろいろな色々に息を長く吐く。
感情や行動を認めて欲しいのだ。 存在を抱きしめられたいのである。 それには、じっくりゆっくりと身心の声を聴いていくしかない。 まるで山彦のように応えつつ。 果てることのない包容はないと分かっていても。
スピードを上げていく営為。 巨大をめざす熱や、高くたかく伸びていこうとする願望――。 理解できる範囲ではある? が、いつしか、量は必要ではなくなる。 しかも、少しずつしか味わうことはできないのだった。
健康寿命を延ばすには、“1日8千歩、うち速歩20分”が基本という。 長寿の遺伝子にもスイッチが入るとか。 歩き過ぎは逆効果。 疲れて、免疫力が落ちるようだ。 事実、スポーツ選手は風邪を引きやすいと。
父からは膝を、母からは胸を贈られた。 では、自分が自分に贈与すべきものとは? 膝であり胸でもある暮らしへの姿勢か。 が、それだけではない。 自らに発信し続ける姿勢が豊かなのは、たえず問うているからだ。
軸足を意識する。 相変わらずフラフラと。 想うように立っていられないのは毎度のことか。 無謀にも、「足裏を手のようにできないものか」と願う。 いつか一服つけることができるのだろうかと、休憩時間に入る。
語らないことで語った、座り込む人。 「砂埃だけが舞う記憶しか残っていない」と言いたそうだ。 が、語るべきである。 いや、語らざるを得ないはずなのだ。 失敗を、全身全霊を賭して、語るときは今でしかない。
瞬発力は重要だが、それだけではだめだ。 そも、いらない場合も。 力が余分な力を育んでしまう場合さえあるのだ。 動く、止まっているが如く。 そこまで行けるかどうかは不明だが、歩む、歩み続ける今朝の星と。